裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

日曜日

太モモレンジャー

 朝食、サツマイモに茹で卵ソースかけて。イチゴ数粒。いろいろやることあるもテンションあがらず。インターネットで馬鹿な連中の掲示板などのぞいて笑う。岡田斗司夫の『封印』に触れて、“いかに反・岡田側の人間が彼の姿勢を糾弾しようと、この話術ある限り、絶対に岡田斗司夫は超えられない”と書いてあるサイトがあった。これは全く同感。

 SPGFの替え歌、どんどん出来る。一曲作ってUPして、フロ入って鼻歌うたっているうちにまた一曲出来てしまい、あがってすぐUPしたりする。オウムのときもそうだったが、シャクティパットとか定説とかミイラとか紫色とか、キーワードの多さが替え歌の作りやすさに正比例している。

 E社の最終ゲラチェック。一箇所、ピカチュウの形したパンを、連載のときは使ったが今回はE社の方がビビって差し替えになり、図版説明がなんのことやらわからなくなっているのが一点あるので、そこらへんを説明する。他はあまり訂正なし。

 昼は自家製親子丼。ダシの取りかげんが絶妙の出来になり、食べながら“うーん、うまい”と興奮した。自分で作って自分で食べてうまいうまいと喜んでいちゃ世話はない。

 4時ころ出宅。今日は特撮ファンクラブ『G』の例祭。平山亨氏がいらっしゃるので、私が項目担当した朝日新聞社『週刊20世紀』の仮面ライダーの載っている号を差しあげようと、渋谷の書店回るが、パルコ、大盛堂、紀伊国屋と、三店回って、どこも1971年号だけ売り切れ。マが悪いというか、そんな1971年、人気ある年か。

 諦めて新宿へ向い、西武新宿線で野方へ。会場の野方青年館に行き、会場の三階へ行こうと階段あがりかけたら、床を見つめていた視線の中に、小さな、女性の素足がひょっ、と入ってきた。こういう場所で素足を目にするのはあまりない経験である。驚いて目をあげると、空手着姿の、13歳くらいの美少女だった。胸に卍のマークが縫い取られている。特撮ファンクラブ大会の横の部屋で、武道大会も行われていたのであった。少女の素足にドキリとしたのは生まれて初めての経験。足フェチの気持ちが少しわかったような気がした。

 楽屋で田中文雄、平山亨両氏に挨拶。さっきの素足の少女の話を平山さんにしたら平山さんが“ボクは女性は太ももが一番色っぽいと思う”と珍しく女性の色気について話してくれ、“日本で一番色っぽい太ももの持主は由美かおるだと思うなあ”と実感こめて言った。“子供だってテレビ見る年になれば色気ってものはわかるんだよ。モモレンジャーってのは、その色っぽさを作品に入れたかったんだね”“最初はピンクレンジャーって言う名前だったんだけど、なんかピンとこない。いろいろ考えているうちに、ピンクは桃、最初のアイデアでは太モモだったんだから、じゃあモモレンジャーで行こう、と決めたんだ”そうな。“それが最初に決まったんで、後のもみんな英語をやめてアカレンジャーアオレンジャーにして、初期タイトルのファイブレンジャーってタイトルまで『ゴレンジャー』になってしまったんだな”・・・・・・全てはプロデューサーが由美かおるの太モモに惚れたところから生まれたわけですな。

 今日はご両人に挨拶するだけのつもりだったが、急遽、壇上に上がらせられることになり、鼎談『惑星大戦争対宇宙からのメッセージ』に加わる。『スターウォーズ』騒動の中、東宝と東映がいかにそのパチモンを作るべくドタバタしたかの話、まことに面白い。二十年前の私だったら、そもそも急場でパチモン作るその姿勢をキュウダンしたことであろうが、今ご両所から現場の話をお聞きすると、そのドタバタこそ映画の現場だ、という感じがして、無暗にウレシい。まったく年は取りたいもの。ムーダーとして、ギャグをどんどん飛ばし、会場を笑わせることに務む。この『G』って団体は純粋特撮ファンクラブの老舗であり、従って会員も古手のオタクが多く、はっきり言って客席全体が“くすんで”いる。このくすみが、オタクのアイデンティティを強固に形作ったんだなあ、とは思うが、も少し何とかならんかいな、とはいつも思う。

 8時、会場を辞して新宿へ出て、K子と九州料理の店で食事。関サバ、寒ブリ、生牡蛎など。地酒でちょっと酔う。

・今日のお料理「自家製親子丼」
 唐沢流親子丼はタマネギでなく長ネギを使う。青いところの方がおいしい。小さめの鍋かフライパンにゴマ油をちょっとしき、ネギ、鶏肉、油揚げ細切り、エリンギ薄切りを入れて軽く炒め、酒を振りかけ、出し汁、薄口しょうゆで煮る。溶き卵を流し入れ、ふわりと固まったところでご飯にかける。これは私の好みだが、ご飯は冷飯の方がおいしい。

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