裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

1日

日曜日

踏んだりケータリングしたり

弁当を落っことした上に車が通っちゃってさあ。

朝5時半ころ目をさまし、隣に寝ている談之助さんは仕事に間に合うだろうか(今日、埼玉での仕事があるので朝一で出る)、と気にして、また寝て10分とかごとに目を覚まして様子をうかがう。予定では6時に朝食、6時半にタクシーなのである。6時10分ころ、ガバッと起きて身支度を始めたので、
「いってらっしゃい」
と声をかけると、
「ぼちぼち」
と答えて出ていった。
それからまた寝て、7時にこっちも起き出し、入浴。朝の空気と共に味わう露天風呂は気持ちよし、ただし昨日とはうってかわった曇天。昨日の晩は奇跡的な花火日和だったのだな。

『久米川』の朝食はまず、ごく普通の(中の中)のホテルの朝食バイキング。とはいえ、空気がいいとこういう何でもないものがおいしい。納豆を二つとって、それと味噌汁、漬物がありさえすればそれでいい。jyamaさんもやはり納豆二カップ派らしい。私は本当なら三カップくらい食べたいところ。

食べて、部屋で10時近くまでゴロゴロ。旅中読書用にと、ちょっとかさばるが持ってきた原田実『日本霊能史講座』(楽工社)読み継ぎ。内容の凄さはまた完読後に改めて書くつもりだが、こういうサブカル史の視点からの切り口を持ち、かつ歴史書として重厚で、さらに読物として面白い構成のもの、という本が日本に少ないことに不満を持っていたので、その喝を癒す良書である。カタログ的な価値もさることながら、歴史を連続性でとらえた視点が知的興奮を読むものに与える。これは他の歴史入門書も学ぶべき視点だ。また、黄表紙や映画『大霊界』など、引用する資料に大衆的なものもどんどん取り入れているのが大変に好感。

10時、ロビーに三々五々、集まって雑談。開田夫妻と金沢の講演の話など。予算問題もあり、スポンサリングが大事になる。一度、打ち合わせのためにでも単身金沢入りするか。半にヒコク氏迎えにきてくれる。バンに乗り込んで、昨日の神社にお参り。まだ山車は残っているものの、きれいに片づけられていて、昨日のあの同じ境内とは思えない雰囲気。“奉献”の文字が大提灯に書かれている。昨日、社務所の時計にかかれていたこの奉献の文字が隷書体で、しかも右から“献奉”と書かれていたので、何と読むのかわからなかった。

それからまたバンを飛ばして阿智村、末廣庵。お父さんが相変わらず、店の前を徘徊するように歩いている。蕎麦打ちは息子(娘婿)がもう仕切っており、蕎麦粉の選定などが終ればもう、やることがないのだろう。まずはマイタケてんぷらでビール、マイタケのうまさ。昨日のマツタケを凌駕するかも。そして末広(三人前盛り)。ヒコク氏、開田さん、しら〜に私が挑戦したが、一番先に食べ終ってしまった。蕎麦腹が別に出来た如し。末広の台が扇子を模している(大きすぎて模しているとはもう言えないが)ことをjyamaさんに指摘されて初めて気がついた。

壁に“五島流君家太極拳”という肩書きの段位証(2段)が貼ってある。しら〜さんが興味を示して、
「聞いたことのない流派だなあ」
とメモしていた。ここの若旦那のものか?

店のバイトの女の子が私のファンだそうなのでサインし、信濃毎日新聞のインタビューに答えるコメントを書き、恒例のお父さん像の前での万歳写真を撮って、さてこれで長野・伊賀良の全日程を消化。フーと息をついて、ヒコクのお店しなの路へ。ソースカツ弁当を作ってもらい、それをお弁当にして長距離バスに乗り込む。
今回もヒコクさんには本当にお世話になった。能登のこうでんさん、金沢のメトロンさん、先代にはあのつくん、博多では元AIQのメンバーたち、と、旅行先現地に詳しいナビゲーターが存在するというのは本当に有難い。こういうときには本当に、モノカキになってよかったと思う。

おみやげ買い込んで長距離バス中の人に。途中から雨、本降りとなり、まったく昨日の天気の神佑みたいなよさに改めてよかった、と思う。車内でソースカツ弁当。恒例の事故渋滞で一時間遅れとアナウンスあり、しかしまあ今年はそれほど急ぐ用事もない(去年はブジオの第一回放送に間に合うか、ギリギリのところだった)ので気が楽。あぁルナの台本読み合わせは7時だから、いくらなんでもそれには間に合うだろう、ということで。

ところが車中で気になる情報をしら〜が伝える。コミックマーケット準備委員会の代表から米澤さんが降りた、という。原因はギックリ腰、だとか。しかし、もっと重篤な病気なのではないかという噂も広まっているという。どうも気になるので、すでにモバイルが通じる場所になっていたのでmixiなどで情報を探っていたところ、なんと、米澤さん死去、という情報が入ってきた。しら〜の集めた情報と付け合わせ、どうも事実らしい、と。
「タバコの吸いすぎかな」
と最初死去の噂のことを耳にしたときに口をついて出たがやはり肺ガンであった。

今や伝説となっている同人誌『迷宮』を手にしたあの時代が彼の名を目にした最初であり、今年の夏コミに彼が出した同人誌に原稿を書いたのが最後のつながりであった。米澤さんにとっても、その同人誌が絶筆となったようだ。最後に原稿をご一緒できたことがせめてもの慰めとしたいが、しかし悲しいつながりである。対談やイベントで何度も顔はあわせていたが、何より印象的だったのはやはり、古本屋でバッタリ顔を合わせたときだろう。古書市での確率が高かったが、渋谷の古書センターとか、何でもない古書店にでも、ふらりと立ち寄り、会ったときには必ず本を山のように抱えていた。思えば彼とはコミケのことより、古本のことを話した時間の方が長かったかもしれない。あの蔵書は今後どうなるのだろう。多分、放出されたら東京の古書価には少なからぬ影響を与える量があると思う。

本を書いたり、映像作品を作ったり、あるいは個人のパーソナリティで現状に何らかの変化をもたらすことでわれわれ業界人は業界の歴史に名を刻む。しかし、そんな才能は実は小さい。本当の才能とは、それら才能ある人々に、才能を発揮させる場を作り上げること、である。この“場”のクリエートが出来る人間こそ、文化創造における最大の功労者である。当然だが、そんな人は(ことに近来においては)ほとんど出てこない。同世代の中でそれを成し遂げた希有な例でありかつ最大の例が、コミックマーケットの立ち上げにより同人誌文化というひとつのカルチャーシーンを生みだす“場”であり“システム”を作り上げてしまった、米沢嘉博という人物であった、と思う。それはそれまで鬼っ子であった日本のオタクと呼ばれる若者の一団を、文化クリエイターとして一気に格上げした。それまで個人々々、せいぜいがグループ単位であったオタク文化の生成現場を、一ヶ所に固め、集めることで、巨大な発見と交流と切磋琢磨の工房と変化させたのだ。その数と規模を実見することでオタクたちは、自分たちの文化のスケールの巨大さを認識し、また、自分たちの持つ力を確認したことだろう。やおいやコスプレといったジャンルはコミケなくしては定着しなかったに違いない。疑いなく、彼はオタクたちの生活スタイルを変え、日本の文化を変えた。日本を変えたと言っても、もう何年かすればそれで通じることになると思う。以前一緒に飲んだとき、ほとんど私は、コミケ立ち上げ時期に語り伝えられていた“伝説”の真偽の確認に会話を費やした。もっと細かく訊いておけばよかったと思う。いや、私などが訊かなくても、いずれそれらのことは、米澤氏自身の手でいずれわれわれの“正史”として書き残されるはず、と思っていたのだ。これだから油断はできない。米澤氏自身にとってもこの早世は無念のことであったろう。しかし、もっと無念に思っているのは、“自分たちの時代の証言者”を失ってしまった全国数十万のオタクたちではないのか。

いつぞやの夏コミで、冷房も効かない暑い中、私のブースに
「暑いよう」
と言いながら、あのアバタ顔全体に汗の玉をためてやってきてくれたことを思い出す。沖縄コミケに行ったときの会場で顔を合わせ
「なに、こんなとこまで来てくれたの?」
と驚いていた顔を思い出す。某社のパーティ会場で、大御所のマンガ家先生にその場の人びとをいちいち説明しながら紹介して、私のときに
「この人は、えーと、どう説明したらいいかな、“ヘンな人”です」
と言って笑ったその顔を思い出す。B級漫画評論で私のやり方を模倣していながら私を批判するおかしな連中が出てきたとき、それらを“唐沢俊一のパチもん”と断じて葬り去ってくれた、頼もしい口調を思い出す。そして、その手許から常に離れなかった煙草を思い出す。ヘビースモーキングはやはり毒である。

それやこれやのことを想いつつ、6時、新宿到着。他のメンバーと別れ、あやさんと丸ノ内線で荻窪。荻窪区民文化センターであぁルナティックシアター『星に願いを』スタッフ顔合わせ。長野みやげのりんご饅頭などを渡し、一緒に昨日ヒコクさんから差し入れのあったスズメバチをどうぞ、とさしだす。驚いたことに、乾ちゃんはじめ、女優さんたちも他のみんなも面白がって手に取り、口にするのである。さすが、役者さんたちの好奇心は大したもんだと感服した。

私の書いた台本とあやさんの書いた台本、それぞれのキャストに別個に渡し、そして稽古も最初は別々に行って、そして合同稽古で初めてお互いがこういう芝居なのか、と理解して、かつ、それらを橋沢さんの書いた台本でどう融合させられているかがわかる、というちょっとサプライズの入った趣向。説明の最中、携帯にYさんから電話、米澤さんの葬儀に関して。

それから二次会の会場に場所を移す。橋沢さん曰く
「では、私のよく利用する高級料亭に」
「やるき茶屋か、また」
「どうしてわかった!?」
というやりとりに笑う。やるき茶屋で、初対面の役者さん(まめや別館からの客演組)たちと挨拶など。あとは雑談、この劇団の特徴である、ノリだけでどこまで行くか、という狂乱含みの飲み会となる。この楽しさは麻薬みたいなもので、一旦ハマると抜け出られないのだろう。落語の世界などにも似ている。席をいろいろ移ってみんなと会話、疲れているが非常に楽しかった。菊ちゃん、美佳ちゃんとも久しぶりに話せたし。

12時過ぎ解散、雨の中、あやさんとタクシー相乗りで帰宅、荻窪からなのでいつもと逆に最初に開田邸に寄ってそれから私のマンションに。車内でもちょっと米澤さんのこと。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa