21日
火曜日
渋谷HIV
多そうだねえ、渋谷なら。
(ちなみにHMVというのはビクターのマークでおなじみの蓄音機を聞くあの犬のマーク“His Master's Voice”のこと)。
※テレ東特番打ち合わせ、社会派くん対談、原稿
朝7時起床。酒のせいか、ノドが渇く。入浴して朝食、9時。コーンスープ、富有柿、バナナ。原稿書き、すすまず。読み進めている資料本が面白すぎるため。しかもこの本がやたら大判で重いので、腕が疲れること。いま、こういう本はなくなったなあ。
スケジュールたてて、準備などするが一日曜日を間違えていたことが判明。クサる。某誌原稿、もう落としたかと思っていたらまだ今日一日、大丈夫とのこと。急に余裕の気分になる。なってはいかんだろうが。
神田伯龍師17日に死去。80歳。もっと生を聞いておきたかったなあ。しかし、テープは案外所持して、それで一時は毎日聞いていた。『妲己のお百』のお峰殺しは貞山のものを談志が落語に仕立て直して(まるきり講談だが)高座にかけているが、やはり現代的に殺しの心理を中心に語っている。伯龍師のは昔ながらに、シチュエーション重視のもので、宿屋の描写など、ストーリィに関係ないことをずっと語って、現代的批評で言えば“焦点が絞られていない”ことになるのだがその分、聞いていていつ、幽霊が出てくるのか、そっちが気になるとかえってその方が怖く、人間心理などという余計なものの入ってこなかった江戸の怪談というもの(インテリ層を客に持った圓朝のモダン怪談噺などとは違うプリミティブな怪談)がどんなものかを彷彿とさせてくれていた。
本当にいい人だったらしく、悪人をいかにも悪には語れない人のような気がしたが、それもまた魅力だったのだろう。
昼は弁当、ピーマンと牛肉の細切り炒め。大根で味噌汁。なんだかんだでぐだぐだ。1時半、事務所に出る。2時、ロビーでその某誌のSくんに図版資料渡す。今日中が絶対のデッドラインと言われる。
打ち合わせに出ようとしたら電話いろいろ。TBSビジョンさんから。元旦のBS番組の収録日決定の件。これから打ち合わせに行こうという相手のプロダクションからも。
東武ホテルロビー、テレビ東京年末鍋特番打ち合わせ。スタジオ撮りかと思ったら出先での収録になる。日本橋の鍋料理屋さん。そこで鍋雑学を、と。一緒に行くのが森野熊八さんとテレ東のアナウンサー、
あとまだ女性タレントが未定。この仕事は『ワナゴナ』のプロデューサーさんからいただいた仕事。『ワナゴナ』は半田健人くんの事務所(ヒロイックス)からいただいた仕事。半田健人くんの事務所とはNHK『シネマの扉』に出していただいたときにおつきあいが出来た。ひとつの仕事がもとでそれからどんどん発展していくというのは
いいことであり、考えれば不思議な縁である。
事務所に帰り、いろいろと雑用。胃が荒れているようでクスリをのんだのだが、効かない。あえぎながら仕事。4時、時間割、社会派くん対談。何か今日は村崎さんより私の方が鬼畜ぽかった。
帰社。オノに明日のスケジュール聞く。聞くんじゃなかったと思うくらいぎっしり。憂鬱になる。某誌からも悲鳴に近い催促、今夜の岡田さんの落語も不義理。すまぬなあ。原稿書き出して、まあ途中でつまりもせず8時には書き上げて送り、息をつく。間髪を入れずという感じでNHKのYくんから新潟より電話、長電話(途中で子器の電池が
切れたほど)となる。某番組企画の企画書の件。
それも終わり、さて、帰るかと思ったところでえらいことを忘れていたことに気づく。某誌の原稿、会社のメーラーの調子がおかしいので、編集のSくんの個人アドレスに送ってくれと言われていたのである。あわてて送るが、もう諦めて落ちたということになっていやしないか、と気が気でない。三遊亭白鳥くんから電話、岡田さんからいろいろ聞いたらしく
「なんか私、センセーをしくじっているらしくて」
と。苦笑。
晩飯はどうするか、道楽でラーメンでも食ってそれに変えるかと思い、参宮橋まで行くが休み。珍しいこともある。改装か何かか。仕方なく北沢倶楽部西参道店に行き、寿司。なんとなく照明がこの店は寒々しい。ビールにお銚子、握りはカレイ、甘エビ、ネギトロ。つまみで小イカゲソ、白子ポン酢、蟹味噌。改めて、渋谷の寿司屋のレベルの高さを思い浮かべてしまった。しかもそれでお代が、道楽でノリミソラーメンとビールですませた場合の十倍。
帰宅、ネットだけちょっと散策。斎藤茂太氏死去、90歳。弟の北杜夫ももうそんな年齢なのか(79歳)。この兄弟で父の茂吉を語り合った対談集『この父にして』があるが、二人とも精神科の医者だけに、いや親父に対しても一切容赦がなく、短小コンプレックスがあのような攻撃的性格につながったのだろう、などと語っていて、笑った笑った。精神科医を息子に持つものでなし。