15日
月曜日
松浦アヤヤ、オヨヨ
あのアヤヤという子、なかなかかわゆい。オヨヨ(大河内伝次郎・談)
☆そう言えば『はいからさんが通る』にアヤヤ、オヨヨと口走る、
大河内中将なる人物が登場していた。この作品が連載されていた
1970年代後期は、まだ少女漫画の読者に大河内伝次郎が通じ
る時代であったのだ。
※D社原稿 大木屋で肉の会
(今朝の夢)
大きな古い雑居ビルの中に私たち一家は住んでいる。
上の階にいる女性は全身に刺青をしている。
最近の刺青は皮膚を盛り上げて立体にして、花を作ったり、
仕掛で動いたりさせることも出来ると教えられ、見ながら感心する。
ところで、私の母はカメラマンであり、このビルを丸ごと買い取って
全部燃やして、その燃え落ちる様子を写真に撮って作品集を出すという。
全部燃すの、と私と弟は驚くが、自分たちの部屋に入り、
そこにある品々を眺め、育ってきた思い出をしみじみと噛みしめて、
この部屋々々がなくなることを惜しむ。
ところが、入居人のうち、その刺青女だけがビルを燃やすことに
反対して行方不明になる。どこかビルの中にはいるらしい。
発火装置はもうあと数時間で作動するという中、
その女性を私や弟は探し回る。
以上の夢を見て、目が覚めたら4時。
携帯でミクシィを確認していたら、なみきたかしの日記で、
角川弘明氏の死去を知る。
ちょっとさまざまな思い出が交錯してまとまらず。
9時半起床。
朝食、柿と林檎、セロリのスープ。
母にクリスマスプレゼントでゴスペルコンサートのチケットを進呈。
自室に戻り、日記つけ、角ちゃんがらみでメールいくつか。
この件で、当時の知り合いがミクシィにいることを知って、
マイミクのお誘いを出しておく。
彼の引き合わせかな。
角川氏ことツノちゃんは、私のアニドウの先輩であり、
アニドウの雑務を一時仕切っていた人間だった。
なみきたかしは(今もそうだろうが当時は比べ物にならないくらい)
癇性な男であり、周囲を怒鳴りつけ、わめきちらしていたが
その脇で角ちゃんがいつもニコニコしながら立っており、われわれ若造は
「あ、大したことないんだ」
と思ってホッと胸をなでおろしていた。彼がいなかったら、
すぐに私などは飛び出していたかもしれない。
荻窪のアニドウ事務所で角ちゃんの指揮のもと、『三国志百態』
の郵送用梱包作業をしたのも今となっては懐かしい思い出だ。
その後、私がモノカキになって本を出したりすると、
「見たよ〜、単行本。買っちゃった」
と嬉しそうに言ってくれて、一緒に酒など飲んだりした。
もっと話しておけばよかったと思うし、いや、あのくらいの
距離を置いていたからつきあいも続いたのかとも思うし。
体長を崩していたとも聞いたが、それにしても早すぎる。
年の瀬の侘びしさが身にしみる。
昼はカツオのタタキでカツオ丼。
制作会社のアマゾンから電話で、ゲストの件、こちらのほぼ、
意向が通ったとのこと。
さっそく、彼らにメール等で連絡。
D社原作のための調べものしばし。
しかし、まるでミステリ小説のように現実というものは
“符号”していくものだな、との思い強し。
原稿書いて、6時に編集MさんとK子にメール投げておく。
6時半、家を出て新宿から山手線で日暮里。
駅で東涼太さんに会う。
「弁士の坂本頼光さんってご存知ですか?」
というので、ご存知どころかよく知ってますよ、と言ったら、
こないだ仕事を一緒にしたという。
その打ち上げで私の話が出て、お互いつきあいがあると知って
驚いたそうだ。
世間は狭い。狭過ぎ。
やがて麻衣夢とハッシー(本日誕生日)、マド、それと中低域の参加
メンバー、水谷さんとスタッフの本田さんはじめ、
松本さん、田中さん、柴野さん、鶴田さん、東さん、後関さんの
総勢12名。日暮里の大木屋で、中低域英国ツアー成功お祝いの会、
及び忘年会。
大木屋、大将の息子さんを紹介してくれる。
かなりいいガタイの頼もしい跡取り。
このあいだ来て、肉を見るだけで帰らざるを得なかった田中さん、
目が何かギラギラしている。
コースはいつも通り。
カツオのたたきから始まり、肉、牡蛎、メンチ、もんじゃ。
ハッシーがバタダメなのでどうなるかと思ったが、
肉は切り分けてからバタ乗せる、牡蛎は最初数個脇に寄せて
ゴマ油で、で何とか解決。
2時間あまりで結局、7人前のもんじゃも全て胃の腑におさまる。
その後、松本さん帰り、残りのメンツで『酔の助』。
ここでちょっとヘビーな話も含め、水谷さん、田中さんと。
閉店までいてまだ話終らず、バンダイ(玩具メーカーでなく、居酒屋)
に席を移してさらに話す。
結局、ハッシーと相乗りでタクシーで帰り着いたのが4時半くらい。
*くだんの肉と、もんじゃ7人前混ぜ合わせる後関さん、集合写真