裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

水曜日

日本閣探偵小説

ウェディング会場で殺人事件が!

※大阪中之島中央公会堂

朝6時半起床。相変わらず起き抜けの偏頭痛甚だし。どうしたものか。もっとも、風呂使ったりしているうちにケロリと直って対処法考えねばという思いも共に忘れてしまうのが困ったもの。

7時15分、母の室で朝食、ローストビーフとキュウリのサンドイッチ。服薬、漢方薬いつもの。自室に戻り出かける準備するが、そこで急速な鬱状態になる。鴨志田の死(西原にはゆうべメール打った)のことなど考えていたせいか?

じっとパソコンの前で座っているうち、次第に軽減。ところが、もう、すぐに出なければならないのに、鬱をはらうのに脳内麻薬出過ぎたせいか、8時33分の新幹線に乗るつもりでさっきまで用意していたにもかかわらず、
「9時33分の新幹線じゃ、まだ家を出るには余裕がある」
と思い込んでしまい、妙にゆったりと、芦辺拓氏の日記にコメントなど書き込んでいた。ナニヲヤッテオルノカ。さて、と8時過ぎになってチケットを確認し、当然のことながら蒼くなる。

あわてて家を飛び出るがすでに半近く、その時点で乗り遅れ。東京駅到着、みどりの窓口の自動券売機で確認したら、9時3分発ののぞみがあり、それなら12時開演の式に、かろうじてすべりこめる。ホッとするやら、オレはもう廃人なのではないかと呆れるやら、これはいつも新幹線乗り遅れ騒動などでドタバタしているので有名な芦辺氏の式に行くということが意識下に刷り込まれたせいではあるまいか、と思うやら。とにかく、新大阪までの二時間半は半分熟睡、半分はモバイルでの日記つけ。

新大阪着が11時40分。タクシーに飛び乗って、中之島中央公会堂まで、と告げてやれやれ、と思っていたら、
「今日は祝日やさかい、歩行者天国であそこ、クルマ入れませんで」
と言われる。ハリウッドの脚本化が書いたかと思われるほど、最後まで気が抜けない。
「なんとか一番近くに寄れるとこまでお願いできませんか」
「そうですな。やってみましょう」
ということで、いろいろ考えてくれる。こっちは車中でモーニング(こないだまで『アストロ劇団』で着ていた衣装だ)に着替え。

運転手さんベテランでルートをいろいろ知っていて、なるほど南側の、ほんのすぐそこ、というところまでつけてくれた。急いで中へ飛び込む。控え室で受付に名前を書いたところで、式開始3分前という、まさにギリギリセーフ。ほうっ、と息をつく。光文社Sさん、東京創元社Fさん、柴田よしきさんなど顔見知りに挨拶。

さっそく式場まで案内されるが、改めて見てみるとこの中之島公会堂というのもユニークな建物。以前は貴賓室だったという特別室に案内される。右と左、天井に聖画が描かれていて、おごそかなクリスチャン式……と思ったが、どうも何か違う。よく見ると、キリストと思った人物が髪をみずらに結っている。後で聞いたらこの絵は明治時代の大物洋画家・松岡壽の筆になる『天地開闢』という絵で、天之御中主大神が伊邪那岐、伊邪那美の2神に天の獏矛を与えるシーンなのだそうだ(左手の壁は素戔嗚尊、右手の方は太玉命)が、構図などは完全にキリスト教の聖画のスタイルであり、かなりキッチュな和洋混淆。
「これは古いもの好きの芦辺さんがここで結婚式をあげたがるのもわかったねえ」
と話す。

今日は芦辺拓氏の人前結婚式なのである。われわれが立会人。司会をなんと中野晴行氏が務めていた。豪華なことである。新婦側のご親類が貧血で倒れるというアクシデントあったが、式はつつがなく終了。
あぁルナの久保くんそっくりの担当者が、いちいち新郎新婦の動きに指示を出していた。

そのあと、さっきタクシーを降りた正門前で記念写真撮影。また3階にもどり小会場にて披露宴。天井が高く、実にいいムードの会場である。司会の旭堂南湖くんにここで初めて挨拶。
「本日は、まことにお日柄もよろしく……ただいまより両家披露宴を始めさせていただきます」
というところでパチリ、と張り扇を鳴らしたい感じの司会。

立会人代表である大阪博物館長の脇田修氏夫妻(奥様の脇田晴子氏は城西国際大学教授)、私、中野氏、有栖川有栖氏ご夫妻、柴田よしきさん、SさんFさんなど編集者さんたちという顔ぶれの席であった。

脇田夫妻は開高健、小松左京などとも親交のあった人で、作家であるA氏の結婚立会人にふさわしい。このご夫妻を皮切りに、両家親類、友人たちが次々にスピーチに立つが、新郎を知るほぼ全ての人が
「新郎は“しゃべり”な人でございまして」
「新郎のおしゃべりをどう新婦が聞いているのか」
と、それを話題にするので笑う。新婦サイドの人は大学や教育関係者がほとんど。私は乾杯の挨拶をおおせつかる。

スピーチ、以下の如し。
「……御両人、本日はおめでとうございます。新郎との出会い、彼が東京に居を移されたことと私との関係、司会をされております旭堂南湖くんをはさんでの奇妙なつきあいなど、語りたいことはたくさんありますが、こういう席でのスピーチは短いのがよろしい、と、これは新郎を知る全ての人の共通見解だと思いますので、それらは略させていただきます。
……ただ、せっかく私が出てきておりますので、ちょっと結婚式に関するトリビアなどを。新郎新婦はあえてなさらないようですが、新婚さんにつきもののハネムーン旅行、これの起源に関しては諸説ありますが、その昔、結婚がまだ略奪婚〜つまり、花嫁を近隣の部族からかっさらってきて自分のものにしてしまう風習ですが〜が主な方法だった時代に、当然、娘を奪われた父親やその一族は彼女を取り戻そうと必死で捜索をかけまして、彼らが諦めるまでの一定の期間、花婿は花嫁を連れて、どこか遠くへ雲隠れしている必要があった。この風習が、後に新婚旅行、として残ったと言われております。そして、その逃亡の期間、精力をつけるために、花婿はハチミツで作ったミードという酒を飲んだわけですね。このハチミツ、ハニーが、いわゆるHONEYMOONの語源であります。この、ハチミツ酒、実はヨーロッパを救っております。かのフン族の王、アッチラがモンゴルを征服し終えて、ヨーロッパに攻め込んで一撃のもとに征服せんとしたまさにその寸前、アッチラは若い娘を娶った自らの結婚式の席でこのハチミツ酒を飲みすぎて頓死し、フン族はヨーロッパ侵攻を目の前にして引き返した、という言い伝えがあるわけであります(あやしげな伝説ではありますが)。
……そういうわけで、これから乾杯に移るわけでありますが、みなさま、くれぐれも飲みすぎにはご注意ください。では、乾杯」

一応ウケる。席に帰ったら脇田晴子氏が、
「1970年にハンガリーに行ったとき、あそこの国の人に“あなた方はフン族の末裔なんでしょう?”と言ったら、“いや、フン族の血が流れているのは、○○地方の住人で……”と否定してて……」
と話しかけてくださり、それから話がいろいろはずむ。今度、ご夫婦で能登の方を回るお仕事があるそうで、いい宿をご存知ありませんか、というので、さんなみを大推薦しておく。

新婦の友人の見事なバイオリン演奏があったり(やはり天井が高いので音の響きがいい)、新婦がご両親に言葉を贈りながらぼろぼろと涙を流し、その後のピアノ演奏で
「すいません、流れから言うとしんみりとした曲を弾くのが合っているんですが、譜面を忘れてきてしまいましたので、凄くダイナミックな曲になります」
と、ホントに力強い演奏を披露してくれたり、非常にいい結婚式だった。

本当は新郎を南湖くんが、自分のラジオ番組に引っ張り出す予定だったのだが、新婦の演奏の途中でその時間になり、まさかその最中に新郎を引っ張り出すわけにもいかず、有栖川さんに代役を頼んで会場の外でインタビューをやっていた。私も出演を頼まれていて、二次会の時に出ることになっている。

終わって、中野晴行氏と、ちょっと話す。氏の『酒井七馬伝』(筑摩書房)を、偶然だが、今度某所で書評することになっているのである。編集者は
「日本で一番売れない本を出しましょうよ」
と言って中野氏の背中を押したそうだが、しかし出てみるとやはり売り上げを気にしている由。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480888055/karasawashyun-22

同じ公会堂の中にあるレストランで二次会であるが、ちょっと時間があるので中之島リーガロイヤルホテルにひとっ走り行ってチェックインし、着替えだけする。リーガロイヤル、凄まじい大きさのホテル。中で道に迷いそう。

とって返して二次会へ。と学会の原田さん、近藤史絵さん、それから久しぶりの堀晃先生、さらに名古屋から来たという太田忠司氏など。始まってすぐ、南湖くんに従って会場を出て、外の階段のところでインタビュー受ける。五分ほど。向うは喜んでいてくれた……ような気がする。この南湖くんのコーナー、いつもは大阪の各地で、商店街のおじさんとかを相手にやっているそうで、今日は有栖川有栖に唐沢俊一とは、ちょっと色が違いすぎでは。

二次会、南湖くんの紙芝居があったり、新郎新婦のクイズ大会があったり、新郎の高校時代の友人として辰巳琢郎氏が突然現れたり、いろいろにぎやかな二次会。南湖くんが途中でラジオのスタジオに戻ったので、最後の方は新郎が司会になる。受付を担当していた。Sくんには
「一冊、ミステリ書いてみませんか」
と誘いをかけられる。

新婦の友人たち他二、三組に、一緒に写真撮っていいですか、と頼まれた。私みたいな中途半端な有名人でも記念になれば。お開きは夫妻に、是非今度開田さん夫妻(実質、新郎に結婚を決意させたのは開田あやさんの一言だったりする)とチャイナハウスでも、とお誘いして会場を出る。その後、原田さんを誘って、しばらくリーガロイヤルのロビーで雑談。8時過ぎ、仕事終えた南湖くんから電話あったので千日前のあじ平という焼肉屋の前で待ち合わせ。そこからちょいと歩いて、『かどや』なるホルモンの店へ。いかにも大阪らしいホルモン焼きの店。名物豚足はとろけるような柔らかさで、これを青ネギたっぷりのつけダレで食べる。南湖くん、これが好物らしく、お代わり々々で食べること。

「ホルモン焼きは“放るもん”というのはほんまなんですか」
「いや、本来はセックス増強に効く性ホルモンの意味でしょう」
とかいう話。原田さん曰く、ホルモン焼きを“放るもん焼き”と唱えて広めたのは『11PM』の藤本義一だ、とのこと。

他にもさまざまな雑談、4月の金沢公演のことなども。生キモ刺しやセセリ、ミミトン、コロコロ(ココロ〜心臓〜の刺身)などという不思議な名前の料理を食べつつ。気がついたら11時のカンバン。ラーメン食いたかったが我慢してホテルへ。やはり、酔歩でホテル内、道に迷った。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa