11日
土曜日
皇族エスパー
庶民より偉いんだ 輝く菊紋かっこいいぞ。朝7時起床。夢で私はモノカキだけでは食えないのでビデオ映像制作会社のスタッフをアルバイトでやっているのだが、この会社もまた、それだけでは食えないので政府要人などの誘拐も受け負っている。撮影機材運搬車が実は相手の車を丸ごと飲み込む仕掛になっており、今日も人気のない山道でその車を待ち伏せしているのだが、時間がだいぶあり、依頼主からの手紙を退屈まぎれに読んでいると、その依頼主は出版社で、私の単行本出版の企画書が中に偶然はさまっている。その企画書に曰く“この著者は面白いものは持っているが自分を安く売りすぎ。カダン社などからまで本を出すのは業界の崖っぷちねらいとしか言いようがない”などと書かれていて苦笑したところで目が覚めた。“カダン社”という社名ははっきり覚えていて、社名は違うが、イメージでは実在する某社(今は仕事していない)のこととして認識していた。
朝食、オートミールとカップコンソメ。ポンカン半個。北朝鮮の亡命家族事件の日本大使館の反応に対し非難囂々だけど、そう簡単にアレハイカンと言えるのか。あそこで毅然としてあの亡命家族を受け入れたら、ソウカ、日本は亡命者を守って受け入れてくれるのかと認識した難民がドッとなだれ込んでくるではないか。日本がこれまで亡命者問題であまり頭を悩ませないで済んでいたのは、“あそこの国の大使館は頼りないから駆け込んでもムダ”と思われていたからなのである。佐賀肥前藩は江戸時代を通じて、江戸への留守居役家老に、取り分けて無能な人間ばかりを選んでつけていたという。なまじ才能のある者を置き、幕府との対応で切れ者的なところを見せつけたりしてはかえってにらまれる。相手もこれではマトモに話が出来ん、と呆れて無視してくれるようなどうしようもない外交官ばかりを置き、結果、外様の身で江戸時代三○○年を鍋島騒動などの内輪揉めを経ながら無傷で過ごし切った。今の日本の外交は結果的ではあるが、同じ効果を果たしているんである。
午前中はフィギュア王の依頼原稿。赤塚不二夫のキャラを使った花札(水木しげるの妖怪花札の第二段)の解説である。水木バージョンのように、“芒に月”の札を鬼太郎の頭の上に乗った目玉親父に置き換えるといった斬新奇抜なデザインのものはないが、イヤミ、ニャロメといったメジャーキャラクターからそんごくん(ああ、懐かしい)やスケ番ケロ子、B.C.アダムといったマイナーキャラまで揃えた、赤塚フリーク期を持ったことのある世代にはたまらん代物。と、言うか、編集部のN田くんから、これ全部わかるのはカラサワさんくらいしかいないので、と頼まれたのだ。それでも泡沫キャラで一人、見たこともないのがいた。しかし、ここまで凝ってくれると、なんでガリレ夫(カメラ小僧篠山紀信)がいて一郎くん(『おた助くん』の)がいないのだとか、『まかせて長太』はどうしたとか、文句もいろいろ言いたくなってくる。まあ、それをしっかりねらっているんではあろうが。
予定では今日は3時からサイン会なので、一時間程この花札キャプションを終え、神田で古書展に寄って、それから新宿に戻り……とか考えていたのだが、原稿がなかなか終わらず、完成してメールしたのが2時15分という有様。たかだかキャプションとあなどっていたが、字数換算すると、48種類、一枚につき80ワードデコボコとしても400字詰め10枚弱。3時間は優にかかる枚数なのであった。古書展は諦めて、すぐ新宿ルミネへ。
いろいろ待ち合わせ場所が変更になったりなんだりでドタバタしたが、K子と村崎さんと三人、3時に青山ブックセンターでトークショー。と学会のメンバーや裏モノなどからの参加者もいる。M川さん、I木さんなども来てくれた。あとナンビョーさんのところの人も何人か。話題はもう、ノッケから亡命事件、ニューカレドニア殺人事件、日木流奈くんばなしなどアブないアブない。村崎さんは基本的に一人ツッコミの人なので、こちらはそれを受けて観客相手に還元することを心がける。ここらへんが、トークの面白いところで、対談者に受けても観客には全然伝わらない時がある。こういう立ち見の場所で、客に十分にラポールがかかっていないとき、人というのは話のベクトルが自分たちの方に向いているな、と感じないと笑えないという性質を有するのである。いわゆる“通”という連中は、舞台上のベクトルが内向きのもので笑う人種、と定義できそうである。だから通どもの演芸評、演劇評、映画評その他は一般には役に立たないのである。
予定時間は45分くらい、ということだったが、さて、そろそろ半分くらいかな、と思って腕時計を見たら、もう40分過ぎ。大急ぎでまとめ、宣伝をして終える。われながら話のまとめ方の器用なことはイヤになる程。トーク後、ABCの企画担当のTさんが、“今日は私、話の内容は聞かなかったことにしておきます”と笑いながら言う。でも村崎さんなんかは十分の一も本音を出していなかったんだろうなあ。その後サイン会をし、アルバイト用の休息室でお車代貰って、ルミネ上のイタリアン居酒屋みたいなところで、アスペクトの営業さんたちと打ち上げ。この時間(4時半)からアルコール入れるとちょっと、と思ったが、どうせ今日はもう原稿書いたし、と開きなおりハーフ&ハーフ。ABCのTさんとK子は『UA! ライブラリー』の納入の件を打ち合わせしていた。ここでの売れ行きがすさまじく、遂に本店からまで注文が来たそうだ。私とK田くん、村崎さんはどうしようもない編集者・ライターの悪口ばなしで盛り上がった。アスペクトさんの次はこの日記の出版になるのか、それとも『社会派くん2』か?
5時半、辞去してタクシーで帰宅。さすがにアルコールが中途半端になってダルくなり、横になって休む。王仁湘『中国飲食文化』(青土社)、読み始める。6800円もする大部な本で(寝床で読むには適さない重さである)あるが、2001年11月に初版が刊行されて、翌年2月にはもう2刷になっているのが凄い。まだ読み始めたばかりだが、中国文献の翻訳文というのは英語圏のそれに比べ、何かどこかに明治時代の演説のようなイメージがあるのがオモシロイ。漢文の構成の性質によるものなのだろう。この本の冒頭の文章、
「飲食の道には、もともと奥深い学問などないように見える。酸味、甘味、辣味、鹹味、淡味、香味、皿のなかの味を知らない人がいるであろうか」
というのと、同じ食文化本でヨーロッパのそれのことを論じたスティーブン・ネメル『食卓の歴史』(中央公論社)の同じく冒頭、
「“甲の肉は乙の毒”“人おのおのに嗜好あり”“味覚に論争の余地はない”。このような民間の言い習わしは、食べ物の好き嫌いは純粋に個人的なものだ、という前提が一般にあることを表している」
を比べてみると、どちらも冒頭の文ゆえ大上段に構えてはいるが、やはり前者の方がかなり大時代的に感じられる。“であろうか”のあたり、“だろうか”と訳してもよかりそうなものなのだが、やはり中国文献の場合は“であろうか”になるのが自然なのである。これは訳者が前者は男性、後者は女性ということを割り引いても感じら れる特性ではないか。
8時まで休んで、それから神山町のスーパーで買い物、その足で『船山』でK子と夕食。おまかせで頼む。フカヒレの煮こごり、和風チーズ、ヤマモモの甘露煮の前菜に、ホウボウ、石垣鯛、カマス、鳥貝などの刺身盛り合わせ、白ムツの塩焼き、石鯛のカブト蒸し。それに穴子の炙り焼きで御飯。ムツという魚は焼いて食えるものとは知らなかったが、この塩焼きは淡泊な中に滋味が濃縮されて(これは遠赤でじっくり焼くためだろう)、上品というのでなく、文明に毒されてない素朴なうまみ、という感じ。石鯛カブト蒸しは可食部分が少ないのが難だが、清冽なおいしさ。さっき読んだばかりの『中国飲食文化』に、“蒸すという調理法は東洋に特有の調理技法でありフランスなどでも料理人には蒸すという概念がない。西洋人はのちに蒸気機関を発明したが、東洋は調理においてはるかに早くに蒸気エネルギー利用を行ってきた”というくだりがあって面白く読んだので、そのことを思い出した。穴子の炙り焼きは一旦煮付けたものをさっと炙っているので柔らかさとパリパリ感が一緒に味わえ、しかもそれを蕗味噌で食べるという工夫が御飯を一層進ませる。隣にヨーロッパ人らしい老人二人(後で聞いたらウィーンから来たらしい)が、日本女性の案内でここの和食を食べにきていた。いい感じの二人だったが、さて、どういう感想をこの料理に持ったことであろうか。生ビール一杯、熱燗三合。