20日
土曜日
セーラー服と羅貫中
私、跡目を継いで三国志演義を書きます。朝7時半起床。壁にかけられたお面同士が会話する夢。そのお面がみんな知り合いの顔だったりする。今日は母たちの部屋をイビキで追い出され、FKJさん、dumさんと一緒の部屋に泊まったが、イビキはそれほどかかなかった。疲れていなかったせいであろう。寝床でいろいろ企画を思いつき、メモ取る。外は最初雨もよいだったが、やがて日光が射しだし、そのうちにまぶしいほどの好天となる。金沢もそうだったが、ここらの天気は実に変わりやすい。
寝床で読書、旺文社文庫『フランクリン自伝』。また旅に変な本を持ってきたものだが、こういうときでないと絶対読まないだろう本、というチョイスで本棚から抜きとってきた。なかなか楽しく読める。百目鬼恭三郎はこの自伝を
「人の道を踏みたがえずに勤勉努力すれば、人間は必ず成功する、という典型的なアメリカ人の心情を絵に描いたような自伝で、まるで陰影がない。たてまえだけの人生をながめるばかりの味気なさが身上とでもいうほかはない」
と『読書人、読むべし』の中で切り捨てているが、この評を読んでから二十年目に目を通してみると、息子に直接自分の生い立ちを語った形式になっている前半は、実の兄との確執があったりして、かなり面白い。後半は、成功者になったフランクリンが、支持者の薦めで青年たちへの教訓として書き残したもので、ここらは百目鬼氏の 言う通りの味気なさだ。だが、それにしても、青年たちに向けては
「性交はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これに耽りて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、または自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず」
などと言っていた陰でフランクリン自身は多くの愛人を作り、私生児まで生ませて いたことを思うと、その食えない親父ぶりにニヤリと笑みが浮かぶ。
8時半、朝食。例により、豆腐、サバの塩焼き、雑魚の味噌汁などのシンプルなもので、イタリアンで疲れた胃を休めてくれる。奥さん(船下さんの娘さん)が、
「K子さんに今日はあやまらないといけないことがあります」
と。ゆうべ黒パン焼きを大喜びで引き受けてくれたドイツ人、その晩から具合が悪くなり、今日は朝から病院へ行ってしまったそうである。いつぞやの長野旅行の、I矢くんの伯母さんのこともあるが、どうもおみやげのパンにはK子は相性が悪いので はないか。復調したら、パンは送ってもらうことにする。
dumさんと、少し散歩。火宮神社という神社があるところまで歩く。“初老記念の碑”という、よくわからないものが立っている。注連縄が緑色なのに何かわけがあるのか、と二人でいろいろ話す。dumさん、まあ大学の先生だから当然かも知れな いが、政治経済から文化・文学・風俗に至るまで、その博識恐るべし。
宿に帰って、ここならと思いモバイルやってみるが、やはり通じず。昼どきになったので、パン屋に隣接の喫茶店(奥の部屋が新たに増設された)で、ご飯食べる。以前はここのピタパンがわれわれの好物だったのだが、残念ながらそれはメニューから外されていた。代わりにタイカレーを食べる。パパダムという揚げせんべいが乗ってくる、本格的なもの。それに、K子には幸いなことに、ベンがK子と同じく、コリアンダー嫌いなもので、このカレーにはコリアンダーが入っていない。najaさんと K子はさらに加えて、小さなパンも買って食べていた。
のんびりと時間つぶす贅沢さを味わい、やがて二時過ぎになったので、帰京の準備をする。メアリーはFKJさんとの別れを惜しんでいる。大型タクシー呼んでもらい能登空港へ。荷物は宅配で出してもらうべく預けたので、モバイル一個抱えただけという身軽さ。dumさんはあと一日、こっちの方で泊まっていくそうで、今日は見送り。空港のロビーでおみやげ品ちょっと見る。巨大な壁画が掲げられているが、鬼やひょっとこの面をかぶった男たちが太鼓を叩いている絵で、実に不気味。子供が見た ら泣き出しそうである。
ロビーでつないでみたら、ここではメール、通じた。80通以上メールが来ているが、半分以上がスパムメール。搭乗手続き終えた最終待合いカウンターで読んでいたら、その中に『鈴木タイムラー』ディレクターのKさんからのものがあった。29日の収録の件か、と思い読んでみると、真っ先に以下の文句が飛び込んできた。
「番組の休止が決まりましたのでよろしくお願いします」
読んでちょっと顔から血の気が引き、うひゃあ、と空港の待合室のベンチに身を埋めてしまった。打ち切りか。メール到着の日付は昨日である。まあ、東京にいたとこ ろでどうしようもないのだが、
「こういうときに東京を空けていたから!」
という忸怩たる思いに唇を噛む。
頭の中に、そうだよなあ、朝のあんな時間帯じゃ持たないよなあ、とか、ネットでの評判も秋の改編以来さんざだったようだしなあ、というようなアキラメの言葉がまず真っ先に浮かぶ。私は別にかまわないのだが、せっかくおぐりゆかに地上波レギュラー持たせてあげられたのに、という思いが胸に酸っぱい液を上げてくる。その初めての番組が打ちきりでは、あまりにかわいそうだ。彼女のプロモに使おうとしてこの番組のワクをとったのだが、これじゃ何にもならないじゃないか。番組が決まるまで いろいろヤキモキしたりさせたりしたのは何だったのか。
頭が混乱する。次の手をどううつかが問題。もちろん策はすでに仕掛けてあるものの、全てコミビアコーナーの順当な終了を前提としたもの。と、いうか、能登でも海を眺めながら考えていた、来年のある大きな企画に関して、
「11、12月のあの番組の視聴率次第」
と言われていた。あの番組、第1回こそ1.3パーとったが、2回目が新潟地震にぶっつかり、そのあと少し視聴率低迷していたのである。なんとか挽回しようとみんな一生懸命だったのだが。私にとって、あのコーナーは次の本番企画の前段階の予定だった。それがトッパナで全部パアか、という思いが肩にどっしりと重い。あまりにガックリときて、しばらくはタメイキばかりしか出ない。うわの空にとりあえず連絡せねばなるまいが、すでに向こうには連絡行っているか。どう報告すればいい?
いつもならこういうときにこそ頭が働き、善後策にすぐ切り替える男なのだが、このときは旅の終わりで肉体的にも疲労していた。放心状態で目を空中に泳がせていたのだろう、搭乗をお急ぎください、とのアナウンスに、あわててモバイルをカバンにしまって、搭乗。いっそこのまま墜落しちまえ、みたいな気分で座席についた。 今度は意地の悪いことに行きと違って飛行は快適、サービスも予定通り。しかしこっちの 心は最悪であった。
苦しい思いのフライト40分が終わって、空港で荷物を預けている人たちを待つ間に、未練たらしくもう一度モバイルつないで、そのメールを読み返してみた。前後に いろいろついている文章も、今度はきちんと。
「御陰様で14日放送の回が視聴率2.0%で関東ローカル並びTOPを獲得しました。ありがとう御座います。引き続きより面白く、いい番組制作を目指したいと思い ます」
……あれ?
あわててメールのその先を読んでみたら、12月1月のオンエア予定が書いてあって、年末と年始は特別編成につき休止、とあった。……このことかあ? そう思って読み返して、ひええ、と力が抜けてしまった。あの心配は何だったのか、いったい、という感じで、モノレールの中で苦笑を漏らす、というより唖然とする。
浜松町から、タクシーで仕事場に直行、すぐKさんに電話。
「これって要するにオンエアがこの週は休止ってことですか?」
「ハイ、編成でゴメイワクをオカケシマスが次回収録は予定ドオリデス」
何度か日記にも書いているが、Kさんはお隣の国の人だ。日本語に堪能だが、やはりどこかわれわれの言葉使いとは違う。受けた電話で“ハイ、私の名前はKと言イマス”とか言う、と雑談の中で笑い話にしていた。天罰覿面、その言葉使いで大汗をか かせられたわけだ。仇を打たれたカタチ。
「視聴率の件は本来デアレバ唐沢サンニハ直にオ会イシテオ伝エシナケレバナリマセ ンデスガ、今日のおんえあ分の編集が忙シクテ、申し訳アリマセン」
こっちは気が一度にゆるんで、いやいやいや、とんでもない、メールで十分です、最高視聴率達成おめでとうございます、こないだはライブに花を送っていただいてどうもです、頼んだ資料も届いているようです、では次回収録日に、ハイ、ハイ、ハア イ……と電話を切って、安堵で脱力。仕事机に突っ伏してしまった。ふひい。
“休止”という言葉に過剰反応してしまったのは、やはり意識のどこかにネットでの改編以降の評判でいいのを聞かなかったことなどがあったのか、それともテレビというものに昔から不信感持って接していたせいか、企画練って神経を疲労させてたそのせいか、そのときは本気でアタマを抱えた。だがその後でじんわりと、しかしあの時間帯で2パーの視聴率はなかなかなものである、と思えてきた。もちろん、これはメインの金剛地&津島のお二人の功績だろうが、番組中でもコミビアの評判はいいと聞いていたし、2パー行った前回はおぐりゆかを初めてハジケさせて、番組進行役を完全に彼女に渡しちゃった回である。あの“ふぁふぁふぁ”を関東の2パーセントの人間(80万〜140万)が見ていたというだけで痛快。ネットでクソミソに言われていたことを思うともっと痛快。つくづくあそこの意見というものが大衆の意見の代表でないことがわかる。上で記した新企画も、こりゃ案外スムーズに通るか、という気になってきた。2パーのことはおぐりゆか(留守中にミクシィに入っていた)にもすぐメール。すでにその件、ツチダマさんから教えてもらってはいたらしいが、大変喜んでいた。とにかくホッとする。旅の終わりに何とも変なオミヤゲがついたものだ。
おぐりからのメールで、今日が『世界一受けたい授業』放映美だということ知る。
見てみると、斎藤孝氏が出ていたが、声が妙にカン高くて、はしゃいでいる感じ。それに比べて、次に出た私はどうも陰気。確かに以前より顔やせはした。日テレは基本的にゲスト文化人にはメイクをしない(らしい。『メレンゲの気持ち』もノーメイクだったし、『サンクチュアリ』もこっちから言い出て“あ、しますか?”だった)ので、夕刻の撮影で、鼻の下のヒゲがうっすら伸びているのが目立ったのがちょっとイヤだった。もっとも、そのあとの話などはまずまず。私の次、真打ちが美輪明宏さんだった。
そのまま夜は9時、下北沢すし好で、母とK子と、ナミ子姉と。ワイワイ思い出話をしながら酒と寿司。K子がナミ子姉にいろいろ親切に旅中していたので、母が大変喜んで、今日はおごってくれた。いろいろ刺激的な旅行ではあったことである。