裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

27日

火曜日

ダンテで〜す。神曲、よろしくお願いしま〜す

「新曲よろしく」で検索したら387万件出てビックリ。

※森永卓郎氏鼎談 佳声先生インタビュー

朝7時半起床。6時には起きて仕事と思っていたのに。頭痛はさほどでもなし。

入浴し、日記などつけながら母からの電話(朝食用意出来たといういつもの)を待っていたが9時を15分過ぎても来ず。電話しかえしてみたら、早起きし過ぎて二度寝したら、ずっと寝てしまったとのこと。母子で寝過ぎだ。

9時半、改めて朝食。ホワイトアスパラガスのスープ、オレンジ、イチゴ。イチゴはへたをとって、そっちの方からかじると甘く食べられるというのでやってみたら、確かに甘く感じた。もっとも、めんどくさいのですぐ元の食べ方に戻るだろうが。

自室に戻り、幻冬舎原稿。いい材料が偶然手に入ったのでそれをそう手を加えずに。11時まで。11時半、家を出て地下鉄で東京まで。車中、佳声先生自伝の原稿に目を通す。

東京駅からタクシーで汐留のロイヤルパークタワー。ちょうど同じころに到着した岡田さんと、26階の会議室まで。『オタク清談』単行本化の特別付録である森永卓郎氏と鼎談。森永氏、窓外から見える汐留、新橋の光景を写真に撮って“勝ち組の風景ってやつですな”と。

鼎談の内容は読んでのお楽しみ。岡田さんと森永さんの意見は大体一致して、“そうそう、それは面白い”になるので私はもっぱら“そうですかねえ?”役になる。それでないと話が立体的にならない。それにしても、恋愛格差社会で、モテる男たちは愛人の数が四桁になる、というのはホントか? 秦の始皇帝か。対談の盛り上がり方で、S編集長と編集K女史の“面白い”と感じる部分が180度異なるのがこっち的には“面白い”。オタク清談の読みどころというのが、いわゆる普通の対談とは異なる部分にある、ということだろう。

鼎談、熱が入って森永さんの次のお仕事(朝日新聞社)にちょっとカブってしまう。申し訳なし。多忙な三人、そこでバラけ。私はタクシーで事務所。車中、モバイルでメール確認、またTBS『ピンポン!』より出演依頼。『ポケット!』終っても向後また定期的にTBSには通うことになりそう。昼向けのスーツ、買わないとダメか。

事務所でしばらく、ゲラやメールやりとり。一件、ちょっと力を入れて進めていた仕事が無くなった。少し拍子抜け。まあ、向うの対応があまりに馬鹿、という報告は受けていたので、仕事が成立したにしろ、苦労しただろうが……いろいろ他の方面への応用に使える仕事だったのになあ。間に立って紹介してくれた友人にはかえって迷惑かけたと思う。

6時、カフェ・ミヤマ会議室にて佳声先生自伝本の補遺的インタビュー。本としてもう少しふくらませたい部分の重点的聞き書きである。佳江さんがいろいろと佳声先生の世話をやいている。佳声先生、暮れの恵比寿の口演の出来が非常によかった、と喜んでくださって、かえって恐縮。あれは私の中ではリベンジ熱望、のものなのだ。

つつがなくインタビュー終わり、奈加野でちょっとお食事。いろいろと話、はずむ。神楽坂の焼きおにぎり屋さんの火事のことなど。あそこのお婆さん、江戸っ子で口が悪い。江戸っ子というのは歯の外へ出す言葉の8割が悪口と言っていい。都会っ子特有のひねくれた愛情表現なのだが、地方からの観光客はそれをマジにとってしまい、トラブルも絶えなかったとか。ひょっとして、それで怒った人の放火か、とも思う。文化的バックグラウンドの違いによる犯罪とするなら悲劇。ローレンツの七面鳥と孔雀みたいなものか。

Yくんのうわさ話もいろいろ。Yくんの奥さんとバーバラは人間的には真逆のベクトルを持つ女性だが、この二人と気がどちらも合う佳江さんという人も面白い。Y夫婦が東京へ戻ったらみんなで食事会をやりたいものだ。

事務所に一旦戻り、そこから帰宅。植木等死去の報あり。80歳。青島幸男の葬儀に酸素吸入器を付けながら来ていたが、見るだに痛々しいという感じで、あの姿は見たくない、という勝手なファン心理から言えば、半ばホッとしたところもある。とはいえ、私が人前で初めて歌った歌が『スーダラ節』であり、私の人格形成に最も影響を及ぼしたスターがこの植木等だった。とりたててファンというわけではない、むしろ普遍的存在として、私の世代には、この人はなんというか、
「植木等がいる限り、何をやっても大丈夫」
という、極めて非・論理的だがしかし絶対の真理、というような存在、いわばトリックスター神的な人物だった。たとえ80歳の病者とはいえ、植木等という守護神がいなくなった分、日本は確実につまらない国になる、そんな気分になっている同世代は多いだろう。

「歳をとれば死ぬのが怖くなくなる」
と人が言うのはウソだと思っていた。私にはやりたいことがまだ山ほどある。あと100年は生きないととても死ねない、死ぬのはイヤだ、怖い! と心底思っていた。

だが、ここ数年、何故か死ぬのもそれほどイヤではないように思えてきた。そして、今日の植木等死去の報を見て、なるほどな、と思った。もう、あの人もこの人も、いない。まだ私にはこの人の追悼を日記に書くために死ねない、という人がかなりいるが、それだってあと一〇〇人かそこらだ。そう時間はいらない。

この世より、あの世の方に知己が多くなっていく。向うの方がよほど楽しそうだ。これが、人間から死への恐怖を漸減させていく仕組みなのだな。 感想をミクシィ日記に書き込み、コメントをつけてくれる
マイミクさんにまたコメントを返す。11時半、何かくたびれて就寝。お定まりの頭痛も悪化。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa