26日
月曜日
首から下はシイタケ男
ショッカーによって脳改造される前に逃亡した怪人シイタケ男はやがてドラマやバラエティー番組の常連になって……。
朝8時起床。午前中は昨日の転倒の後遺症か腕が痛んだが午後から回復。入浴、梅雨時だからだろうが風呂場の排水溝から異臭あり。じめじめはイヤだね。9時朝食、冷製コーンスープとスイカ。
悪代官俳優・川合伸旺死去。74歳。まあ、悪代官に関しては本人のフィギュアまで出てしまったほどの人で、ご本人の公式サイトも『悪代官・川合伸旺』となっているほどのハマり役なのだが、私にとってはやはり声優のイメージが強い人である。ポール・ニューマンの吹き替えで有名だが、まれにジェイムス・メイスンなんかも吹き替えていて(『北北西に進路をとれ』とかの)、こっちの方が本人のキャラ的には合っているんじゃないかと思った。TBSでやった『レッド・サン』ではなんと三船敏郎の吹き替え。これが本人よりよほど滑舌がいいのには笑ってしまった。スター性では三船が圧倒だが、演技の基礎では川合氏圧倒! さすが三島由紀夫の浪漫劇場で鍛えられただけのことはある。
何年か前、朝のワイドショーでビルの上からの建設機材落下事故(だったか?)で九死に一生、ということでインタビューを受けていて、あの声で
「いやあ、怖かったねえ」
などと言っていたのが妙におかしかった。スターは死んでも代わりがいくらもいる。いい悪役俳優は死んだら取り換えがきかないのである。死ぬことはまかりならぬ、と悪代官の声で命令してほしいくらいだ。
日記つけ、メールチェック。マーシア・ランディ『モンティパイソン研究入門』(白夜書房)読了。これまでのモンティ研究書のうち最もつまらなく、価値のない本。現代思想系アカデミズム(これを感情的に条件反射で嫌う傾向が私には強いものの)に特有の、“電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんなポストモダンのせいなのよ”な強引な我田引水が読んでいるこちらを辟易させる。
「『フライング・サーカス』にはポストモダンな要素があふれている。それは例えばパロディ、相互テクスト性、取捨選択性、芸術的・文化的な型(フォーム)とともに現実と幻想の世界を融合させ貶めることである。(中略)『フライング・サーカス』は典型的なポストモダン文化が生み出したものであり、マクレガーのような批評家が論じているように、パイソンズの貢献はポストモダンの文脈においてより深く、なおかつ批評的に理解されてしかるべきであろう」(本書152P)
この著者が、この結論を正しいもの、と主張するには、モンティ以前のコメディ番組のギャグとの対比が不可欠であり、例えばスパイク・ミリガン、ピーター・クック、ピーター・セラーズなどの番組にパロディ、相互テクスト性、取捨選択性などが本当に無かったのか(それらの特性が本当にモンティパイソン以降に表れたものなのか、あるいはメンバーの作った初期の番組群『アット・ラスト・ザ・1948・ショウ』や『ドウ・ノット・アジャスト・ユア・セット』のギャグとモンティパイソンとの境界はどうなのか)、ということの検証が行われなくてはならないはずなのに、そういう作業は一切行われず、ただただ、羅列的にモンティパイソンのギャグを提示して、これはポストモダン的文脈におけるこういうもの、これもポストモダン的にいわゆるこれこれ、とこじつけているに過ぎない。上記のように著者が挙げた項目をただあてはめるだけなら、古典落語はポストモダン文化が生み出したもの、歌舞伎はポストモダンが生み出したものとだって言えるだろう。
訳者の奥山晶子が書いている後書きが面白い。たぶん、パイソン・ファンである訳者本人、訳していて面白くなかったのだろう、
「権威を拒否するために存在していたような『フライング・サーカス』を、現代のアメリカ人の視点でアカデミックに解体し、意図や示唆するものを吟味していくことに意味はあるのか、という疑問をこの本は残すかもしれない」
と、正直なところを述べている(もっとも、書いてからこういうことを訳者が言うのもどうか、と思い返したらしく“もっとも、これは「ある」あるいは「ない」という答えを出せる問いではないだろう”とフォローしているが)。この訳者と喰始、須田泰成の解説だけ立ち読みすればよろし。
義理あるところから頼まれた同人誌原稿、書き出す。自分の心覚えにもなるものなのでせっせとやる。書いていて止まらなくなり、どんどん長くなる。昼は弁当、卵焼きにタラコ、牛ツクダニ、それにミョウガの味噌汁。汗かいてまたシャワー。
雨ポツポツの中、渋谷へ。タクシー使ったが、運転手さんが道がわからぬ、うっかり曲がるとこを曲がらぬ、止める場所を指示したのに間違えるというどうしようもない人。しかし人品骨柄は上品な人。途中で“大きな忘れ物です”とアナウンスが入ったので、“強盗ですね”と言うと、
「最近は多くてねえ。車ごと行方不明になってしまう人もいて」
とのこと。運転手って商売も大変ですね、と言ったら
「いえ、運転手も悪いんですよ、たいていギャンブル好きでね、多額の借金背負っている人が多いんです」
という。その債権者にとっつかまって“大きな忘れ物”になる例も多いのだとか。
で、驚いたのはその先で
「私なんかは、この商売になる前にもう家を二軒建てて、二億ほど貯めてましたんで気が楽ですが」
と言う。船まで持っていたのだが、それは事故で無くしたそうだ。
「もっとも金はね、親戚とかにいまほとんど貸してしまって手元にはないんです。ありゃ、戻ってこないでしょうなあ」
と言う。週末には別荘で釣り三昧の身分だそうだ。自分がタクシーの運転手さんの足下にも及ばぬというのも情けないが、しかしだからと言って中野から渋谷までの間に二回も道を間違うというのは、やはり適性に問題があるだろう。
事務所、オノが汗かいて椅子の箱を片づけていた。原稿の続き書く。3時、時間割。『花田少年史』DVD−BOXブックレット用のインタビュー。幽霊というテーマとレトロから説き起こして、現代人が失った時系列での人間のつながりなどということを話す。幽霊ものという伝統の中に実は隠されていたもの、として落語や歌舞伎などのテーマとこのアニメにつながるものを探すという試みの話。私らしくもない感動的な話となった。
事務所に帰ったらバーバラ来ている。オノと三人で雑談、某誌某女の写真うつりの月旦など。6時からのコムテツ稽古、原稿が終らないので今日はパスしてもらう。それから原稿書き続け、総枚数20枚近くで、なんと10時までかかった。途中、さいとうさんから電話、9月に『声のいいおじさんナイト』ロフトでぜひやりましょう、とのこと。声フェチ女性の数が多いことに驚く。
入浴して、まだ本調子でない足をいたわり、それから酒。メザシ焼き、肉刺し、油揚炒めという定番で。DVDでヨーロッパ映画いろいろ。カナダ在住の映画ファンの主婦の人とメールやりとりしているが、彼女の誕生日に大ファンのジョン・モルダー・ブラウンの名が私の日記に出たのが大のプレゼントだった、とのこと。結局、ドラフトギネス、八海山、ホッピーと相次いで飲んで、2時半まで起きてしまっていた。