裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

12日

月曜日

ハブ空港っていうから沖縄にあるんだと

じゃ、インドのはコブラ空港か、美濃にあれば毒蝮空港か。

※台本直し、打ち合わせ&食事会

この頃、朝4時台に目を覚し、本など読んで、
それで6時ころまた寝て、8時半もしくは9時半にまた目を覚す、
というパターン。

で、二度寝のときの夢。
かなりヘビーな夢で、911のWTCの飛行機突入からビル崩壊までの
人々の地獄絵図。ロープをつたって地上に降りようとする人々を、
視点をビルと平行に見たシーン(つまり、力つきて落下していく人々は
真横に落ちていく)や、絶望した人々の各フロアでの人間性が壊れた
行動などが、夢のことだから脈絡はないが、これでもかというくらい続く。
猟奇的場面が長々繰り広げられる中でも、ビルの崩壊は迫ってくる……。

目を覚して、しばらく起きがけのサージ(心臓のドキドキ)がおさまる
のを待つ。6月の入院騒動以来、これが唯一といえば唯一、残った
後遺症といったところか。

ベッドで携帯のニュースを見てたら江畑謙介氏、10日に
死去との報。まだ60歳。
10日、呼吸不全のために死去。享年60。

湾岸戦争で一番印象に残っているのはパトリオットでも
スカッドAでもなく、それらの解説を行う彼の髪形だった。
民放がそればかり話題にするのに激怒してNHK以外の局には
出演しなくなったという噂があるが、実際、あの髪形は
どこの店でヘアカットしているのか、どうしても知りたくなって
しまうのが、まさに湾岸戦争を
「映像時代の戦争」
と彼が分析したように、映像時代というものの恐さなのだろう。
兵器の性能と運用の熟知から来る彼の戦争分析はお見事の一言で、
これくらい外見でソンをしている人はいなかった。

しかし、実生活にはあの髪形も何等影響を及ぼさなかったようで、
それまで一介の軍事オタクとして“当然“独身のまま、女性との
つきあいもなく(そう当時雑誌に紹介されていた)世界の兵器や
軍事情勢研究にいそしんでいた彼が、湾岸戦争報道で一躍スターに
なった翌年の92年に15歳(だったか)年下の女性と結婚。
夫人は軍女(軍事オタク女子)だそうで、趣味が呼び合う
縁だったようだ。そのアツアツぶりは有名で、
「ゆみちゃん」「センセイ!」
と呼び合って周囲をアテまくっていたとか。

奥様がさぞ、お嘆きのことだろうが、嘆きは私たちも同じである。
北をめぐる状況、世間がアフガニスタンにどんどこ軍を送っている
大統領にノーベル平和賞を送るというボケぶりを見せているなか、
彼の分析力がいまこそ求められているところだった。
哀惜の念を込めて黙祷を捧げたい。

注文した本が母の室に届いていた。昨日来て、留守だったので
こっちに届けたのだろう。融通の利くことである。
洗面所の電球もこないだ切れたのが新しく届く。
通販中毒。

母の室でブランチ。野菜の酒粕和え、ブロッコリの味噌汁、手毬筋子
でご飯二膳。味噌汁の実のブロッコリは何も青いものが無かったので
仕方なく、ということだったが香ばしくて意外な旨さ。

自室に帰って『オールド・フランケンシュタイン』台本。
登場人物、結局(もうフライヤーが間に合わないので)今使える
劇団員と客演さんのみでやることにし、登場予定人物を少し整理
したり、二人の役を一人に兼ねさせたりという変更。
これでほぼ半日つぶす。
ずいぶん無理をしなくてはいけない部分もあったが、逆に思わぬ
効果が出て、演劇的になった部分もあり。

根を詰めて仕事したので、夕方になった、少し横になって休む。
たまたま手にとった半藤一利『決定版・日本のいちばん長い日』
読んだら止まらなくなる。大学生の頃、古本屋で買った、まだ
大宅壮一編になっていたこの文庫版、むさ苦しい下宿で興奮しながら
一気呵成に三回、読み返したのを思いだす。

洗面所の電球を新しく付け替え、実験みたいにたまたまそこにあった
スヌーピードライヤーを写真に撮ってmixiにアップ。
夕方、また台本に戻って、結末までのストーリィをまとめあげる。
オチも改訂。あとは場面ごとに書いていくだけ。

6時半、バスで中野へ。金竜門でオノとマドと待ち合わせ。
17日用の資料をもらい、また『オールド・フランケンシュタイン』
のフライヤーデザインを受け取る。

シャオヤンロウ食べながら仕事の話、その他の話いろいろ。
この店で打ち合わせはオノのリクエストで、特製ニラミソが仕上がった
という。作るのに一年(前に一ヶ月と書いた記憶があるが、正しくは
一年だそうな)かかるという。花韮を塩漬けにして発酵させ、それを
フードプロセッサーにかけたのではないか、と想像するが……。
ともあれ、絶品。肉をお代わりし、紹興酒もお代わり。

9時過ぎ、帰宅。
すごく嬉しいことと、チッ、と舌打ちすることと、二つの情報
あったが、どちらかというと嬉しいことの方が勝っていて、
ご機嫌になりホッピーでさらに祝杯あげてしまった。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa