23日
木曜日
敵前たぁ坊
あの卑怯なサンリオ野郎め!
※熊谷講演
朝6時半起床。疲れがたまっていて長寝が出来ないのだと思われる。年末にかけては仕方ない。入浴、歯磨等如例、9時朝食。パンプキンスープ、王林、豊水。母に、12月の京都行きの用事が終ったあと、一泊で京都旅行しないかと誘う。久しぶりに親子旅行もいいだろう。
日記つけ、雑用連絡など。ゆうべ講義中で連絡とれなかったが、NHKのYくんの出した企画、形をかえてハイビジョンの企画にして再立ち上げということになったらしい。
古雑誌いろいろ読む。昭和四年発行の『グロテスク』(梅原北明の刊行していた耽奇雑誌)に、南方熊楠のことを松村武雄(神話学者)が評した
「南方氏は偉大なる百科辞典である。(中略)しかし百科辞典は、多くの事実を与えてくれるが、それに通ずる法則や、それから生るゝ結論を恵んでくれぬ。しかし事実の堆積比較から結論を抽きだすことには、多くの危険が伴う。結論を与え得る可能性を持つ事実と知らざる事実との混同が生じやすいからである。土俗民談の知識の博大において西洋の南方氏たるフレーザー氏の如き、往々にしてこの“混同の落し穴”に陥っている。南方氏が知識を与えて結論を与えてくれぬ(常にとは言わず)のは、氏がフレーザー氏以上に賢明であり、ずる賢いためであろう」
という一文があり、印象に残った。これがまず、南方学を総括しての極めて妥当なところであり、昨今の学者がもてはやす“南方曼荼羅”などは皆神龍太郎氏も先日熊楠展の感想で言っていたが、当時ロンドンで流行していたカバラ思想あたりからの借り物で、形をなしているものではないだろう。この記事に目がいったのは先日、某所で
「唐沢俊一は“大きな物語”を語れないからダメだが、知識の面では当世一代限りで貴重な存在」
という評があるのを見て苦笑したばかりだったからかもしれない。私には、いわゆる“大きな物語”と若手アカデミシャンが言うものは、この“混同の落し穴”と同義の言葉としか思えない。
早めに弁当(ハンバーグ)使って、11時半、家を出る。地下鉄丸ノ内線で東京駅。オノから(前回遅刻して新幹線に乗り遅れた関係上)“地下鉄で来てください!”と命令されたのである。車中志水一夫『UFOの嘘』を再読。これもまさに熊楠的賢明さの本と言えようか。やはり面白い。
東京駅ホームでオノと落ちあい、上越新幹線“とき”で熊谷へ。40分ほど。早起きのせいか車内でウトウトしていたらすぐ到着。やはり埼玉は近い。とはいえ、そこからさらにタクシーで20分かかる。熊谷文化創造館という建物の中の会議室。主催者の高校のPTAの方々が迎えに出てくれていた。
熊谷文化創造館なる建物、レンガ造りで、その立派なことに驚く。ことに、たぶん屋外コンサートなどで使うのだろう、張り出し舞台のようなコンクリの台の後ろの、巨大な扉が目をひいた。もっとも、開いたところは地元の人も見たことがないという。
喫茶店が控室で、その高校の校長先生、PTA会長さんに挨拶、しばらく雑談。もってきたクイズの確認などが出来ないので困ったが、まあ、ここまできてあせってもどうもならん。
PTAの方々相手に1時間半の講演。驚いたことに聴衆の質極めてよく、反応がいちいちの話にある。PTAと聞いて、それっぽいテーマをトリビアにからめて話す工夫はしたけれども、ギャグのいちいちがこう受けると、こっちもつい、サービスでいろいろと話題を出し、またそれにいちいち反応がかえってくる。ここ数回、仙台でも静岡でも好評で、腕が上がったかな、と思わぬでもないが、やはり聴衆の質だろう。トリビアクイズは以前札幌でもやったカレーのことだったが、講演終って、〆の挨拶でマイクを握った若いお母さんが、
「実は今日、たまたま、この会で帰りが遅くなりますので家でカレーを作ってきまして……今夜家族で食べるときに、この話をしてみます」
と、挨拶を今日の講演にからめてしたのには大いに感心した。
タクシーで送られて、駅に。熊谷直実の銅像が駅前にあった。制作したのは北村西望で、長崎の平和祈念像の作者である。大したものだと思うが、しかしそんな文化勲章受章者の像があるにしては、熊谷駅の周辺というのはほとんど何もなく、駅もただだだっ広いだけで森閑としているほど。
東京駅で中央線に乗り換え。私は渋谷の仕事場に、明日のラジオで使うCDを取りにいかねばならないので、四谷でオノと別れてタクシー。受け取ったあと、明日もまた忙しそうなので行けるうちに、と思い、タントンに行く。首の凝り凄まじく、揉まれながらうなる。先生曰く
「カラサワさんはいつもここが凝っているんですが、そこまで痛がるのも珍しい。ちょっと原因が違うのかも」
と。
焼き肉屋にでも行こうかと思ったが、久しぶりに料理もしたくなり、東急本店で買い物。鯨の切り身が安くなっていたので買い、さらにムール貝が驚くほど安かったので買う。帰宅して、調理。ステーキとビール煮だが、どちらも、全くのレシピなしで作った割に、まず、想像に近い味にまで持っていけた。ことにビール煮は、貝を食べたあとに残ったスープまで全部飲み干してしまったほど。
鯨ステーキは安売りしていた鯨赤身に塩・胡椒・おろしニンニク、いずれもたっぷりまぶしてしばらくおいて、フライパンにバタを溶かして両面をさっと焼き、醤油をチュッ、と。そこに日本酒をどばっと注ぎ、バッ、とフランベさせて、肉のみ俎板の上で切り、深皿に。で、その上にフライパンの中の、鯨ジュースのたっぷり染み出した汁をじゃばっと。で、レタスを添えて、マヨネーズをにゅるにゅる。実に健康に悪そう(すなわちうまそう)である。
ムール貝の方は貝殻をよっく洗ってざるにあげ、ふた付き鍋にオリーブオイルを注いで熱し、炒めタマネギとおろしニンニクをちょっと熱くして、そこにムール貝を。ビールをじょぼじょぼ注ぎ、オニオンスープの素と水を足す。蓋をして、しばらく蒸し煮。貝が開いてふっくらしたら貝のみ深皿にとり、スープは少し煮詰めて、濃くなったら貝の上にかける。どちらも極めて簡単、二品で十五分かからずに作れる。
DVDで『プロフェシー』通して見る。人間の理解や常識を全く超えた、理解不能な存在(モスマン)という題材は面白いのだが、それを普通にホラーとして描こうとしているので、超常現象ものとしては描写が古くさく、ホラーものとしてはいまいち恐怖の“存在感”に欠ける、中途半端な出来の作品になっている。もっと“わけのわからぬ”存在としてモスマンを描けばよかったのだ。