裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

5日

日曜日

北島シャンブロウ

 はるばる来たぜ火星植民地(ノースウエスト・スミス)。朝7時起床。言葉使いにやたらうるさいおでん屋でこっちの言った成句の使い方の間違いを訂正されて腹がたつ、という夢を見る。二日続けて腹の立つ夢だ。『ハリケンジャー』後半だけ見る。脚本は先週ほどの完成度でなし。とはいえ、工夫が凄い。ハムスターになってしまっている西田健が“ああ、早くもとのビジュアル系に戻りたい”と嘆くところなども抱腹絶倒である。火サスの殺され役くらいしか最近みない西田だが、昔は『チョンマゲ90分!』とかでコントをやっていたし、憎まれ役をやる人はギャグ演技の出来る人なのだ。ギャグと言えば敵女性幹部の演技とギャグはまるきり中野貴雄作品である。こういうものを演出させてみたいものだが、あの人もなかなかエラくならない。新東宝系で新作ポルノ映画撮ったらしいが、まだ上映されているだろうか。やっていたら見に行きたいものだ。朝食、ハムとチーズの焼きサンド、ゴマの冷ポタージュ。

 読売の書評、今回はそれぞれに工夫を凝らした後あり、ちょっとは読めるが、個性ある人がいない。外はまさに五月晴れの空、風もさわやか。窓を開け放して仕事場の空気を入れ換える。K子に恵比寿の同人誌に採録用のB級貸本SFマンガ、数冊見本で見せる。昨日のBさんからメール、沙村さんもゆうべは楽しかったと言ってくれていたとか。酔っての人格には自信がない人間なので、ホッとする。ネット巡回、ひさびさにTINAMIXをのぞいてみたら秋まで休刊とあり。コミックファン休刊と合わせ、これで伊藤くんの文章を読める場がまたなくなった。

 昼はこないだのみぞれ鍋の残りに冷凍の讃岐うどんぶちこんで食べる。食後に完全無添加豆乳というものを飲んだが、やはり豆乳なんてものは何か添加してくれてなくてはまずくて飲めたものでない。と学会誌用の原稿、書き出す。今日はパソコンのケアに平塚くん来てくれて、夜までツブれる予定なので、それまでに片づけてしまおうと思ったが、書いているうちにどんどん延びて、結局半分までしか書けず、明日に持ち越す。最近、ちょっと評論ぽい文章になると軽く流して書くことが出来ず、妙に力が入る。売文業としては困ったもんである。

 3時、平塚くん来。先般からのブラウザの不調などを見て、徹底的にメンテナンスしてくれる予定である。私は、その時間を利用して、乱雑を極める仕事場を少しは整理しようとする。しかし、当然のごとくはかどらず。それでも仕事机の片側、資料棚に近づけないほど床が乱雑を極めていた(棚の資料を取るときは前のめりになり、棚に手をかけて体を支えて取っていた)のをスッキリさせ、書き物テーブルの上をキレイにしただけで、まず所期の目的は8割方成功。ずいぶん低い目標設定である。

 片づけたテーブルの上に、ナンビョーさんの旦那さんの持ち物だったという書院のワープロを置き、ちょっと使ってみる。前に、古い書院がダメになり、ワープロ時代のフロッピー原稿が読みとれなくなった、と日記に書いたら、ナンビョーさんがわざわざ送ってくれたもの。送ってもらってすぐ使用したのだが、そのあと、仕事場に光通信のための設備検査が入り、乱雑を極めた状況になったので中断したままであったのだった。フロッピーを片端から検査してみる。ちゃんと読みとれるのもあり、やはりダメなものもあり。しかし、大半がこれでサルベイジ出来るとわかったので、ホッとする。それにしてもこの書院(WD−880EX)、大きさが45×38もあり、カラー印刷、パソコン通信、インターネット、写真画像取り込みなどが出来るというもの。パソコンに対抗してどんどん性能をつけくわえた結果、巨大化を招いてしまった恐竜のような器機である。

 整理したフロッピー原稿で、94年の日記というのがあったので、ちょっと読んでみたが、イヤハヤ。ずーんと暗い気持になる。94年というのは確かに記憶でも、本は出ないは仕事は減るは金はないはという不調な年だったが、日記の記述を見るとその記憶以上に暗く、落ち込んでいる自分がいる。“なんでこう何もかもうまくいかないのか”とか、“オレの駄目な部分炸裂という感じ”だとか、“これで今週の仕事全部。情けない”とか、グチるグチる。前年にオノプロを閉じて、これで記憶ではライターに専念することが出来て、以降右肩上がりだと思っていたのだが、その前にこの奈落の年があったのですな。単行本は一冊『森由岐子の世界』が出ただけで、それもトラブルで絶版、しかもオノプロの社員で他へ移らなかった人へサラリーを支払い続けねばならず、という状況。まあ、そんな中でも本だけはヤケクソ気味に買い続けているのが感心と言えば感心だが。

 しかし、この年の“なんとかしなければ”という状況が、一念発起につながり、翌年に本を6冊、翌々年には12冊刊行する、という暴挙のような手段を私にとらせることになる。自分の領域がカルトなもので一般に浸透しにくいのなら、数を多く出して人目につくようにし、強引に浸透させればよろしい、という発想の転換である。この一年の“タメ”がなければ、あのような無謀なバイタリティはとても湧かせられなかったろう。底辺を這いずった経験あればこそ、何とか今の自分がいるのかも、とも思える。しかし、いまだ8年前というのはそこそこに生臭く、笑って語れるまでにはいかない。死んだ青山正明に相談したこともあるのだな、すっかり忘れていた。青山氏、私に雑誌の編集をやんなさいと勧めている。雑誌の編集をやれば、たとえ雇われでも、そこに執筆している著名人たちをカラサワさんがプロデュースしているというイメージを世間に与えることが出来、カラサワさんの名を世間に認知させることができる、と、大変親身に助言してくれている。つくづくいい人だった。もっとも、このときの青山氏はまだ逮捕前で、再婚も間近ということもあり、言うことが大変に楽観的でトリトメがちょっとなかったように覚えているが。

 3時からはじまったメンテ、7時半までかかる。片付けもフロッピーテストもあぐね、渡部昇一・谷沢永一『広辞苑の嘘』(光文社)など読む。嘘と言っても本当に真意をネジ曲げているというのは数カ所に過ぎず、あとはいいがかりという感じ。7時前に大体終わり、最後にATOKを12から14にバージョンアップしようとして、辞書のコピーがうまくいかず、ついに次回回しとなる。なんかひとつ、うまくいかないところもまあ、魔除けとしてあっていい。平塚くんにご苦労さまでなんか晩飯でもおごりたかったが、連休の一日をつぶしたわけで、早く奥さんの元へ帰りたい様子。無理もない。また今度ということに。8時、K子と新宿へ出る。三笠会館に行くが満員。やはり、他に開いている店が少ないためだろう。開いていりゃどこでも、と、区役所通りの『とらふぐ亭』で、季節はずれのふぐ鍋を食う。食べながら、同人誌関係の打ち合わせ。生二ハイ、ひれ酒二ハイ。帰宅して寝ようとするが、窓を開け放していたので、小さい羽虫が入り込んでいる。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa