18日
木曜日
カプチーノカプチーノ彼は左きき
ブラックコーヒー飲むときばかりじゃなくて。朝寝床の中でディクスン・カー『ロンドン橋が落ちる』読む。解説をカー・マニア(と言うのもカー好みの言葉の誤誘導トリックぽい呼称だが)として有名だった故・瀬戸川猛資が書いているが、これがい い。瀬戸川氏曰く、
・現存する三大巨匠(クイーン&クリスティ&カー。まだ三人とも〜クイーンは片方 だけだが〜生きていた昭和48年の時点)のうち、もっとも力量が劣るのがカー。
・愚作が多い。失敗作などという生やさしいものでなく、本当に箸にも棒にもかから ない作品がある。・クイーンの論読者を圧倒する理の魅力や、クリスティのあっと 驚かせるトリッキィ さもカーには希薄。
・登場人物がみな作り物っぽい。H・M卿もフェル博士も、とても20世紀に生きる 人物とは思えない。
・やたらドタバタする展開の、泥臭いファース(笑劇)好みに辟易。
・密室トリックがウリの人だが、時にそのトリックを成立させるためにリアリティす ら犠牲にする。
・文章や作品の構成が古くさい。
……とクソミソだが、さすが瀬戸川猛資、
「にもかかわらず、いや、だからこそ」
一旦ファンになったら、その熱烈なこと、作者と読者の結びつきの強さはクイーンやクリスティの比ではない、とカーの魅力を分析する。読んで何度も膝を叩いた(寝 ながら膝を叩くのは難しいが)。
ここからは私のいつも言っていることだが、人は全てのモノに対し、出来のいいところにハマるのではない。出来の悪いところ、欠点にハマるのだ。欠点こそ個性、欠点こそ、他の誰にもない、その人だけの持つ魅力になるのである。ヒット作品(小説であれ映画であれマンガであれ)に対する評論家たちの分析に、どうにも的外れなものが多いのは、ここを理解していないからである。ほとんどの人間が、“ヒットしたからにはこの作品は優れているのであろう”という思いこみで分析する。そうじゃない。真の魅力はむしろ、欠点の中に隠れているのである。作家からお笑い芸人まで、人気商売での成功者の多くは、自分の欠点を利用して成功している。新人時代に輝いていたクリエイターやパフォーマーが、その後失速してしまうのは、大抵の場合、かけがえのなかった欠点を矯正し、どこにでもいる、つまらん人間になってしまうこと にある。
6時50分起床、入浴して7時半食事。9時半タクシーで出勤。日記、忙しくて書けてない日の分のメモのみアップ。それから光文社文庫『カラサワ堂変書目録』文庫版後書き。“♪ボボンババンボン文庫本”というシャレが口をついて出た。最近、缶コーヒーのBOSSのCMで流れているから、今の若い読者にも通じると思うが、これ40年も前のアニメ『狼少年ケン』の主題歌なのだよ(と、説明しなくてはいけな い時代が来るとは嗚呼)。
あとがき書き上げてメールした後、外出。ハンズ前に開店した390円ラーメンの店(このあいだ高田馬場で入った店のチェーン)でラーメンと麦トロご飯のセット。その後銀行に行き、朗読ライブの松竹サービスネットワークへの支払をすます。
12時半、山手線で浜松町、モノレールで羽田。今日から2日間、能登旅行。空港の発着ロビーがちょっとわかりにくい場所で、ナミ子姉とか来られるかと少し心配であったが、何のことはない私より先に来て待っていた。その代わり、母が来ない。K子、FKJさんは来たがnajaさんが来ない。イラつく。すでに時間は搭乗開始時刻である。ギリギリに母は来る(“新宿までの所用時間はわかっていたけど、その先浜松町までの時間がわからなかったのよ”と言うが、わからないのにゆっくり出ては 困るではないか)。najaさんはついに見えず。
天候折悪しく乱れ、機内サービスも出来ない状態。それでも40分ほどのフライトで能登空港到着。乗り込んだのか心配だったnajaさんもちゃんといた。搭乗口前で並んでいたら、前に並んでいたおばちゃん二人が、チケットについてああでもないこうでもないとおしゃべりをはじめて流れを中断し、とうとうそのおばちゃんたちと一緒にnajaさんも、アナウンスで“お早く搭乗口へお越し下さい”と呼ばれてし まったそうな。空港で、名古屋から車運転してきたdamさんにも合流。
ワゴンタクシーでさんなみへ。乗り合いなので、一人先客がいた。60代男性、レインコートにハンチング、白いアゴヒゲの、インテリぽい人。能登出身で、東京の大学に進み、就職して、ずっと定年まで勤めたが、退職後、故郷に帰って、いま、能登のマスコミPRの仕事をしているらしい。能登の魚のうまさ、自然の美しさを絶賛。母が窓外を見て“あら、あの杉林の綺麗なこと!”と叫ぶと、“能登の杉のよさがわかるとはいい鑑賞眼をお持ちだ”と悦んでいた。さんなみはまだ名のみ聞いていて、行ったことはないらしく、さんなみに到着してわれわれが降りると、“ちょっと見せてもらおう”と自分も降り、船下のお父さんに名刺など渡していた。さんなみは来る旅に何かどこか、改装したり新しい設備が出来たりしているが、今回は、娘さん(三 女。パティシエの資格を取っている)用のお菓子工房が建設中。
宿には先にモモさんとあのつくんが到着していた。とりあえず部屋に荷物を置き、まだ食事には時間があるので、FKJ、dam、あのつ、モモのメンバーで、近くに10月に出来たばかりという温泉センターにお父さんの車で連れていってもらう。公共施設のような感じのところ。露天風呂につかるが、“向こうから見えないように”覆いがあるので、風呂につかりながら海を眺めるということが出来ない。見られるの がイヤならそもそも露天風呂に来なければいいのに。
上がってしばらくロビーで雑談などしながら、迎えを待つ。すでに外は真っ暗。宿に残った組は、K子をのぞいてここの露天風呂を堪能した模様。今年の台風で、さん なみも被害を受け、ベランダの屋根が吹き飛んだ。お父さんは、
「大工が作ったベランダの屋根は吹き飛んだが、オレの作った露天風呂はびくともし なかった」
と自慢しているとか。
さて、いよいよ夕食。テーブルの炉には毎度おなじみのハチメの串焼き、海餅(かいべ)の串。並べられている皿には岩もずく、イカの黒作り、刺身はカンパチ、甘エビ、サザエ。焜炉にはホタテの殻を鍋にしていしり鍋。今日の特別料理は鮭らしく、巨大な柚子釜(赤ん坊のアタマくらいある)の中につまった氷頭なます、鮭の白子の天ぷら、鮭の白子と氷頭を叩いたものなどが。あと、鱈の白子も出た。そしてメインは蟹。ズワイだがこの季節は香箱ガニ。足の刺身を前に思わず顔がほころぶ。最後は イクラ(もちろんいしり漬け)でイクラ丼を。
さんなみは宿自体も進化しているが、料理も進化している。いしりの味付けが、あきらかに以前に比べ、薄味になって、素材のうまみにいしりのうまみがプラスされたその風味のみを、純粋に舌が味わえるように工夫されている。これは郷土料理ではもはやない。能登もそうだが、基本的に日本の地方料理というのは塩をきかせて、塩で素材の旨みを引き出すという手法をベースにしている。コンカイワシなどはその代表例だろう。塩で水分を抜くことで、素材の旨みがコンクされ、誰の舌にもわかる美味となるのである(その代わり塩辛くなる)。塩を使わず、素材の持つうまみをそのままに引き出すのは、実は至難のわざなのだ。さんなみの最近の料理は、いしりの旨み成分を薄めることで、素材の中に隠れている旨みを引き出す呼び水代わりにし、魚介や野菜類の持つ美味を100パーセント、こちらの舌に到達させてくれる。美食家の ナミ子姉が“なんて上品な料理かしら”と賛嘆していた。
酒はもちろん竹葉だが、あまり今回は飲まなかった。あくまで、これまでの飲み方に比べて、だが。薄味料理にはあまり酒はいらないのかも知れない。あるいは、私をして酒を汲む手がおろそかになるくらい、料理が抜群だったのかも知れない。いつもは大抵、満腹になって部屋に戻るのだが、今日は“まだも少しなら入るな”とさえ、思ってしまった。8時半には部屋に引き下がり、布団にもぐり込む。