裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

11日

土曜日

Dancin'赴任

一人をいいことに毎晩踊りまくり。

※仙台〜大阪へ移動、夜『西玉水』取材

朝、6時半起床。7時、階下(2階)の大浴場で入浴。他に誰も入っておらず、気持ちいい。同じ階のバイキング会場で朝食、和食にする。納豆と生卵で。おつけの実はワカメ。他にも数組、客が朝食を摂っていたが、みな和食だった。最近の栄養学では、納豆のナットウキナーゼが血栓を溶かすので、血栓が出来る夜に効くように、納豆は夕食に食べた方がいい、とか言っているが、日本の伝統として納豆は朝食のものである(江戸時代は納豆汁にするのが一般的だったそうだが、それも朝のもの)。消化が非常によく、すぐエネルギーになる、という理由で昔の人間は朝に納豆を食べていたのだ。

部屋に戻り、快適な高速LANでネットを楽しみ、次いで朝寝を楽しむ。飯を食ったあとでもう一度横になれるのは至福。もっとも、至福すぎてグーと寝入ってしまい、起きてあわてて出立の準備。大阪のホテルの確認などをオノと電話でとる。

まだ時間的に余裕はあるが出る。外は雨。傘持っていないので濡れながら歩く。ATMを探すがそれの入ったコンビニ、近辺に見当たらず。銀行を探して、新生があったので飛び込むが土曜のせいか、カード使えず。いま、財布にあるのは5000円ばかし。大阪行きのチケットはあるし、向うについてから何とでもなるだろうが、ちょっと不安になる。ダメモトで飛び込んだ東北銀行で、やっとおろせた。

空港までタクシー、今日は地上を走っていってもらう。11時45分、JALで伊丹まで。今回は前のアイベックスと違いJALなので、バスでなく通路を通って乗り込める。もっともJALにしては小型機だが。乗り込むあたりで大雨になった。

大阪に1時間35分で着、5分遅れ、そのお詫びを何度も繰り返す。たった5分遅れで何度もなんどもあやまるのもイヤミに聞こえるのだが。

リムジンバスで大阪市内に。なんばで下りて、昼飯がまだだったので自由軒で名物カレー。実は入るのは初めて。しかし、東郷隆の定吉セブンシリーズはじめ、あらゆる文献でその存在は知っているので、卵をかき混ぜ、ソースをかけて食べるという定法をそつなくこなす。味はかなりスパイシー。黒柳徹子みたいな髪形の女将が、ひっきりなしに女店員さんたちに指示と文句を言っているのも大阪ぽい。

そこから地下鉄で動物園前。西成のビジネスホテル『中央』に投宿。ここはマイミクのデバンカー♪さんに教わった宿で、一泊なんと2500円という安さだが、ここらあたりでは1000円とか700円とかいう値段の宿泊所もあり、高級ホテルのうちに属する。昔は季節労務者のための宿だったが最近の不景気でそういう人々が減り、営業方針をバックパッカー向けに、と転換したらしい。なるほど、ロビーに据え付けてあるパソコンでルーカス・ハース(『マーズ・アタック!』)似の白人青年がネットをのぞいていた。

7階705号室。洋室・和室とあるようだが私の部屋は和室で、たたんであるせんべい布団を敷いて座布団代わりに。部屋はショボくて古いが、インターネットのLANは使い放題。さっそくつないで、近隣のことを調べる。オノ(今日は東京に帰ってディズニーランドに友人と行っている)からのメールで、月曜撮りの『ワナゴナ』のラジオドラマ台本を早く、といってきたので、そこで書いてメール。こういうところからでも原稿が送れるってのは凄い時代だ。

風呂・トイレは共同。トイレはともかく、風呂はさすがに外人バックパッカーと一緒はイヤなので、桜川の朝風呂温泉にでも行こうかと思う。銭湯は大阪では心斎橋の清水湯がいきつけなのだが、ここは日曜(明日)は休みなのであった。と、思ったらすぐ裏手がスパワールドなので行ってみるか。料金が宿泊料より高いのが困るが。

夕方4時半に出る。宿の隣が大阪救霊会館で、“キリスト看板”がところせましと張られている。なかなかの迫力である。次々に、ホームレス風の(しかしいわゆるホームレスよりは小奇麗)人が入っていくが、炊き出しでもやっているのか。

タクシーで、そういう光景を横目で見つつ宗右衛門町。高級クジラ料理の西玉水へ向かう。ちょうど朝日新聞社のK田氏と女性カメラマンさんが、カウンターと座敷とどちらで撮影するか、の算段中。結局、まずはりはり鍋を座敷の方で、ということになり撮影。中居のおばちゃんにカメラマンさんがいろいろ注文をつけている。

K田さんのインタビューに答える形でクジラの魅力と文化について語る。はりはりのダシに溶け込んだクジラの尾の身の旨味にもK田さん感嘆していたが、つい最近入ったとニュースでも報じられていたナガスの尾の身刺身が、今夜は食べられる、というので(はりはりやその他の料理はイワシクジラ)、二人とも歓声をあげる。やがて出たお造りは、濃厚なイワシの風味とは違い、どちらかというと淡泊な味。しかし、品があって、軽く噛んで飲み込んだあとに、旨味が口の中で、いつまでも残り、香る。おもわずうなる。また、私のお勧めとして紹介したサエズリと大豆の煮物には、K田さんも
「これは……不思議な旨さの食べ物だなあ」
と表現に苦心していた。
「捕鯨反対ってのはこれを食ったことのない人たちのやってることだね」
とも。

なんとかはりはり鍋と、それを口にする私の写真を撮り、カウンターに席を移して大将の話を聞く。生さえずりの刺身の旨さもひさびさ。K田さんにも語ったが、この旨味がわかるには、単に舌が肥えているだけでなく、日本の鯨食文化への造詣が必要。私などはまだまだであるが、カウンターで、若い女の子連れで食べに来ていたおっさんが、鯨カツを食べて
「これが一番旨かった」
と言っていた。こういうのは単にノスタルジーで鯨を食べているだけなのである。

七年前の朝日新聞に載った大将のインタビュー時の値段と、いまの尾の身の値段がほとんど変わっていない。すでに七年前に天井値で、それ以上に上がったら、とても料理としてお客さんに出せない値段になってしまう。やくざが、何十万でも食べたいと言って買うので(彼らは太く短く生きるを人生の目標にしているので、自由の身でいられるときの口腹のぜいたくには金を惜しまない)相場が上がってしまうこともあるのではないか。

それにしても、ここの大将はインタビューには最適の人間で、何を訊いても即答してくれる。鯨ベーコンは(ここのは違うが)なぜ周囲が赤いのか、について、みのもんたの番組で大嘘を言っていたと笑っていた。
「“昔はチャーシューが高級品だったのでそれを真似て赤く塗った、なんて言うてますねん。そないなアホなことよう言うな、思いましたわ。あれは、当時の鯨は保存技術が未発達だったんですぐ酸敗して赤っ茶けた色になってしもうたんで、それをごまかすために赤く塗ったんです」
と。鯨食は大阪文化のように言われているが江戸でも頻繁に食べていて、サカナ偏に京と書いて鯨、と書くのに対抗して、サカナ偏に江戸、と書いてクジラと読もう、という動きもあったようである。

女性カメラマンさん、めがねっ娘マニアなら萌え、のタイプ。板場でもいろいろと注文を出すが、みんなニコニコしながら従うのは、男性にある萌え遺伝子のなせるわざか。息子さんやもうなじみになった店員さんとも話す。K田さんが
「551蓬莱ってのは何で551なのかね」
と言ったら、即座に
「あれは“ココイチバン”の意味やそうです」
と。息子も親に近づいてきたか。

なまこ酢、はもの天ぷらなどを食べて、お母さん手製のぜんざいもいただき(お母さんに“今日のカラサワセンセ、どこか違う思てましたが、わかった、カジュアルなんやわ”と言われる。テレビに出たときの黒づくめ姿でなく、オレンジにシャツだったからだろう)、9時過ぎ辞去。交通費も支払ってもらい、裕福な気分になる。

タクシーで、K田さんにあいりん近辺を案内してもらう。雨が細々と降っていたが、三角公演付近の、たぶん日本でいま唯一ではないかと思われる街頭テレビも見学。まだ放映していた。K田さんが、
「こないだ見たときと同じ人間が同じ格好で見ていた!」
とオモシロがっていた。運転手さんもこの近辺くわしく、
「60年代の暴動のときが一番活気がおましたな。今は、クスリやっている連中ばかりで、暴動起こす元気もおまへん」
とのこと。

ホテルに戻り、いろいろあった先週、今週のこと考えつつ、また氷結レモンでちょっと酔いを調整。自動販売機で買ったおつまみのナッツとあられの詰め合わせ缶が意外にうまいので見たらブルーダイヤモンドの製品だった。例の“サカナ偏に江戸”を検索したら、
「魚偏に江の字くじらと書かせたい」
という川柳がひっかかった。また
「江戸中で五六匹喰う十三日」
の句は、12月13日は江戸の煤払いの日で、それが終ったあと、鯨汁を食べる習慣があったことを詠んでおり、あの巨大な鯨をその日だけで五、六匹も消費する(だろう、という想像で)江戸の人口の多さを誇った川柳である。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa