15日
月曜日
日記の魔
朝、ルパン三世新作長編一本まるまる分の夢を見る。残念ながら声がクリカン。どうせ夢なら山田康雄バージョンで見たい。それにしても、山田康雄の声も富山敬の声ももう聞かれない世の中など、ナンピトが想像しえたことであろうか。
朝食、ソラマメとソーセージ炒め、ポーチドエッグ。飼い猫のざう(名前)が、このごろ後足をけいれんさせるように震わす。何か病気かというので女房が病院へ連れていく。診断では神経症ということ。季節の変わり目でアンニュイになったか? 向精神薬が出る。このテのクスリをのんでいることを、頭が上等な証拠とでも言うように自慢するヤツがいるが、なに、ネコだってのむ。
E社の仕事残り、だだだ、と言うわけにはまいらず。連載当時の時事ネタのため、丸々書きなおさねばならぬ項目がいくつもあり、それが雨の日はメンドくさくてならない。K子と食事に出て、スパゲティ食う。スパゲティなんてものはセツない食い物なり。
パルコブックセンターで小説すばる、買って読む。内田春菊のところがスゴいことになっているようである。『CUTIE COMIC』の著者近況でおなかに他人の子供宿したまま家出した、と読んだときにはマジか、と思ったが、どうもマジのようである。つくづく火宅の女であることよ。
しかしながら、誰が春菊に良妻賢母を望んだか。最初の妊娠騒ぎのときだって、彼女が堂々とキチクな行為をやりおおせたことに世間は喝采を送ったのではないか。世間はキチクな女が好きなのである。ただし、うまくキチクをやれる女をだが。今回のはどうも、うまくない。
E社の原稿、半分やってバテ、『メンズウォーカー』の依頼原稿の方を先にやる。あなたの人生に影響を与えたマンガ、ということで、『サザエさん』を取り上げる。私に依頼してくるんだから、もっとカルトな作家を取り上げるだろうと期待していたのだろうが、そうはいかない。人生に影響を与えたというなら、なにしろ幼少期、この作品に接していた時間は手塚マンガや藤子マンガの比ではなく大きい。それに、ときどき作者の内輪話が出てくるのが“業界人のエピソード”として子供ごころに極めて興味深かった。なをきだって、長谷川町子の話を読んで、最初に“マンガ家になろう!”と思ったはずなのである。
『サザエさん』単行本を読み返すうちに止まらなくなる。大きな起伏があるわけでもない、平凡な日々がネネクリネネクリ続いて、その記録が累積されていく。まさにここに、この作品の強烈な中毒性がある。人の日記を読むのが面白いのと同じなのだ。現代小説がダメになったのは、ハードボイルド小説以降、この“日々の記録”の魅力を失ってしまったからである。ディケンズやウィルキー・コリンズなど19世紀小説には、確かにこの日録の魔魅が存在していた。
7時、E社Kくん、雨の中、完成した分のゲラを届けにきてくれる。後書代わりの日記の中に偶然、春菊のことを書いていた。世間の期待に彼女ほどサービス精神旺盛な女性はいない、と書いてある。果然、それを実行したわけね。
8時半、新宿の寿司屋で夕食。甘エビ、赤貝、アナゴなど。一時間ほどカラオケで歌って帰る。