裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

29日

木曜日

後藤真希真希、後藤真希真希

ひいてひいてトントントン(伊藤真紀の方が語呂がいいという指摘があったがわかりにくいだろ……)。

寝ていたら足が攣る。それで夜中に何度も起きる。起きていると攣らないがむくむ。数時間仕事するともう、水死体の足のように変形する。なんとかならないか。まあ、それ以外には体調不良がほとんどないのだからゼイタクも言ってられないか。
朝7時半起床。トイレ読書『ウォーホル日記』1984年。

トルーマン・カポーティが死に、ジャン・ミシェル・バスキアがどんどん日記の中心人物になっていく。彼の才能を認め、協力しながらも、その描きかけの絵を見た人がたまらなくそれが欲しくなり、その場で金を支払って買っていくのを見て
「不思議な気がしたよ。だって、もう長いあいだ、ぼくにそんなことをいった人はいないもの。昔はそういうこともあったけどね」
(10月3日)などと、嫉妬まじりの感想を述べている。どうしても“あぁルナ”の『バスキア』のウォホール(佐々木輝之・演)が頭にちらつくが。

あと、抜群に面白かったのがショーン・レノンの誕生パーティに行って、彼の部屋をのぞいてみたら、若い男がショーンへの誕生祝いのプレゼントでマッキントッシュのコンピューター(まだ“マック”などという愛称はない)をセットしている。ウォーホルがそれを見ながら、自分のところにも以前、マッキントッシュをくれるという電話があったと話すと、その若い男が顔をあげて、
「ああ、それはぼくですよ。ぼく、スティーヴ・ジョブスです」
と名乗るくだり(10月9日)。ジョブス自らがつないでくれるとは、いい時代もあったものだ。

9時、朝食。スイカとどろりとしたジャガイモのスープ。花まるに北村総一朗が出ていた。こんなに売れっ子になるとは思わなかった、というか、年寄役でこの人が売れるとは。最初に名前を覚えたのは74年の大河ドラマ『勝海舟』で、海援隊の一員で坊ちゃん育ち、隊の財政を助けながらも、洋行がしたいという一心で隊を裏切り、詰め腹を切らされる青年隊士、饅頭屋こと近藤長次郎の役だった。思えば昔。

同人誌原稿が遅れている、と母に注意されるのに笑った。ともあれ、今日は夕方までそれにかかりきり。今回の同人誌はこれまで個人で出したものの中では最もマニアックなもので、それだけに執筆に時間がかかり、しかしそれだけに書いていて面白い。他人が読んで面白いかは知らないが。

弁当2時に使う。鳥肉とピーマンの炒めもの。例の原発関連の講演先から電話、私で公演者はほぼ、決まったという。何度も“すいませんが先生の原発に対するお考えはいかがでしょう”と訊かれた。そんなことで時間を食ったので講談社Nさんから催促くる。あわてて出社。原稿を書く。今日中に出さないと落ちるところだったそうな。危ない々々。しかし、事務所で私が最初にしなくてはいけないのは5時半に取りにくるNHK出版のゲラ戻しである。

書き終えて、すぐモウラ原稿に入る。今日も稽古は休まざるを得ない。あせるし、あんなに面白いものをもったいないと思うのだが。最近の私の忙しさは常軌を逸しているな。7時半、書き上げてメール。ホッとした。それからさらに同人誌書いて、なんとか1/3を完成させる。

そこらで力尽き、死にそうになる(足も腫れた)。ゼイタクではあるがタクシー飛ばして上野まで。道がガラ空き、信号運もよくて、なんと20分かからずに上野広小路に到着。運転手さんが“テレポーテーションしたみたいに早いですね”と言ったのを聞いて小松左京の『明日泥棒』を思い出した。あれ、映画化できないかなあ。そう言えばこの運転手さん、携帯の着メロが伊福部昭だった。テレポーテーションなんて言葉が出るところから見て、SFマニアか?(年齢は50代半ば)

談笑独演会、いい具合に中入りで入れた。もっとも前半の『薄型テレビ算(壺算)』のノリが凄すぎたらしく、後半の『火炎太鼓』の時間が(小屋の関係上)20分くらいしかない。すさまじく大急ぎな火炎太鼓となりしかも途中に“初音の鼓を売りつけようとしてインチキがバレて打ち首にされた古道具屋のさらし首”なんてエピソードも入り、かなり談笑チック。草臥れた脳のいいリフレッシュになった。

終っての挨拶で、“結局、落語が鋭さを失ってしまっているのは寄席というシステムの中で「誰の口にも合うような」演出ばかりをやっているからで、その時その時、また場所々々での客の質や種類によって演出を違えるというやり方でいいのではないのか……”と言っていたのが意識に残る。思えば昔は落語家には“お座敷”というものがあり、料亭やお旦の家に招かれてそこの余興で一席やったのだが、そこのお客は当然、落語通でしかも教養のある客であり、落語家たちはそういう席では絶対寄席にはかけない、秘蔵のネタを演じたそうだ(佳声先生に聞いたところでは紙芝居にも、そういうのが少数ながらあったという)。

独演会というのは本来、そういう機能を有しているもののはずで、他の、一般の席では絶対聞けないネタを聞く場になるべきなのだ。私はそうなれば、もっと独演会の入場料は高くていいと思う。一人5千円から1万円くらい出して、他人には聞けないネタをこっそり聞く会、なんてのが普及すれば、落語(落語家)の質というのはもっと上がるのではないか。独演会で、いつも寄席でやるようなつまらんネタを聞いて“この落語家も芸が上がった”などと喜んでいるような半可通が落語を演芸の前線から後退させているような気がする(……過激ですな、どうも)。

終って結局味兵衛で二次会。山口A二郎さんやアスペクトK田くん、ぎじんさん、夏さんなどと、他のお客さんたちとは離れた奥の席に座ったので、気楽に話が出来た。いつも来ているユニークな服装のお客さんの話になった。あと、声ちゃんの話など。ユニークな柄の着物を作っているキモノスイッチというスタジオのデザイナーの女の子がいたので、カタログを見て、この柄でシャツを作ってくれれば買うよ、と依頼。12時に解散、帰宅してメール数通。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa