裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

4日

土曜日

ポルポト毅郎

虐殺スタンバイ。

朝7時目覚める。8時近くまで寝床読書。
朝食ジャガイモスープ(母のもとにかつて薬局時代世話をしたお客さんから送られたポテトで作った)、ピオーネ、王林。

〆切だいぶ過ぎているラジオライフ原稿、書く。ネタも決まっていたし資料も揃えたしではあるが、なんとなく書き出せないでいた。テンションをよいしょ、とあげる作業が荷だったのである。

途中、昼の弁当(小エビ掻揚げ煮ご飯)はさんで、二時間か二時間半くらいで終える予定だったが、三時間半かかって11枚。なんとか書き上げてメール。

3時、家を出て、丸ノ内線、銀座線乗り継いで上野。科学博物館で『化け物の文化史』展をやっているので、それを見学。丸ノ内線車中、ついコックリしていたら、いきなり目の前にサイン帳を差し出されて驚く。私のファンだそうで、いろいろと話しかけてきた。著作もいろいろ読んでくれているそうであり、同じレトロ趣味らしく、昔の丸ノ内線のデザインの話などをいろいろ。営団成増って駅名はいまどうなっているか、とか(“地下鉄成増”という変な駅名になっている)。ファンが親しく話しかけてくれるのはありがたいことであるが、むやみに車中で居眠りもできないな、とやや、うんざりする。

上野駅から歩いて科博。『化け物の文化史』展、休日の午後であり、中はもうロクに歩けないほどの人だかり。少し空いてからにしよう、と、一旦出て、併設してある『南方熊楠展』の方へ先に行く。こちらも混んでいるが、まだまし。ノート類に直接キノコなどの採集物を貼り付けていくというかなり乱暴な記録法が面白い。また、と学会などでも話題になっていたが、土宜法龍宛の私信で、粘菌の生態をマンダラで説明する、という図の中に、セフィロートの樹やフリーメーソンのシンボルの光るピラミッドが描かれているものも見る。熊楠の滞英していた時代のロンドンは大のオカルト・ブームで、黄金の夜明け団でアレイスター・クロウリーなどが活躍(後に脱退、熊楠が帰日するのと同じく英国を出て、日本にも立ち寄っている)していた時代でもあった。

見回っていたら、女性客から“ファンです! 握手してください!”と言われた。丁寧に応対する。さっきとのこちらの態度の違いに我ながら現金なことよ、と苦笑。見回ってあと閉館まで1時間、というところで化け物展に戻るとかなり空いていた。ゆっくりと見て回る。人魚のミイラの小さいことに驚く。小魚の人魚か。顔が二つあるものもあった。あの人魚の元は何の動物だろう。大きさから言ってイタチか何かだろうか。全体的に、展示物の少なさを企画意図を民俗学的なものに持ってくることで、なんとか形つけているような印象。妖怪図譜の屏風は家に飾っておきたい。元の絵を模して写していくうちに、何やらもとの形がわからなくなるまで劣化していっている妖怪(ひょうすべとか)もある。前に並んでいた女性が、妖怪“寝太り”の図を指さして
「あ、これウチの営業部にイル! へえ〜、妖怪だったんだぁ」
と叫んでいた。“妖怪だったんだ”って、感心するなよ。
http://www.kurakoba.com/column/yasubon/000701.html
↑寝太り。

出て、上野広小路までぶらつく。今日はたまたま、化け物展と前田隣ライブと、上野でのイベントが二つ重なったのがラッキーだった。時間があるので、『たれ蔵』でつけ麺を食べ(噂通り麺の盛りが少ない。まあ、間食にと入ったので問題はないが)、プロントで読書して時間つぶす。つぶしツールは乙川優三郎『武家用心集』(集英社文庫)。先日から一篇々々味わっているが、時代ものを描くにあたり、会話の構成、単語の選択からはじめて、一からそれ専用の文章を作り出したのではないかと思えるほど、その使用されている語のひとつひとつが粒立って光っている。
「太息(ふといき)をついた」
「穭(ひつじ)はとうに枯れ果て」
「稿木死灰(こうぼくしかい)のように思われても」
というような、現代ものではお目にかかれない言葉が、きちっと適所にはまっている。題名の『武家用心集』がまた、いい。

もっとも、ストーリィ展開が(ストーリィ自体は暗殺依頼だとか忍者との対決だとか、かなりチャンバラものっぽいのだが、それに比して)あまりに地味すぎて、というか通俗な感動を与える一歩手前で筆をおさめてしまっているので読んでの物足りなさを感じる(藤沢周平や池波正太郎になじんでいると)人も多いかもしれない。とはいえ、作品全体に漂う気品を味わうという作家は最近では貴重かもしれない。

1時間ほど読書でつぶし、広小路亭に行く。すでにお客さん続々入っている。8分強の入り。開田夫妻の隣の席に座る。ぎじんさんにも挨拶。開口一番はフラ談次、少し太ったか?『もと犬』を無難にこなしたが、もう古典の語り口を覚える段階は卒業したと思うので、も少し個性を入れる方に向かったらどうだろう。それも充分に出来るレベルだと思う。

次に現れたダーリン先生、なんと派手なパジャマ姿。舞台衣装でフランス製のパジャマだそうである。ハンカチ片手に、雑談のように語るそのしゃべりが、見事な“漫談”になっている。毒を全体にちりばめながら、いわゆる“毒舌”のいやらしさがないのは持って生まれたキャラクターと、あとは年の功、だろう。爆笑、拍手を何度もしてしまった。

それから宮田陽・昇の漫才、
陽「こいつね、こう見えて意外にものをよく知ってるんですよ。だからね、楽屋でこいつのこと、みんな“教  授”って呼んでいるんです」
昇「よせよ、なに、みんなそんな風に俺のこと言ってんの?」
陽「そうですよ、教授ですよ。……“植草教授”」
昇「痴漢だって言ってんじゃないかよ!」
 のギャグ、ツボだった。

いつものコントは今回はなく、ゲストのグレート義太夫とのトーク&セッション。ノリローさんのピアノと共に。たけしをサカナにしたトーク、また毒舌になり、
「たけし……さまは大変に人情が篤いの。ホントだよ。浅草時代のことを忘れない。売れたヤツってのは大体、昔の連中との付き合いを切るもンなんだけどね。典型的なのが××××!」
などと、実名ポンポン出してのトーク、これもすんなりと聞けるのは、生臭さが枯れるダーリン先生までの年輪が必要か。褒めたたけしのことも、
「でも、たけしの事故はあれ、オンナのとこに行こうとしたときだよな?」
などというツッコミもちゃんとするところがいい。しかし、うっかりというか盲点というか、グレート義太夫という名前がグレート・カブキのパロディであることに、たった今気がついたのはうかつすぎ。“グレート文楽”と“グレート義太夫”のどっちにするか、たけしも迷ったそうである。

打ち上げはいつもの加賀屋。予約を多めにとったから、と心配になって壇上で打ち上げにみんなを誘い、結果ギュウギュウ詰めになる、というところもいつも通り。ぎじんさんはみんなを先導しながら、“今日は満席だろうから”と遠慮して帰ってしまった。私にはない奥ゆかしさだなあ。

待乳庵さん、開田夫妻、ダーリン先生がずっと舞台で“今日は広島からわざわざ来てくれたお客がいる”と喜んで言っていた、そのご当人とかと話はずむ。ひと組、広小路亭の最後列、舞台の真っ正面に座った40代半ばくらいの業界人ぽい男性が、ちょっとインリンの入っている彼女とやたらベタついて、抱き合ったりヒザの上に彼女を乗せたり、あまつさえキスなどしていた。最後に打ち上げ会場のことを告知しながらフラ談次が
「あのカップルにだけは来て欲しくないですね!」
と指さして笑いをとっていたが、ちゃんと出てきて、イチャついてていた。ネットテレビの人らしい。

さだやんさんなどともいろいろトリトメのない話。こういうところでトリトメのある話をするのも野暮であるが。私の隣に座った客、暗い雰囲気で、回りの人と話を交わすこともせず、うつむいて何やらブツブツつぶやいている、見るからにアブナい感じの男性だったが、11時半ころ、お開きのときに、ふと気がついて
「あの人どこ行った?」
と、座っていた席を見るが、消えている。一時は食い逃げか、と騒ぎになった。実際はフラ談次が受け取っていたそうだが、何か、妖怪展からぬらりひょんがついてきて宴席に入り込んだような、そんな感じであった。

まだ最終の地下鉄には乗れた時間だったが、一人で(開田さんたちはちょっと先に帰った)酔って地下鉄に乗って、また変な姿態を見られるのはイヤなので、タクシー使って帰る。家でちょっと水割り缶あけて、酔いを調整してから寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa