6日
土曜日
日高悟郎ショー
朝7時、食堂車で朝飯。和・洋食揃っているということだったが、この時間でもう和食は売り切れ。少し用意が少なすぎるように思う。ハム・ソーセージ、掻き卵、サラダ、果物。パンがうまいのが結構だが、駅に停車するとホームから食事しているところが丸見え。ラウンジでタカツカヒカルの映画『未知への旅人』をやっていて、旅客が真剣な顔で見ていた。
札幌駅9時20分到着、3人に先にタクシーで家へ向かわせ、忙しくてとうとう東京でいけなかったヘアカット。朝こんな時間だからと甘く見ていたら、2軒で満員。札幌人は朝からそんなに身だしなみを大切にするのか?
3軒目でやってもらっていたらラジオで日高悟郎がしゃべっていた。これを聞くと北海道に来たんだな、という感じになる。ただしイヤ〜な感じだが。絵本朗読というコーナーで、その日読んだ篠塚かおりの『小さなクレヨン』のテーマを“これは非常にわかりやすい。ものを大切にしようということだ”と言っていて、呆れかえる。子供相手ならともかく、大人が聞く番組でこんな表層的な理解でいいのか。この本がテレビで紹介されて“大人たちに”再評価されたのは、現代人がいま、直面しているアイデンティティの再拾得問題を描いた話だからではないか。
この男、スケベで冗談ばかり言っているが人と人のふれあいを常に大事にし、心のつながりの大切さを折りに触れて説教タレるという、北海道人にいかにもハマる芸風で、昔から大嫌いだった。こいつにカモにされているというだけで北海道人はバカだと思う。ただし、自分の売り方についてしたたかだなと思うのは、ほとんど北海道でだけしか仕事がないと思うのに、いまだに東京に在住して、週末のみこっちへやってきている、というスタンスを保っていること。田舎者というのは都会からその空気を持ってやってくる芸人に昔からヨワいのだ。北海道人よ、東京では日高悟郎なんて、ダレも知らないぞ。
そこから実家へ。すでに東京の中田親子、こちらの坂部伯母とナミ子姉(いずれも親戚)が来ている。親父、こないだ見舞ったときよりいっそう痩せたが、元気で、意識もしっかりしており、人の名前を呼んだり、字を書いて意志を疎通させている。誰かに似ていると思ったが、そうそう、痩せて中野昭慶にソックリになった。
母が大車輪で、父の看病の上にみんなにカニをはじめとする大ごちそう。中田伯母と息子の秀生兄は北斗星よりワンランク上のカシオペアでこちらへ来たそうで、K子がその予約方法を訊ねていた。カシオペアは超人気で、個人ではほぼ予約不可能と言われているのだ。何と中田では××から手を回させているという。
なをきを手伝って親父を風呂に入れさせ、それからホテルにチェックインする。このホテル予約は北斗星ツアーに入っていて、どうせ実家に泊まるから、と、一番安いところを予約しておいたのだが、実家は今回は結婚式であわただしいから、と、そこに実際に宿泊することにした。一番安いところだけあって、行商宿のようなうら悲しい雰囲気の宿である。そこから、なをき夫婦はマンガ家の菅野博士夫妻の住んでいる新札幌(厚別)へ。われわれは知り合いの古書店主たちと飲む予定ですすきのへ行くのだが、時間があるので実家の薬局で、明日の新郎である養子を激励。ヨメさんも来ていたので、歩いて5分の新居にちょっと寄る。養子の生母が来て、いろいろ片付けものをしていた。この生母はちょっとオカルトがかった人物で、竜神さまを信じ、やれ生まれ変わりだやれ世の立て直しだと、その言動にはいささかついていけないところが多い。しかしながら、この竜神さまが縁で、その息子がおふくろと知り合うことになり、わが家に養子にくることになり、われわれ兄弟二人が継がなかった薬局を継いでくれることになり、両親も安堵して、いささかミゾの入りかけていた親とわれわれの仲も非常に良好になった。そう思うと、竜神サマもあながちインチキだったとは言えないわけのモンなのである。
まだ時間に間があるのですすきのの成美堂古書店で本をあさり、昭和三十年代の精神病治療の本を見つける。中に資料として掲載されている精神病患者たちの写真がアブナいことこの上なし。成美堂には高校時代からずっと通っているが、非常に本の並べ方が雑なところで、売場に飼い犬(しかもデカい)がウロついていたりする。ここで掘り出し物を見つけたのはこれが初めてではないか?
古書須雅屋夫妻、じゃんくまうす夫妻、彼らの中学生のお嬢さん(生きているマンガ家が一度見たいというのでついてきた)、それにこないだ東京に来たネールアートモデルの志摩さんと、すすきので乾杯。古書業界の話いろいろ聞く。志摩さん、じゃんくまうすの娘さんが私立の女子高に行く予定と聞いて
「私立女子高なんて、頭の軽い女か尻の軽い女しかいませんよォ」
と、将来を悲観させる(笑)。11時まで飲んで解散。しゃれた店であったが、会計が驚くほど安かった。