裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

日曜日

メモ

 朝7時起床、入浴、朝食。今日はご飯を炊いていないので、コンビニで白飯と総菜(黒豆納豆、野沢菜、温泉卵)買っていく。レジの女の子が私の顔を見て「あの、つかぬこと伺いますが、ゆうべ、テレビ出てませんでしたか?」と訊いてくる。「あ、ええ、出てましたけど」「わあ、やっぱり。どこかで見た顔だと思ったんです。握手してください」大喜びで手を差し出してきた。納豆と野沢菜の客としては気恥ずかしい限り。もっと高いもの買っておけばよかった。そりゃテレビには出たけど、キミ、それまで、いや今も、ボクがナニモノかほとんど知らないでしょ、と言いかけたが、そこは人気商売、ハイハイと握手して、これからもよろしく、と如才なく挨拶。なにがさて、若い女の子がキャアと言って手ェ握ってくれるんだからまあいいかと思ってたら、それを見ていた男性店員まで「え、何。え、この人、テレビ出てた人なの。うわあ、オレもお願いします」と握手求めてきた。これはうっとうしいだけだな、と心の中で苦笑。タクシーで仕事場まで、その『授業』の出演料、請求書出すようK子に指示。体全体、ダルくやる気なし。ダ・ヴィンチのゲラチェックだけやって返信。あと、ロフトの斉藤さんとうわの空の島さんとの間に立って、ロフトのライブ日取りを調整。6月に第二回リーディングライブを計画しているのだが、間が空きすぎないように、2月か3月にロフトでやろうという算段。旭堂南湖さんの会もそろそろ企画しないと。そんなことを考えながら。書庫にもぐったとき、こないだの朗読ライブのネタにしようとして、どこかにまぎれてどうしても見つからなかった創土社の『ルヴェル傑作集』(1970)が出てきた。大学生のときにこの人にはハマってハマって、後にその中の一編『ベルゴレーズ街の殺人事件』の設定を借りて、旧・ガロに『夜汽車』という短編を書いたくらいである。でも誰も“あれはルヴェルですね”と指摘しなかった(いまだにない)ところを見ると、もう誰の記憶にも残っていない作家らしい。創元推理文庫の『夜鳥』はまだ絶版になっていないはずだが。ルヴェルは19世紀末から20世紀初頭に活躍したフランス人作家で、かのグラン・ギニョールに作品を提供していた人である。作風は一言でいって陰鬱で悲惨なグロ。その中に人間の悲哀が描かれている、と言って褒めて締めくくれば締めくくれるが、なに、悲哀なんてどんなB級C級作品の中にだって探せば描かれているもので、要するにただ残酷な話を好んで描く、通俗作家だった。その証拠に、生きているうちはフランスのポーなぞともてはやされたが、死んでからは誰も評価せず、忘れ去られた。……ところが、この通俗が読み返してみるに、実にイイ。書いている方に、この作品に文学性を持たせようとか、人間性を描こうとかいう変な雑念がなく、ただひたすら、読者を残酷なグロで怖がらせようという努力のみがあったから、逆に作品に純粋性が備わり、年月とともに、それが輝き初めてきたのではないか。純粋なグロ性は、人間の根本にある情念だけに、値打ちが変わらないのだ。これをして、“通俗”の力というのだろう。グラン・ギニョール時代の当たり狂言だったという『暗中の接吻』を声に出して読んでみる。気分がいい。リアルに読んではダメで、クサく、ワザとらしく、オーバーアクトで読むとピッタリくる。原作がそういうディフォルメのもとに書かれているからだろう。次の朗読ライブには、ぜひ、これを読んでみよう。9時、帰宅して家でメシ。母に、さんなみのいしりで鍋をやるから、コンロにかけられる小鍋を買っておいてくれと頼まれたので、昼間ハンズで買っておいた、小型の葉型鉄鍋を(柳川用の鍋がいいだろうと思って探したが、季節でないせいか置いてなかった)。これでホタテ、青菜などを煮て食べる。薄味に薄味に、と思ったらちょっと薄味に過ぎたので、ちょっ といしりを足す。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa