裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

29日

月曜日

パラボラ殺人

レーダー室で殺されていたんですよ!

※コミケ準備

朝5時ころ床の中で目が覚めてしまい、
所在なさに資料本一冊ほぼ、読破してしまう。
それでも眠れない。
喉がゼイゼイヒューヒューいって、息苦しいこと
この上ない。肺がやられたのじゃないか、と不安になる。
9時半までずっとその調子。

朝食、如例。
母にベリコデ咳止め薬を一服もらってのむ。
大したもので、30分もたたぬうちにスッキリとした。
日記つけがかなり長くかかる。

入浴して、昼飯は2時過ぎ。
母のドライカレー。冷蔵庫の中身一掃のため作ったのだそうで、
野菜たっぷり。

ゆうべ、仕事机の上のあちこちに散らばっていた名刺を
まとめたら、その数が膨大であることに驚く。
今年一年も、いろんな人に出会ったわけ。
仕事に新開拓の分野が多くなった、ということでもある。
来年はさらに多くなりそう。

まだ二日間あって予断を許さぬが、今年の点鬼簿をふりかえると、
“よくもこれだけ亡くなったものかな”と慨嘆せざるを得ず。
考えて見れば平成も20年、昭和の人々が老いて去っていくのも
当然と言えば当然だが。

日記につけ落としていた人々をピックアップすると、
1月2日にR・レスターの『三銃士』『四銃士』、それから私の
大好きな『ローヤル・フラッシュ』、007シリーズ『オクトパシー』
などの脚本を書いた(『ローヤル……』は原作も)英国の作家ジョージ・
マクドナルド・フレイザー死去。全13巻も続いたフラシュマン・
シリーズ(『ローヤル・フラッシュ』はその二巻目の映画化)は
英国史劇ヒーローものの裏返しパロディ(主人公がワルでズルで無責任で
女癖が悪くて……)でありながら、見事にC・S・フォレスターなど
正統派の後を継いだものになっており、これだけ英国史を
茶化していながら、1999年にOBE(大英帝国勲章)を
授かっているのもそのためだろう。よほど英国史に詳しくないと
さっぱり意味がわからない作品ばかりで、邦訳もほとんどないのが
残念である。

1月17日、同じく作家のエドワード・D・ホック死去。
78歳。生涯に1000本の短編ミステリを書いたという多作家だった。
“依頼を受ければどんなものでも盗み出す”という『怪盗ニック』
シリーズのアイデアに初めて触れたときにはその発想にひっくり返った
ものである。

2月7日、評論家の川村二郎死去、80歳。
『銀河と地獄』は大学時代、繰り返し読んで興奮していた。
古怪な幻想、前近代的な魔というようなものの存在に光を当て、
中世の説経節や幸田露伴、泉鏡花などの世界に目を向けさせて
くれた恩人であった。

3月4日、作曲家レナード・ローゼンマン死去。
『エデンの東』『バリー・リンドン』といった名作・大作から
『悪魔の追跡』『ザ・カー』『ロボコップ2』などの怪作・迷作まで
実に幅の広い映画に曲をつけていた。

3月31日、『日曜はダメよ』『トプカピ』などで知られる映画監督
ジュールズ・ダッシン死去。赤狩りでハリウッドを追われてから
ヨーロッパでブレイクし、大作映画監督になったという怪我の巧妙的
な映画人生を送る(そこで愛妻メリナ・メルクーリとも出会う)が、
やはり監督としての本領は上記のような明るい作よりも、『裸の街』
などに代表されるフィルム・ノワールだろう。

4月29日、『ドラゴンVS.7人の吸血鬼』でヒロイン・バネッサを
演じたジュリー・イーゲ死去。64歳。イーゲって変な名前だなと
思っていたらノルウェー人だった。上記作品ではヒロインでありながら
最後は吸血鬼に血を吸われて自らも吸血鬼になり、彼女を愛していた
デビッド・チャンは彼女を道連れに、自らの体を杭に突き刺して自殺。
イギリス人は、東洋人をこのような精神構造の持ち主として見てるんだ
なあ、と見ていて子供心にちょっと違和感を覚えたものだった。

5月29日、メル・ブルックスの『ブレージング・サドル』で悪役
“ヘドレー・ラマー”を演じたコメディアン、ハーヴェイ・コーマン
死去。81歳。映画の中でなんべんもヘディ・ラマーと名前を
間違えられるのがギャグになっていたが、初めて見たときの私はまだ
ヘディ・ラマーという女優を知らず、さっぱり笑えなかった。
後に『サムソンとデリラ』などをテレビで見て、本家ヘディ・ラマー
の名前を見たときに逆に吹き出してしまったものである。

映像の魔術師、スタン・ウィンストン死去、6月12日。62歳。
『Bの墓碑銘』を作ってるときにずっと思ったのだが、SFXマン
にはなぜか、早死にが多い。『ターミネーター2』『シザーハンズ』
『タンクガール』『GO!GO!ガジェット』など、この人は
“義手フェチ”だったのではないか、とときどき思うことがある。

7月9日、漫画家の森哲郎死去。はらたいらの師匠。結局、弟子より
長く生きたことになる。79歳。最近はまずいなくなった、徹底した
政治漫画家で、社会党支持で、非武装中立論や市川房枝の評伝などを
漫画作品にして発表。私も数冊読んでみたが、思想の古さ、漫画の
古さが鼻につくというよりは過去の遺物、という感じで、この人の
作品を好評している江國滋などが馬鹿に思えたものだった。

8月10日、『サウス・パーク』のシェフの声をアテていた
ミュージシャン、アイザック・ヘイズ死去、66歳の誕生日の10日前。
『ニューヨーク1997』での、刑務所都市と化した“近未来の”
ニューヨークのボス、デューク役が実に貫録があった。
ギンギラの毛皮のコートを羽織り、美少年をはべらせて、
退廃の帝王といった雰囲気があったものだった。

そしてポール・ニューマンが9月26日死去、83歳。
彼に関して言うといくら長い日記とはいえとても容量が足りない。
ただ、私にとっての彼の魅力は、そろそろ体力的にも衰えが
見えた年齢ながら、その分を人生の経験で補いつつ、多少ヨタつき
ながらも頑張る中年男のイメージにあった。
最初にそんなキャラが確立したのは1966年の『動く標的』、
ニューマン41歳のとき。69年の『明日に向かって撃て!』で
若い、やんちゃなロバート・レッドフォードとの対比で
そのキャラはより明確になり、次にレッドフォードと組んだ『スティング』
(1973)で完成形を見る。そこらが彼の全盛期で、
“肉体的に頑張るのもそろそろ限界”な主人公を演じた
『スラップ・ショット』(1977)あたりまでで、私の中の
ヒーロー像としてのニューマンは終りを告げた気がする。
『スクープ』も『評決』もいいが、肉体的に頑張らなくてもいい
役柄のニューマンには、かつてのような輝きがなくなった気がするので
ある。

私がニューマンの映画で一番好きなシーンは、列車強盗の際に、
当時の鉄道王ハリマンの代理人、ウッドコックを拳銃で
脅すが、それからしばらく後の列車強盗のとき、再び列車内から
「私はE・H・ハリマンさんの代理人として……」
という声が聞こえたときの、
「やあ、ウッドコックじゃないか!」
という、旧友にめぐりあったときのようなニューマン(ブッチ・
キャシディ)の表情であった。
ちなみに、このハリマンを演じた俳優、ジョージ・ファースも
8月に亡くなっている。

5時、渋谷の事務所で明日のコミケで配布するチラシ類を
コピー。と学会の分と両方コピーするので1000枚近く、
ひたすら延々とコピーを続ける。
この事務所で迎える年末もこれが最後か。
人ばかりでなく、多くの思い出ある場所も今年、消えた。
新しい天地に移れ、と天が告げているのかも知れぬ。

9時過ぎ、コピー終って自宅に帰り、母の室ですきやき。
大坂からいただいた高級霜降り肉で。
来年の計画など、いろいろ話す。
テレビで『暴れん坊将軍』をやっていた。
今年のドラマは何かリメイクばかりみたいな印象であったな。

自室に戻り、ホッピー(黒)また飲んで、ビデオ類いくつか
見散らかし、明日早いので11時には就寝。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa