裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

27日

土曜日

夢見る寒村人形

♪私は荒畑寒村人形、心にいつも社会主義あふれる人形〜。朝6時半起床、雑用いくつか、7時半ベル鳴って朝食。本日帰札するすがやさんと。私は果物数片。すがやさんにはベーコンと目玉焼き。ああ、こういうオーソドックスな朝食も懐かしいな。すがやさんに、昨日はあなたのお祝いなのに騒がしくてすいませんと謝ると、実は食事の最中急に体調が悪くなってしまったのだという。それで話の輪の中に入っていけないで出せなかった話題を、いま話す。山口昌男氏の近況のことなど。食べて仕度し、また二人揃って出て、今日は一緒に地下鉄に乗る。私は新宿まで、すがやさんはもち ろんお茶の水まで行って、古書会館の即売会へ行く。

 仕事場着、9時15分。『UA! ライブラリー』新刊の解説文を書き、『ゴミビア』のおぐりゆかの前書きに手を入れる。このおぐりの文章が、ギャグなどひとつも入っていないのに笑える不思議な文章である。“本日は『日本コミビア研究所』について、日頃良くされる質問を、私なりに答えさせていただきたいと思いますっ”とい う前フリに続き
・1、『コミビア』って何?
 と、その質問にナンバーをふっていながら、これだけで最後まで行ってしまい、2がない。いかにもおぐりゆかの文章という感じで、私は大笑いしたが、普通の読者にはわからないだろうと思い手を入れる。入れると普通の文章になってしまって惜しい んだが。

 風邪っ気か、少し背中のイヤなあたりが汗ばむ。体調不良。同人誌原稿ははっきり言えば低テンションでダラダラ書いていればそれでいいのだが、アスペクト『社会派くんがゆく!』のコラムとあとがきが難である。テンションあげないとどうにもならない原稿なのに、いっかな上がらぬ。救心のんでみたり、屈伸運動してみたりするがダメ。のざわよしのり君から某件について電話。彼、いつもいろいろ気を使ってくれる。申し訳なし。作業しているうちに昼になり、外出。どこで何を食うか、迷った挙げ句に江戸一の回転寿司に入る。エンガワ、どんな魚のエンガワかわかったものでは ないが、味は甘くて結構。

 その帰りにHMVにふらりと立ち寄り、CDを目につくままに買っていたら十数枚になった。帰ってサアいよいよ、とアスペクト原稿にかかるがやはりダメ。仕方なく 『ゴミビア』の原稿の校正を仕上げて、パイデザに送る。

 買ったCDの中から『レトロポップ・イン・シャンハイ』聞く。上海(後に香港)の50〜70年代名門レーベル“百代レコード”の中からのヒット曲を集めたもの。昨日の『EVERGREEN TOP』は洋楽のジャパン・カバーだったが、これは『ケ・セラ・セラ』とか『オンリー・ユー』のチャイニーズ・カバー。こういう英語ものはまだいいが、『上を向いて歩こう』『骨まで愛して』『上海の花売り娘』などという日本語の歌を中国語でカバーしているのが、(特に『上海の花売り娘』が)実に何とも奇妙なエキゾチズムでよろしい。中国人歌手が日本語で歌っているものもあり、聞きながらなんとも尻のあたりがムズムズするのを覚えて、ああ、例えばプレスリーとかが日本語歌詞の『GIブルース』などを聞いたときの感じって、こんなもの なんだろうなあ、と思ったり。

 アスペクトからは電話、メールで状況問い合わせきて、くるたびに“アア、もうすぐです”とか答えるがダメ。明日のことにする。5時半から上野広小路亭で談笑真打昇進決定記念独演会なので、4時半には出かけようと思っていたが、間際で電話、白山雅一先生。
「島田正吾が死んだねえ! ホラ、ついこないだ、浅草でキミと話していて、島田先生の話題が出て、オレ、島田をやったろう。不思議なもんだねえ! あのとき、生死の境だったんだよ。オレはたぶん、生きているうちに島田のモノマネをやった最後の人間だなあ」
 という話をしてくる。これは確かに西手新九郎かも。この相手をしているうちに、出るのが遅れて、5時になる。銀座線、開演の10分後になんとか駆けつける。幸い一杯の(さすが真打昇進すると満席になる)会場で、椅子席がひとつ、空いていた。 そっと座ろうとしたら、談笑、高座から目ざとく見つけて、
「今、入ってきたのがスーパーバイザーのカラサワ先生で……で、トライアルに一回 も来なくて。ひどい人スーパーバイザーにしちゃったなと」
 といじられる。苦笑。

 ネタは『代書屋』に『イスラムの蒟蒻(シシカバブ)問答』、そして、真っ正面からきちっと演じた『文七元結』。もちろん、マジではあっても談笑の『文七元結』である。この人の場合、本当に一作々々の古典に“挑戦”している。最後で一瞬、お、ひっくり返すか? と思わせたが、ニヤリ、という感じできちんと落としていた。いろいろアクシデント(笑)があったりしてとにかくこれほど聞きながらハラハラした文七元結もなかったが、名作中の名作にあえて“余計な”解釈を入れ、そのバランスの悪さでダイナミズムを吹き込み、最後まで客に油断を許さず引っ張り回す、という この人の身上が見えた、という点では大満足。

 そして落語が終わったあと、高座で、今後の自分の落語に対する取り組み方の方針表明のようなものがあり、これに拍手したくなる。
「古典を否定するんじゃない。古典ばかりじゃないところに、もうひとつの落語の基準が作れないかと思っている」
 人は自分の方針をきちんと言葉にする人としない人に別れるけれど、談笑さんのこれはきちんと言葉にして、しかもあくまで明快。そして、改革派によくある、改革の対象の闇雲な否定(以前、ロフトで談笑さん〜当時談生さん〜の口から聞いたことが ある)から一歩抜け出たのを聞けたのは本当にうれしい。

 改革を叫ぶ者は往々にして、その改革の対象である“本流”をよく把握していないで混迷に陥ることがある。あるいはもはや本流が機能していない中で、空回りすることも。あきらかに後半生の談志がそうだった(すでに過去形)。談笑も、その性格から言って、その陥穽におちいる可能性が高いのではないか、と実は危惧していたので ある。

 しかしいま、彼が見事に自分の方向性を明確に出来た。そして、改革派にとって最も大事なものに本流派の存在がある(皮肉なことだが)のだが、談笑の場合、幸運にも、目の前に談春がいる。誰にも文句言われない本道、王道としての談春がいて、それと対比する(される)ことで自分の立ち位置が非常にクリアに見えてくるんじゃないかと思う。福田和也が今、やたらに談春をリスペクトしていて、その気持ちも十分にわかるが、少なくとも、私は完成形がすでに明瞭に見える談春より、(たぶん)永遠の未完成の、未完成であることが価値である談笑の方に自分の“落語をいま、現在において聞く意味”を見出すだろう。……と書いて気づいたが、これって、志ん朝を聞いて大感心した末に談志のファンとなった三十数年前と同じ状況じゃないか!

 打ち上げがいつもの『味兵衛』。傍見さん、QPさんと一緒の席につき、乾杯。いろいろトライアルばなしを聞く。その後、ぎじんさん(アニドウのKさん)たちのいる席に行き、談笑周囲の噺家たち月旦などをワイワイと話す。最近凄く疲れているせいかアルコールの回りが早く(たいていの人の日記に“カラサワさんがご機嫌で”とか書かれる)、記憶がとびとび。しかし、本当にご機嫌だったのは覚えている。談笑さんの日記によると、彼とはこんな会話をしていたらしい(記憶ナシ)。
「唐沢先生と、真打になったらこういう弟子を取ろうなんて話でゲラゲラ笑ってたのでした。極端なところだと、猫。
“猫を弟子にとって、前座として高座に上げるんですよ。ぽつんと座布団に猫をおい て、『にゃー』って”
“わはは。そりゃ猫だから『にゃー』しか言わないよ”
“で、あとから替って高座にあがって『ただいまのは前座でございまして、まだまだ未熟な芸でございます』って”なーんて。うひゃひゃひゃひゃ。
 しまいには“石”だって。なんだそれーー。
“この石がぜひ入門したいと言うので……”
 ただのアブナイ人ですって」

 なんだかんだ笑っておめでたいおめでたいと言って、女性に抱きつかれたりしてニヤけたりして、12時ころ、明日の原稿のことを考えておいとま。タクシーで帰宅。車の中でも、何かご機嫌でニヤニヤしていた。原稿待ってたアスペクトのKくんはニ ヤニヤどころでなかっただろう。申し訳ない。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa