裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

4日

日曜日

いつでも宗男

真紀子よりうるさく〜
小泉よりずうずうしく〜
あの子はいつも〜がなってる〜

朝7時半起き。さすがにグッタリ。体力的というより、二次会三次会でテンションあげすぎた反動だろうな、これは。9時朝食、アスパラガスのスープ、ブドー、ゴー
ルデンキウイ。

午前中は日記つけなどで費やす。例の盗作画家の和田義彦という人は和田義盛の子孫なんだそうだ。確か『東外流外三郡誌』の和田喜八郎も確かそのように称してなかったか。どうも子孫とかそれを名乗る人にニセモノに縁のある人が多い武将である。そう言えばテレビで、アルベルト・スギ氏の原画と、和田氏の絵をスライドで重ねて、そのピッタリさを強調しているのがあったが、東外流外三郡誌絵巻の挿絵が『國史画帖大和桜』の絵とソックリである、とやはりスライドで重ね合わせる、というのは永瀬唯氏がと学会の発表でやっていたな。

弁当はシャケのムニエル風。ごはんには合わず。2時、川上史津子さんのお誘いで阿佐ケ谷まで。ザムザ阿佐谷で劇団☆A・P・B−Tokyoの寺山修司『狂人教育』を観る。日にち、昨日までだったら絶対いけないところだった。阿佐谷の雰囲気は本当に昔のまま。店の入れ替わりはあるが、これだけゴチャゴチャした飲み屋街も最近の東京では珍しいのではないか。

ザムザ地下の舞台、巨大な時計、星と月をかたどったドア、音符の刻まれたテーブルといった、“巨大なミニチュア”風(原作はもともと人形劇台本)な象徴的しつらえの中、開演前から人形ぶりの女優さんがぜんまい仕掛けのように踊っており、いかにも60年代寺山芝居、という感じで結構。お客にも昔の寺山修司の芝居に通っていたという世代が多かったらしく、客席で長々と語るおばさん(お婆さん?)みたいな人がいた。しかし、立錐の余地もない満席。今日の昼公演は追加公演としての特別公演で、かなり余裕を持ってごらんいただけます、とか川上さんのHPにあったが余裕どころか、身動きもとれない盛況であった。寺山のカリスマ、没後23年にしていまだ衰えず。

とはいえ、昔のものを昔のままに再演しただけではいかに寺山の舞台と言えど通用すまい。それを見るに足るものへとしていたのは、役者さんたちの好演、ということに尽きるのではないか。川上史津子さんは丸尾末広の漫画から抜け出してきたかと思えるような、学生服に眼帯の美少年、鷹司役。カラスアゲハを部屋に閉じこめ、逃げないようにその部屋の扉の前で寝るんだ、と嬉しげに語るその表情(特に片目)。このドラマは、祖父、祖母、父、長女、長男、次女からなる6人の家族が、医者から
「家族のうち一人だけが狂人だ」
と告げられ、一家の名誉のために、その狂人を殺そうとして全員が疑心暗鬼になる、という話(それらのストーリィは、“たぶん”唯一まともだと思われる次女の口から語られる)だが、まず、中でも最も狂人的な役柄が川上さんのものだった。

そして一家の専制的な祖父を演じるたんぽぽおさむという俳優さんが、日本人離れした(ヒゲ、眼つき、口元など、ビンラディンそっくり)顔と存在感で無茶苦茶に印象に残った。モーニングにシルクハットという衣装がピッタリで、これは顔で食える人であるな、と感心。
http://www.h3.dion.ne.jp/~apbtokyo/page093.html
はっきり言って、寺山修司の観念的台詞には学生時代に天井桟敷の舞台をリアルタイムで観ていたときから、多少ヘキエキしていたところがあった。演劇というものに求めるものが違っていたのかもしれない。映画に関しては『書を捨てよ街に出よう』も『田園に死す』も大好きだったので、ここらへんは舞台というものの醸し出す臭み、といったもの(まったく、あの時代の役者たちは自分を文化的特権階級のように信じこみ、他者にもそれを押し付けていた)が嫌いだったんだろう。

時代は変わり、舞台というものに対するイメージも変わり、役者さんという人種の質も変わり、私も多少はオトナになり、そういったものを余裕を持って眺められるまでになんとかなった。そう思うと、寺山の強烈に欲していた時代性、というものがはがれ落ちて、素直にその言語感覚の遊び心が私に浸透するまでに23年かかった、ということなのかもしれない。

それでも前半の、まだテーマがひとつに収斂してくる前までの展開は苦痛。満員の熱気で息苦しいこともあり、眠気を抑えるのに、何度も席で体の位置を変えなくてはならなかった。しかし、後半に入り、狂人と思われないために、次女の蘭をのぞく家族全員が、同じ行動、同じ動作をしはじめるあたりから急速に面白くなっていき、
「じゃあ、テラヤマって人なの、悪いのは?」
と、いうメタ芝居的な台詞まで飛び出し、ラスト、全員が素顔になって、劇団員の本名で呼びかけ、真っ暗になった舞台の上でマッチの明りでメッセージを叫ぶあたりの演出には興奮してしまった。暗闇を破って一瞬マッチをすり、自分の顔を照らしだす演出はあの有名な寺山の
「マッチする つかの間海に 霧深し 身すつる程の 祖国はありや」
へのオマージュだろう。

表に出ると、午後の太陽がまぶしい。川上さんに挨拶して一緒に写真を撮る(残念ながら眼帯はとってしまっている)。7月にもまた寺山芝居をやるそうだ。阿佐谷の街をちょっとぶらつく。駅前の古本屋がまだあったのに仰天したが、代替わりはしていたようだ(隣の喫茶店、アコヒーダはまだある)。ちょっと冷やかしてみるかと入ってみたが、サブカルのコーナーの棚があって、私の本が数冊、おいてあった。古本屋に自分の本があると、いつもちょっとギョッとする。

帰宅、途中で母に会ったので今夜の夕食を頼み、原稿書き。『フィギュア王』原稿。書いていてちょっと哲学的な内容になってしまったので通俗にかなり軌道修正。書き上げて、メールして少しベッドに横になって読書など。

9時、母の室で雑談しながら食事。安い肉のステーキと豚角煮、それぞれ美味。あとグリーンサラダ、もずくと貝柱のスープ。このスープがなかなか結構。

自室に戻って高級焼酎飲みつつ、DVDでトレイ・パーカー『チーム・アメリカ』。サンダーバードの『サウスパーク』的パロディだが、ギャグも風刺もキレ悪し。あのいい加減なアニメだと、実に無造作という感じでハリウッドスターとかを馬鹿に出来るので“言い捨て”芸になるが、ここまで凝った作りの映像の中でそれをやると、無邪気な悪意が無邪気でなくなり、単なる悪意、になってしまうんである。延々と続くゲロシーンには笑ったが。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa