12日
日曜日
さいざんす接近遭遇
宇宙人が“おこんにちわ”とUFO母船から。
※帰京
朝5時起床。安宿だが快適に熟睡、と行きたいところだが残念ながらそうもいかず。薄べったい布団で、固い畳の間食がダイレクトに感じられ、体のふしぶしが痛む。
5時半にホテルを出て、ホテル裏手にあるスパワールドに行く。ちょっと肌寒い早朝、という私好みのシチュエーション。深呼吸で朝のすんだ空気を大きく吸い込もう、としたら浮浪者のおっさんがウンコしようとしているのが目に入ってあわててよす。
スパワールド、デバンカー♪さんも、九州のぴんでんさんも、
「ここの“世界の大温泉”の“アトランティスの湯”は笑える」
とお勧めしてくれた(ガラス張りで、足の下にサメが泳いでいるそうである)。
http://www.spaworld.co.jp/spa_index.html
3時間入場料2700円と高いが、ここは朝8時45分までの営業なので、5時45分に入場するとフルにそれが使える。入ってわかったが、残念ながら男湯のフロアと女湯のフロアが月替わりであり、今月ははアトランティスの湯のある“ヨーロッパゾーン”のフロアは女性用になっており、男性が使えるのはその上のフロアの“アジアゾーン”。
しかし、大掛かりにセットを組んだ“イスラムの湯”でまず笑い、プラチナイオンのにごり湯の“ペルシャの湯”、塩サウナのある“インドの湯”、ジャグジーになっている“バリの湯”、そして桧造りの“日本の湯”などに入って、手足をのばす。
私は北海道生まれなので、温泉というのは向うが見えないくらい広い浴場に、いろんな浴槽がいくつもある、というものだと思っていた。“♪ここはお風呂の遊園地、なんてったって宇宙一……”という歌詞のCMソングは今も耳に残る。内地(本州のことをさす北海道語)に
出てきて、熱海や鬼怒川の温泉宿に行き、そこの浴場の狭いことにがっかりしたものである。ここのスパワールドに子供の頃来たら、これぞ私のイメージの温泉場、と大喜びしただろう。
この時間にこんな場所で夜を明かしている人たちというのはどういう人たちか、と思うのだが、しかしこう見渡してみて、みんな案外の肉体美を誇っているのだな、と改めて思う。今の30代とかは、健康志向、運動志向が行き渡っているせいか、私たちの世代の30代だったころより、はるかに鍛えたいい肉体を保持している。バリの湯に入ったとき、浴槽のふちにギリシア彫刻のような肉体の全裸像が横たわっている、と思ったら薄らはげのおっさんが寝ていたのであった。顔と体のアンバランスが凄い。
風呂にも飽きたので、仮眠室で少し寝る。漏れてくるラジオの音などが気になったが、宿で寝られなかったせいか、7時半くらいの朝食の準備のお知らせまでグー。7時半、食道で朝食バイキング。1200円。納豆、モヤシの味噌汁、梅干、それにパンケーキ、オレンジジュースという奇妙な取り合わせで。見ると、揚物を皿に山盛りにしてビールをやっているいかにもな親父たちもいる。
8時、出る。今度はヨーロッパをねらって来よう。ホテルに帰り、しばらくネットをつなぐ。はらたいら氏死去にいろいろ考えることあり。
「はらさんに1000点」
というセリフを今でも若手お笑いがギャグで使う。ウィキペディアでも『クイズダービー』への言及の方が漫画より多いという……まあ、はらたいらの時代の大人漫画家ってのは今の漫画家のように漫画プロパーというより、粋人の代表といった扱いをされてはじめて一人前だった。テレビで博識の代表として名が売れるのも、それほど本人としては本道をずれたという気はしていなかったのではないか。これは岡本一平以来の伝統だと思うが、その系列につらなる人はもう、黒鉄ヒロシくらいしか残っていないかもしれない。いしかわじゅんはやはり新世代だし。
漫画の方では『ゲバゲバ時評』が代表作、ということになっていて、
まあ、それにも異議はないのだが、リアルタイムで読んでいても呆れるくらい絵の下手な人だった。上野にパンダが来たときにはパンダの絵が当然出て来るのだが、それがパンダというよりは何か“変な生き物”でしかなかった。時期的に政治ネタで三角大福中の五人もよく出てきたが、あれだけ描きやすい顔が揃っている中の、誰ひとり似ていなかった。大平正芳なんか似ていないどころか、人間にも見えないキャラクターだった。
『モンローちゃん』という女の子のキャラを多くの作品で主人公にしていたが、この女の子の描写も、完全横向きばかり。他の角度からは描けない、と自分で言っていた。『クイズダービー』以前はエッチな描写もかなり描いており、土管のようなペニスからオタマジャクシみたいな精子が出てくるという描写がオリジナルだが、これも意識したわけでなく、“たまたま描いたらこうなった”のではないかと思う。
自分の絵の下手さは、自分でも認識していたらしい。じゃ、ギャグがすぐれていたのか、というと、当時かなりいろんなところで作品を目にしていたはずなのだが、見事に何も覚えていない。
やはり本人の、あの垢抜けてスマートなキャラクター、それが作品にも反映したので、連載当時は何となく、しゃれた漫画に思えていたのだろう。再読には堪えられないが、しかし、漫画というものが“いま現在”の雰囲気をすくいとって読者に提示する、という役割も持っていることを思えば、彼の作品も立派に存在意義を果たしていた。そう思うと、本人が漫画の方でなく、自分の顔出しの方を主体にした売り方をしていたのは、自分の本当のウリが何であるかを心得ていたのだろう。
そんな、“今現在”が命の人が、病気で現在から取り残されたということは、なんとも不幸なことだった。赤塚不二夫が、意識がなくなってもう何年になっても、キャラクターたちがあちこちで活躍しているのを見ると、やはり、漫画家としてもうひとつ、読者に記憶に残る作品を残してもらいたかったなあ、と思うのである。
……などということを思いつつ。それからまた寝なおしたりグズグズを楽しんで、10時、チェックアウト。なかなか面白い宿だった。少し歩いて、ジャンジャン横丁のフリマ、というのではない露店を冷やかす。ロコツにパチもんの音楽MDなどを売っているのがいかにも。通天閣の方までぶらぶらしているうち、雨がポツポツ降り始めたので、タクシーに飛び乗って新大阪まで。ところが、このタクシーの中がもう、凄まじいドヤ街臭。誰かそういう客が前に乗ったのか、雨なので窓をあけるわけにもいかず、新大阪までを閉口して過ごす。
11時15分の新幹線で東京へ。車中、日記つけなど。昼は新大阪駅で買う弁当の定番である柿の葉寿司。サーモン3ヶ、サバ4ヶ。やはりうまい。あとは読書、今夜夕食を共にする予定のマイミクのピカード艦長さんとの連絡など(大阪在住で、私と入れ違いに上京した)。
東京駅1時過ぎ着。中央線で新宿、タクシーで新中野。しばらくドトウの出張の疲れやすめ。ドルーピーもののビデオを見る。1943年の『つかまるのはごめん(Dumb Hounded)から1955年の『呼べど叫べど(Deputy Droopy)』までの、ドルーピーの顔の変化を改めて確認。『最優秀ボーイスカウト(Droopy's Good Deed)』の中のギャグのオチがひとつカットされていたのは何故か?
だらだらしているうちに7時になってしまい、渋谷に出てピカード艦長さんと東急ハンズ前で待合わせ。東京も急に寒くなった。こないだの火鍋の『小肥羊』に行こうとしたが満席、しかたなくホルモン道場に入って焼肉。いろいろと関西の同業各位の話を聞く。オフレコのこと多いが。
9時半、帰宅。ホッピーで酔いを調節しつつ、ベッドにもぐる。明日はまた、早朝からテレビ収録である。連絡ミスとかいろいろありそうで不安。