裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

19日

月曜日

「八ッ場ダムの建設、やッぴ!」(前原国交省)

なぜ“ッ”を“ン”と読むのか?

※S社某誌インタビュー

朝9時までぐっすり。
昨日、昼寝をしっかりしていてもこれ。
寝床でメールチェック。某誌からインタビュー依頼
あるも、連絡がとれないとオノの元にメール来たとか。
たぶん、前の携帯番号にかけているのだろう。

起きだして、日記つけしながら朝食、ジャムマーガリンパン。
昔YMCAのキャンプで食べて、こんなうまいものが世の中に
あるか、と思ったのが焼かない食パンに安いイチゴジャムと
マーガリンをべったり塗って齧りつく朝ご飯だった。
なんだかんだ言ってわが家はお上品な家だったので、そういう俗な
ものは食べたことがなかったのだ。
今でもイチゴジャムとマーガリンの取り合わせには抵抗できない。

剛竜馬死去の報で驚く。
肝硬変にもかかわらず酒を飲み続けていると聞いていたから、
まあこれも加藤和彦と同じく自殺みたいなものだな、と思って
いたが、敗血症とはいかに。
酒の肴によく見る『新日本プロレス名勝負三十・昭和名勝負編』
での藤波辰巳戦(1978年)での剛は本当に、アニメの
主人公(もちろん昭和アニメの主人公)みたいないい男だった。
一本々々の技の迫力は藤波よりあったが、切り返しのうまさで
まさる藤波に一本取られていた。剛の師匠のヒロ・マツダ自身、藤波の
方を褒めていたくらいで、まあ仕方ないと言え……。

剛には自分自身をプロモートしていく能力が欠けていた。
それは新日にも全日にもいられなくなった後の彼の迷走ぶりが
十分に物語っている。弱小団体を作っては潰しの連続。
あまりのデタラメぶりに“バカ”という愛称さえつけられ、
彼の登場で会場にバカコールがあふれ、渦を巻く、などという
盛り上がり(?)ぶりを見せ、これはそれなりにブレイクする
のでは、という予感さえ抱かせたが、残念ながらそれを活かす
ことすら出来なかった。

その後は思い出すのもつらいエピソードしかない。
ホモビデオに出演しただの、かっぱらいで逮捕されただの……。
2002年、新日プロ30周年記念興業を見にいったとき、
友人とホモビデオの話で“悲しく“盛り上がったのを思いだす。
さすが物好きの私も、そのビデオを探してネタにする気には
なれなかった。そのときのリングにはゲストとして
アニマル浜口、寺西勇、若松市政など国際出身のレスラーも
上がっていたが、当然、剛の姿はなかった。
18日、敗血症で死去。53歳。

12時、母の室で昼食。
納豆、牛肉と野菜炒め、味噌汁。
テレビは加藤和彦の自殺一辺倒、母曰く
「すっかりくわしくなっちゃったわよ」
と。。

4時、朝電話で連絡とったS社のKさんとヴェローチェで
待ち合わせ。以前、時間割でインタビューに応じたことのある
人だった。時間割、なくなっちゃったんですよと言ったら
大いに驚き残念がってくれた。

野村監督の辞任劇でのグチ攻勢を記事にすることで、日本における
グチというものの役割について語れ、と言われて、なるほど、と
思い、そこから“日本史を変えたグチ”について語り、そこから
“日本グチ国家論”に及び、“グチ不可欠論”にまで達する論説を
展開する。たぶん1/10、いや1/20も記事には反映されまいが
Kさんが喜んで聞くものだからつい、フロシキを広げてしまう。
帰り際にちょっと思わせぶりなこと、聞かされたが、さて。

サントクに寄って帰り、仕事しようかと思ったがまるで手につかず。
雑念で頭がいっぱい。ま、こういうこともあらあな。
ルナのディケイドに行くつもりが、いつの間にか時間過ぎてしまっていた。
9時、夕食。玉こん煮付け、オクラおろし、餡かけ豆腐にイワシ塩焼き
と揃えたら多すぎて腹にもたれてしまった。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa