裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

19日

日曜日

そこんとこ、足立区!

隅田川のこっちはウチの区ってことで。

※ロフトプラスワン『アニメラマナイト』

朝9時起き。朝食を30分遅らせてもらって入浴。空模様ぐずぐず、やがてポツポツ降り出す。体力気力全てダウン。

日記つけるくらいしか出来ない。いろいろと鬱になる。今夜のトーク用に『哀しみのベラドンナ』を見直すがいや、改めて凄いアート。

昼は弁当。自家製キンピラゴボウで。寒くなってくるとうまい鍋が食いたいなあ、と切に思う。そういえば年末番組で(みのもんたの)、鍋について雑学を語る、というコーナーの出演依頼があった。初めてのテレビ東京出演なので(オノプロのときマネージャーで行ったことはある)ちょっと楽しみではあるが、さてどうか。

時間だけがあっという間にたつ。5時になって、資料そろえてロフトプラスワンへ。楽屋に入って少しさいとうさんと話す。半田くんとの“昭和40年代の会”の話をしたら、ぜひウチで結成式を!とのことだった。

そうこうするうち虫プロYさんくる。ピンクハウス系の衣装だった。さいとうさん、彼女と話すうち、その天然系が面白くなったらしく、前説も彼女にやらせる、と言い出す。ササキバラ氏、ちょっと遅れ
て。相変わらず、DVDを編集してきてくれるなど、用意のいいことに感謝。私も少しは見習わなくては。談之助さんも用事を済ませて駆け付けてくれた。IPPANさん、それからレイパー佐藤さんも来る。レイパーさん、半田健人くんに『クラッシャーカズヨシ』の出演依頼をしてきたとか。

壇上に上がり、さて、とアニメラマばなし。見ると座敷席にカスミ書房さんがいた。前半は『千夜一夜物語』と『クレオパトラ』について。手塚治虫の変態性について、Yさんから凄い裏話。虫プロの人間なのにこんなこと言っていいのか、と笑う。そんな話ばかりでなく、前から疑問に思っていた、
「なぜ、虫プロと手塚治虫は、人気作品であるアトムやリボンの騎士の長編映画でなく、本来の手塚の得意分野でないこのような“大人のアニメ”に挑戦したのか」
という長年の疑問も氷解した。
つまり、1969年当時、少年誌の変貌により、掲載作品がどんどん社会派、問題作、実験作というものに偏っていき、そうでない読者はスポ根ものに走り、昔ながらの少年ものの雰囲気を残す手塚治虫の作品は古くさいものとされ、ニーズが極端になくなっていた。

逆に、アニメの方は『どろろ』がそのあまりの子供を無視した内容と描写にスポンサーのカルピスから忌避されるといった現象が起き、手塚原作の価値が下がっていた。虫プロも手塚自身も、ここでなんとか新しい分野に生息地を求めないと、やっていけない状況だったのだ。
Yさん、20代とは思えないほど、昔の虫プロのアニメのことを調べ、知識を持っている。自社の作品のことなんだから当然、とは言っても、ここまでのめりこむ人は珍しい。貴重である。衣装の趣味はちょっと、だが。

結果、『千夜一夜物語』はかなりの工業的成功を収めるが、次の『クレオパトラ』では、出資者から、もっと手塚調を出してほしい、という要請があり、演出を手塚と山本瑛一の連名にした結果、まったくまとまりがつかない作品になる。『クレオパトラ』の冒頭の実写とアニメの奇っ怪なる合成画像はお客の度肝を抜いたようだ。談之助さんは『千夜一夜』を公開時に見ているが、そこで将来自分の師匠になる談志が声をやっていたというのも何かの奇縁。

中休みに、お客で来ていた方から、昔の週刊誌の別冊のマンガ特集号で深井国が描いていた女性が主人公のスペオペ風の作品を見せてもらう。いや、カッコいいのなんの。私もこういう作品の載った雑誌を何冊か持っていたはずだが、今度掘り返してみるか。FKJさんにも挨拶。彼はササキバラさんと『やぶにらみの暴君』ばなしで盛り上がっていた。

それから後半は『ベラドンナ』。
「ただ絵を流すだけでなくしゃべってください」
とさいとうさんから指示があったので口を止めないようにするが、それでもときおり無言で見入ってしまう。製作に三年の月日をかけて、その間に虫プロ商事の倒産という不幸な事件もあり、結果、この作品が虫プロをつぶした、とまで言われる結果になってしまった作品だが、これは今のアートアニメファンにも絶対評価されると思う。さらに言えば、深井国という画家は、これだけ実力がある人なのに、何故かいままでその画業をまとめた画集がない。これを機会に、深井国画集を編む人はいないか? 解説・もしくはオビ文は引き受けるが。

最初はササキバラさんなどと
「しかし、アニメラマだけで三時間、話が持つかね?」
と言っていた(他の関連資料なども話題切れのときのためにお互い用意していた)のだが、三時間どころか、珍しく終演時間の10時を1時間もオーバーして11時まで。しかも最後は私が独走気味で熱く語ってしまった。

以下、雑考。
手塚治虫は自分へのディズニーアニメの影響を強く語り、『バンビ』を60回以上見たエピソードを語っているが、しかし、その目指したところは全く違っていた。繰り返されるメタモルフォーゼや、ギャグを放りっぱなしにして収集をつけないあたりは、フライシャーなどの世界観にむしろ近く、また手塚はディズニーのテーマである牧歌的雰囲気にあふれた作品を、ついに製作しなかった。ディズニーの持つ世界観には、奇妙なことだが父親像が極めて影が薄い。長編アニメのうち、初期の『白雪姫』、『ピノキオ』、『ダンボ』、『バンビ』、『シンデレラ』の主人公たちには揃って父親がいない。恋人である王子の父親が登場する『シンデレラ』でも、その父親像は王の威厳を全く欠いた、アメリカの中規模企業の社長程度の存在に矮小化されてしまっている。しかし、手塚作品の多くの中心にあるのは『ジャングル大帝』のパンジャのように偉大で強権を持った父親像であり、『アトム』の天馬博士や『どろろ』の醍醐景光のように、ときには息子と対立する存在でもあった。美しい女性への絶対の思慕を隠そうとしない一方で、このようなある意味憎まれる父親像を描き続けた手塚の心象はどのようなものだったのか。
……以前、朝日新聞で出版予定だった手塚論は、こんなことを主題にする予定だった(執筆がこちらのスケジュールでのびのびになり、ついに立ち消えになってしまったが)。今日、手塚の作品でありながら誰もが一生懸命に語ろうとしない(宮崎駿という大物が批判しているせいもある)『千夜一夜』と『クレオパトラ』を見て、その説のちょっと別バージョンを考えついた。そういえばH書房に移ったという編集のIくんが来てくれていた。この企画を出してみようかしらん。

終って、カスミさんも誘い、『上海小吃』へ。お母さんが“お兄ちゃん、ヒサシブリネ!”と言ってくれる。青島ビールで乾杯。カニの卵炒め、シジミ、タニシなど。ササキバラさんとはクラシックアニメの話、談之助さんとは次の落語企画の話。なんだかんだで話がはずみ、気がついたら2時近くだった。談之助さんと乗合でタクシーで帰る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa