裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

19日

日曜日

くだらなくなるまで待って

 まあ、まだお堅いこと言ってるけど、も少し酔っぱらうとくだらない駄洒落なんかばかりになるから。朝6時起床。日曜朝はここのところ『ハリケンジャー』だが、今朝はモロに戦隊モノの夢を見た。と、言うと“また、そんな都合良く見るわけあるものか”と思われるかもしれないが、本当である。もっとも、戦隊ものと居酒屋での飲み会とが交互に出てきて、ストーリィらしきストーリィはなかったが。ちなみに『文学戦隊リテランジャー』というタイトルでオウガイブルーというのが出てきた。他のメンバーは忘れた。敵が太宰治の怪人で“桜桃鬼”というのは我が夢ながら気にいってしまった。早起きで所在ないので、7時ころまでネットなど見る。

 7時半、朝食。空豆とブロッコリの蒸したのを塩でボリボリ食べる。あと、ゴマのスープ、ミルクコーヒー。『ハリケンジャー』、ストーリィがなあ。主役が子供にされてしまう、というアイデアは凄いんだから、もっと引っ張ってくれないと。なをきがアイデアについてよく言っているのが、“思いつくだけではダメ。思いついたアイデアでどれだけ引っ張れるか”。この数回、思いつきだけの話が続いている。もっとも、そのアイデアだが、大人を子供に戻すことで抽出したエネルギーをアメダマに変えて蓄えるというのはどうも腑に落ちない。老人にするならともかく、子供に逆戻りさせるにはすさまじいエネルギーを逆に必要とするのでは……(いや、そういうことは山本会長のサイトにまかすべし)。この番組のさる関係者が“玄人に受けても仕方ない”と話していたげに聞くが、設定や科学的辻褄はともかく、演出や脚本にリキが入っているかどうか、に関しては素人である子供たちの方が目が肥えていると思う。

 太田出版Mくんから電話。さるアート系(でもないか)マンガ家の本を作っていてそのマンガ家が芸術家的感性から完成直前にオリる、とか言いだし、手こずって高橋敏弘関係の記事にかかれなかったということである。彼、7月にロフトでベギラマ嬢の誕生パーティの司会も務めるとか。人間関係が狭いわけではないと思っているが、奇妙に周辺の人間が集まる傾向にある。今Mくんが作っている本のマンガ家さんも、かつて同じ雑誌でデビューした中である。

 昼はパック御飯を温めて茶漬け。塩ジャケ、シオカラなどで。パック御飯が切れたので、散歩がてら青山まで出て、買い物。青山ブックセンター本店に行く。六本木の店は落ち着くのだが、ここの本店はどうも落ち着かない。広すぎるというか、置いてある本の数に比してスペースをとりすぎ。毎日新聞ムックで書原杉並店を推した私の理由が“居心地よりも本の量に重点を置いた店内”、温水ゆかり氏の理由が“雑然としたテンコ盛り感”。本好きというのは本に圧迫される、その感覚を好む者のことを言うのである。ついでに言うと、店内に椅子などを配置して本をゆっくり読めるようにした書店も、あまり好きではない。売り物としての本に立ったままの姿勢で対峙して、さて、この本を代金と引き替えにわがものとして手に入れる価値があるかないかを値踏みする、その真剣勝負の場がすなわち書店である。椅子などが置いてあってはそこは読書の場となり、金を賭けた価値判断の緊張感がほぐれてしまう。

 それでもなんだかんだで一時間ほど棚をながめた後、紀ノ国屋で晩飯の材料を買い込んで帰宅。原稿を少しやるが気圧の乱高下ですすまず。HMVなどにぶらりと出かけ、冷やかしているうちに7時を過ぎたので、すぐ食事の支度にかかる。穴子の切り身とタマネギを出汁で煮て泉州鍋(本式のはハモだが)と思ったが、今日はもうひとつ、すね肉をじっくり煮込んでスープをとった野菜鍋も作るつもりなので、鍋が重なる。思いついてソウメンも投入、卵を漉して入れて鍋の中で湯煎にかけ、おだまき蒸し風にする。もう一品、スズキが冷凍庫にあったので煮酒をかけてもどし、梅肉で和えて蒸して白髪ネギを添える。これは逸品となった。

 食べながらDVD『ビヨンド・ザ・マット』。過酷なショーとしてのアメリカン・プロレスの内幕ドキュメント。ベビーフェイスとヒールが楽屋裏で仲良く打ち合わせしている図などを堂々とフィルムに収めているところが凄い。トップスターを夢見てマイナーな田舎のリングでがんばる新人たち、最大手WWFに“お前はしょっちゅうゲロを吐くから、「ザ・ピューク(ゲロ)」というリングネームでデビューだ!”と言われて大喜びでママに電話をかける新人、落ちぶれたかつてのトップスター、ジェイク・ロバーツの、別れた家族との邂逅(母を犯して自分を産ませた親父、超デブになった娘など)、ガタガタの肉体をさらに過酷なレスリングにぶつけていくテリー・ファンク、金のためなら自らヒールでリングに上がり、日頃いじめているレスラーに自分をボコにさせて客を熱狂させるビンス・マクマホン、マゾヒスティックなまでに自分がやられ、血みどろにされる試合を愛する娘(これがまた可愛い)や息子に見せるミック・フォーリー(マンカインド)。いずれもショー王国アメリカならではの、ここまでやるか、という連中ばかり。あのテロ事件のアメリカ人の反応を見てもそうだが、プロレスがわからんものにアメリカ人はわからん、と言っていいのではないかと思う。虚構のストーリィに100パーセント燃えられるのがアメリカ人なのだ。アメリカについて研究するなら、まずこれを見ろ、と言いたい。ラストに、映画完成後の、取材レスラーの近況が出るのだが、これがまた泣けるくらいシビア。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa