裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

16日

月曜日

打ち合わせだなあ、僕ぁ君といるときが一番打ち合わせなんだ

だって、あなたの担当編集者ですもの、私。

朝8時起床、あわてて入浴、のつもりだったが風呂を出て時計を見たらまだ8時。1時間間違えた。まあ、早い分にはいいか。9時朝食。豆スープ、ピオーネ、柿といつもの。

相変わらずのスロースターター。11時に恵比寿GP待ち合わせなので、9時45分に早すぎの弁当(コンニャクハンバーグと目玉焼き。目玉焼きをつけるとコンニャクハンバーグのダイエット効果がなくなってしまうのでは……)使って、10時には出ようと思っていたのが10時30分出になってしまう。10分遅れで着。

Kさんはじめ、エージェンシーのスタッフ6,7人と、12月の梅田佳声猫三味線通し口演の恵比寿GP内ガーデンルーム下見。しかし、何というかやはり大仰な建物だなあ、という印象。劇場内部はまだ舞台も椅子もしつらえてない状況であるが、さすがに設備等は充実。どこまで寄席風にするか、あるいは舞台にしろ何にしろ、組みっぱなしで、口演の内容に注目させる形にするか。

下見終えて、GPのハワイアンな喫茶店(店員がアロハ姿)で打ち合わせ。クラブハウスサンドご馳走になる。入場料のことで、エージェンシーさんサイドからかなりしっかりとした見識の意見、出る。要するに、入場料を上げましょう、というもの。なるほど、と納得。紙芝居というものの地位の引き上げには歌舞伎や狂言に比べ入場料があまりに格安でもいけないわけだ。『円生の録音室』で、著者の京須氏(CBSソニー社員)が落語のレコードに価格革命を起こし、クラシックのレコードとほぼ同じ値段で売ることで、話芸の地位を上げたい、というコンセプトを提示していたのを思い出した。その他開演時間などざっとしたことを決め、私は退出。

事務所に帰り、オノ、バーバラと雑談しながら、次の打ち合わせ用の資料を用意。待つ間もなく楽工社Hさんくる。オノのパソコンを借りてDVDをHさんとバーバラに見せながら本の基本方針を固めていく。熱が入り、かつ、その後、もう一冊分の本の打ち合わせまでやって(ここには現在、4冊の本の製作に加わる約束をしており、さらに1冊、こっちから企画を出している)、ふと気がつくと3時間使っていた。

打ち合わせ中にクリクリに今夜の席(半田健人くんとの打ち合わせ)を予約。青山の『もくち』(井草鍋のところ)にしようと思ったのだが、間の極めて悪いことに、ゆうべ中居正広のブラックバラエティで紹介されてしまい、そのせいかどうかしらないが、今日の予約はずっと電話が話し中でつながらなかった。他にも連絡電話頻々。

Hさん帰ったあと、バーバラの依頼で、彼女の出す本『ニートのための読書案内』に寄せる文章をテープに吹き込む。それから1時間ちょっとの空き時間を使って、講談社『週刊現代』のマンガ評を書く。志村貴子『青い花』。

7時45分に書き上げて、メール。ギリチョンである。あわててオノとタクシーで参宮橋。道が案外空いていて、5分ちょっとで到着したのに驚いた。最初からこれがわかっていればあせらずにすんだのに、とせんないことを考える。

幸い最初に到着。半田くんとその事務所(ヒロックス・エンターテインメント)の人二人、それにイニャハラさん加え、食事しながら彼の昭和歌謡の話を聞く。22歳にしてその口から流れるようにほとばしるマニアックな歌謡知識に翻弄される。筒美京平史観に穴をあけたいとか、70年代歌謡の特殊性とか、トテモついていけず。もうそのオタク度とイケメンとのアンバランス性がすごい。彼に言わせると70年代歌謡とは
「1971年から79年まで」
なのだそうだ。
「70年は入らないんですか」
「70年は60年代でしょう」
という、よく意味のわからない線引き(じゃ、71年から80年までが70年代歌謡なのでは?)が、いかにもマニアのこだわりであってよろしい。

天地真理がどうして人気があったのかわからない、というので紅白に天地真理が初出場したとき(72年)、演出で紅組全員が立ち上がり“真理ちゃーん!”と叫んだとき、美空ひばりだけが微笑みながらも立とうとしなかったというエピソードを紹介、それで週刊誌が一斉にひばり叩きを始めたという話で、
「つまり、天地真理人気はそれまで長いこと日本を覆っていた60年代旧歌謡曲(の象徴たる美空ひばり)支配が崩れるという、その革命の象徴であるキャラクターだったということに拠るんですネ」
などと解説。彼は百恵信者なので、よりいっそう、なんで天地真理が、という気持ちになるのかもしれぬ。百恵信仰が、“アイドルなのに作られた存在でない”という思想に支えられているということは、その前に“作られたアイドル”の存在が絶対必要なわけなのだが。あと、『恐怖の人間カラオケ』の話をしたら
「そのレコード、ありますか?」
と目を輝かせたので、今度収録の際に貸します、と約束しておく。

半田くんはあまり酒は飲めない(本当に最近の若い子には酒を飲まないのが多い)し、プロダクションの女性もそんなに飲まない。もっぱらアルコールはこちら側の人間が消費。それでも普段の三分の一くらいか。とにかく、リスナー置いてきぼりでいいから、むしろ置いてく方向で、とにかく濃い話をしていることがわかればいいから、と言っておく。

半田くんはいま、芝居の稽古中だそうだ。宮沢章夫の『鵺』だそうな。芝居ばなしもいろいろ聞く。私も最近は芝居づいているので、ちょっと話がはずむ。マネージャーさんから、コイツ(健人)は本当に真面目なやつなんで今後ともよろしく、と言われる。
「今度何かご一緒に、とはよく言われるんですけど、本当にこんなにすぐ声かけていただいたのは初めてなんで」
と。こっちも、いろいろ予定している企画に協力をお願いしておく。

11時半、出て金曜よろしく、と握手して別れる。ひさしぶりのクリクリだったが、食べたものの記憶がほとんどない。ほぼ、歌謡曲ばなしに力を出し切ってなんとか食らいついていた、という感じ。オノやイニャハラさんもそうだったんだろう。すでに時間は12時近かったが、
「先生、もう一軒行ってクールダウンしましょう」
とオノが言うのに全面的賛成。参宮橋飲み屋街の『アシア』という韓国料理屋で真露飲みながらバカばなし。ハイになっていたのか、三人で人物月旦などしながら大笑い、大盛り上がり。ここ一ト月あたりで一番楽しく飲めた晩かもしれない。カンバンの一時過ぎても、オモニが“マダイイヨ”と言ってくれたのをいいことに真露、小ビンなりとは言えど三本、あけた。クリクリで小額紙幣使い切ったのでイニャハラさんにおごってもらう。2時、タクシー乗合で帰宅。

忙しい身であることはこういう商売として歓迎であるし、充実感もあるものだが、しかし今日はなかなかヘビーであった。最後の飲みがハイだったのも、そのスケジュールなんとかこなした、という解放感だろう。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa