8日
水曜日
水天宮スピリット
安産は戦いよ! 朝5時に起きて、日記などつける。7時15分、朝食。ハムチーズサンド。ウズラの卵を昨日買ったので、目玉焼きにして間にはさんだら、齧ったとき黄身がTシャツの上にダレリとかかってしまった。連休明けで週刊誌の宣伝合戦がたいへん。あの殺人看護婦たちの記事は四誌が四誌ともレズ暴露ネタ。文春では日木流奈一家と某宗教の関係、というなかなかソソる記事、週刊新潮では辻元清美の入院中に書いた本が“トンデモ本”であるという記事、どちらも立ち読みくらいはしてみようと思わせる。
日記アップし、ネット検索。ナンビョーさん、私の日記に夢の記述が多いのは身体が疲れているんじゃないか、とご心配。うーむ、夢の記述がそんなに多いか? 私は子供のころから毎日毎晩夢を見たし、またその記録をつけていたし、ついでに言えば記憶にある最初の夢からこっち、全部が総天然色だった。これは異常なことなのだろうか。今まで見た夢の半分以上は覚えているし、夢を見ない眠りがあるようになったのはここ十年くらいで、若いころは毎晩二本立て三本立ての夢もザラだった。ある晩見た夢の続きをその翌晩に見たこともあるし、夢の中で夢を見たこともある。一番凄かったのは夢の予告編というのを見て目を醒まし、もう一度寝たときにその“本編”を見たことであろうか。牧冬吉の白影が主人公の夢だった。鶴岡からかなりハードなプライバシー関係の相談電話。師匠としては親身になってやりたいが、モノカキ(言うところのジユウギョウ、さらに言えばアーティストのはしくれ)としてはもっと無責任に面白がるようにならないといかんと思う。
廣済堂原稿を書く。今まで書いた雑原のネタを使うので文章だけ書き改めて欲しいという依頼だったが、それだと読者に明らかな使い回しということがバレるので、文体からコンセプトからまですっかり変えて書く。時事ネタも入れるので、書き下ろし同様のものに結局なってしまう。それでも、元ネタが“お題”としてあるというのは楽で、1時半まで、4時間ほどで15枚書き上げた。発想を得る、という段階にいかに普段手間取っているかということであろう。
昼は残っていた鯛の切り身で鯛茶漬け。食べて、タクシーで四谷二丁目の文化放送へ行く。もう確か7回目か8回目になる『やる気マンマン』ゲスト出演。『笑うクスリ指』を取り上げてくれるのはありがたい。いつもは入り口から新館の方に回って、そこのエレベーター使うのだが、今日はちょうどタイミングが合ったこともあり、本館のエレベーターを使う。古くて狭い、昔ながらのエレベーター。そのことを言ったら構成作家のUさん、“ここに昔はエレベーターガールがついていたそうです”と教えてくれた。なるほど、操縦者用の“急行”などというボタンがある。しかし、エレベーターガールが入ると、あと二人くらいしか乗れない広さなのだが。
スタジオのあるホールの本館の窓は壁に細かく切り込みを入れた、非常に凝ったもの。この文化放送の建物、昔からしゃれた教会のようなデザインだな、と思っていたのだが、ようなどころか、昔は実際に教会だったものを買い取って放送局にしたんだそうな。今、アンテナの立っているところに昔は十字架が立っていたのだとか。古い建物好きな私としては、ここに就職したくなった。放送は毎度のこと、別に何の支障もなく。そろそろここばかりでなく、別のコーナーにも出たいな。今回は11日のサイン会の宣伝が出来たのがまあ、よかった。
終わって四谷三丁目の駅まで歩く。途中で、“あら、カラサワ先生!”と声がかかる。見たら山咲トオル。マネージャーらしき人物を従えていた。これから文化放送に出演だという。こっちはいま出てきたところだよ、と言ったらうれしがってた。売れてるようだけど、マンガ家はもうやめたのかい? と訊いたら、そう思われるとイヤなので今月〆切の仕事を入れたとのこと。しかし、全体の感じとしてはちょっと疲れ気味かな、という感じだった。それとも顔出しの仕事じゃないからかな。以前、中野小劇場でゲストに出てもらったときはもう、彼らしく頭からシッポまでビシッとキメていてさすがと思ったものだが、今日はだいぶおハダの具合もよろしくなかった。別 れてふと路上をみたら、男女のカップルが彼の後ろ姿を眺めていて、女の方が
「ほら、ほら、あの人よ、『いいとも』とか出てる〜!」
と興奮しており、男の方は思い切り顔をしかめて
「なんだよ、薄ッ気味悪い×××じゃねえかよ!」
と吐き捨てていた。だいたい、彼を職人系などの人に紹介したときの典型的な反応である。そのあと、セイフーに行くとき、消防署の前で氷川きよしが写真撮影してい た。一日のうちにタレントさんに二組も遭遇するのはなかなか珍しい。
セイフーで買い物、雑誌も探すが『文春』しかなし。読んでみると流奈くんの両親がハマっているのはラジニーシだという。70年代のティモシー・リアリー系LSDムーヴメントはいしだ壱成の母親から息子に伝わり、80年代のニューエイジ系工作舎系ムーヴメントは日木流奈一家に伝わる、か。しかし久しぶりに週刊文春を読んだものである。この雑誌らしく執筆陣も変わり映えしないが、小林信彦のビリー・ワイルダー追悼文、どう考えても構成が失敗で、途中でぶった切られたようにして唐突に終わる。この人にしては珍しいとも思うが、最近ほとんど小林信彦のエッセイは読んでないので、こんなになっちゃっているのが普通かも知れない。年をとって長い原稿(と、言っても7枚程度だが)だと文章に緊張感が保てなくなるのはよくあることである。若いうちに長めの評論を書いた方がいい。文章を書くにも基本となるのは体力であり、年をとってからだとキツいのだ。
帰宅、すぐ廣済堂の原稿プリントアウトして時間割でIくんと打ち合わせ。原稿読ませて反応をうかがう。まるで違うものになっているのにかなりとまどっている様子で、シマッタやりすぎたかと思うが、コンセプトを説明したらば、デハこれでやってみましょう、というところまで何とか持っていける。連絡を密にとり、細かな調整をしながら書くべし。廣済堂ライブラリーの内輪話などを聞きながら雑談。5時にモノマガのNくん来ることになっているのであわてて帰る。幸い、いまちょうどピンポンとチャイムを鳴らしたところであった。
原稿のネタ物件を受け渡されて、しばし話す。知り合いのライター兼評論家の某氏がいま、凄まじいトラブルに巻き込まれているという話。聞いてうひゃあ、という感じ。しかも金と家庭問題の両面攻撃で、あちら立てればこちらが立たず、という王手飛車取り、ダブルリーチかけられている状態だという。なにしろ金のことだけでも、問題になっている額が20億以上、で、彼の今の年収が600万(Nくん談)。これはドウニカシナクテハとかドウシタライイダロウとかいう段の話にもなったものに非ず。その惨状に同情したいが、あまりのことに実感がわかぬ。とにかく、がんばってくれという言葉だけ伝えといて欲しいとことづけるしか出来ず。イヤモウ、鶴岡がナニを悩んだって、これに比べれば屁みたいなもの。
6時半、K子と銀座線で待ち合わせ、銀座まで出る。こないだの能登旅行メンバーによる能登思い出し飲み会於のとだらぼち。道で談之助夫妻と落ち合って向かう。植木さんが先に来て、一人で初めていた。開田夫妻もやってきて、コンカイワシ、ふぐ卵巣ぬか漬け、ししっぽ(ホウボウ)塩焼き、つと豆腐と水ブキの貝焼き、塩辛三種などとって酒盛り。さっきの負債の話とかライターのB(M)ちゃんの話とか、ロッパ日記だとかオープンルームの話だとかなんだとかで盛り上がる。コンカイワシの凶暴な塩っぱさの中のじんわりと染み渡るうまみが感動的。ししっぽは驚くくらい上品な淡泊さ。総勢7人で竹葉一升瓶空けてなお足りず、三合徳利を追加。さんなみのと きより飲んだんではないか。11時頃、霧雨の中を出て、タクシーで帰る。