裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

3日

水曜日

必ず最後にワイは勝つ

 辰吉丈吉郎語録より。。朝6時、起きてパソ、風呂等例ノ如シ。朝食、バナナ、サツマイモ、リンゴなど繊維質だらけ。食べてまたネット、おぐりゆかから今日の収録の小道具についてメールで問い合わせ。今日は非常にいい天気で、嬉しい。収録はスタジオの中で、なのだから雨でも晴でも関係ないようなものだが、やはり気分がまるで違う。

 タクシーで通勤。日記つけ、メールなど。秋田にいる某国営放送勤務Yくんから、無事というメール。ホッとする。12時、東武ホテルまで、うわの空の面々を迎えに出る。今日のコントはアナウンス役で島優子さん、それと野球選手役で宮垣雄樹くんにも出演してもらうので、マネージャーの土田さん含め総勢四名、面々という感じなのである。まず仕事場に来てもらって、宮垣とおぐりの芝居のダンドリ、二人で稽古してつけたものを見せてもらう。宮垣がやたら緊張していて、まあ彼の芝居はそれでも成り立つものだから大丈夫だが、おぐりがそれに引っ張られていないかを確認したかったのである。しかし、さすがもう慣れているという感じでなかなか。で、次におぐりが白衣を脱いで私服になるシーンがあるので、その衣装あわせ。サイトのスタイ ルブックの写真でも着ていた青いワンピースにする。

 打ち合わせ終わって、まずは腹ごしらえ、と出て、チャーリーハウスのぞくが、さすがに祝日とはいえ満員。じゃ、その隣のソバ屋は、と思ったらなんと、知らない間につぶれてスカしたコートショップになっていた。どんどん、ここらの様子は変わっていくなあ。仕方ないので、もう少し歩いて、北谷公園先のおしゃれ通りの、ケニヤンという紅茶の店でランチ。私はアイリッシュカレー。おぐりに
「何でカレーがアイリッシュなんですかね?」
 と聴かれて、とっさに答えられなかったので、
「アイルランドは貧乏だから、あまり肉が入ってないカレーのことじゃないか?」
 とヨタを飛ばす。食べながら、さてなんでアイリッシュなのか、とまた考え、アイリッシュ・シチューが羊のシチューだから、要するにマトン・カレーのことををアイリッシュ・カレーというのかな、とか思いついた。後で調べてみたら、別に羊でなくとも、牛や鶏を使ったアイリッシュ・カレーもあるようだ。要するに、アイルランド人というのはカレー大好き民族で、パブのメニューにも大抵カレーがあるというのでイギリスではカレーはアイリッシュの食い物、というイメージがあるらしい。

 宮垣はハンバーグランチ、島&土田はパスタ、おぐりはドリア。このドリアをおぐりはやたら気に入って感激しながら食べていた。安上がりでよろしい。出て、そこからうらうらとした小春日和の中、少し時間も早いので原宿BS朝日スタジオへ歩く。七五三で着飾り、千歳飴持った子供がちらほら見える一方、五輪橋、神宮橋の上に、一時あれだけタムロしていたゴスロリの姿が見えないねえ、と土田さんと話す。竹下 通りにはまだゴスロリファッション店はあるのだが。

 結局、おぐりがまた衣装を買ったりするのに皆でつきあい、時間通りにスタジオ入り。まだ前のコーナーの撮影が終わっていないらしいので、楽屋(前回と同じ8階の会議室)でみんなで待つ。宮垣くんの緊張極度に達し、落ち着くためか“ういろう売り”を唱えてみたりしている。こういう緊張は初々しくていい。やがて収録に入る。

 コント1と2は私とおぐりのみのからみ。おぐりはどんどん番組にとけ込んで演技も闊達になり、私がおいてきぼりを食うこともまま。なにしろこっちは文士劇に過ぎないが、むこうはプロの役者なのだ。私服のおぐりをカメラ前に(要するにいつも二人が座っているテーブルの前に)立たせるという会のとき、わざわざ照明のおじさん二人が彼女にスポットが当たるよう、ライトを調節してくれた。ここまで優遇してもらっているのに、せっかくのメガネはずしを忘れてしまうのも、おぐりゆからしいっちゃらしいか。しかも、そのメガネは(これはスタッフのカン違いだが)津島亜由子 さんの私物であった。

 で、コント3は私は完全にお休みの回で、宮垣が私のかわりに野球選手の衣装で私の席に座っているというやつ。おぐりがこのコントでは誘導役を務めるのだが、やはり同じ劇団だけあってイキの合い方が違う。ギャグがいちいちハマッた証拠に、スタジオスタッフがリハ時に吹き出す一幕あり。宮垣も緊張がいい方に作用して、野球選手の朴訥さがよく出ており、一発OKだった。自分で出ていると、果たしてどの程度の面白さがあるのか、よく見えない部分があるのだが、ナルホドコウイウモノカと、一回でも客観的に見られたのは非常によかった。

 で、最後の4は今度は島さんに声の特出をお願いして、フリップを読んでもらう。これも私のしゃべりを極力抑えて、おぐりの演技(今回は百面相的に芝居してもらうのである)に集中してもらうため。かなりの量のフリップを作らせてしまったスタッフには気の毒。出し終わったフリップの処理と、次のフリップを持ったままでの芝居がイマイチ。やはり私は口以外の肉体の、舞台やカメラの中での置きどころがない役者である。こればかりは、若いうちから舞台経験を積んで体で覚えた者でないとダメ かも。

 とはいえ、これもスムーズに撮影相済み、5時ちょっと過ぎには解放される。メイン司会の金剛地武志さんが挨拶に来てくれて、並んで写真撮影。金剛地ファンの土田さんが、やたら舞い上がって喜んでいた。“あ、顔が赤い”とかからかうと、ホントウに照れてテーブルに突っ伏したりしている。なんだ、この女子中学生ぶりは。

 今年の収録はこれでおしまい(ただしスケジュール次第では12月に飛び込みであるかも、とのこと)。康さんはじめスタッフの皆さんに挨拶して、また竹下通りを歩いて山手線に乗り、日暮里まで。村木座長からご指名で、また大木屋であのもんじゃが食べたい、とリクエストがあったのである。ついでに関口誠人さんとの顔合わせも あり、それも合わせてやってしまおう、と。

 日暮里駅前で無事関口さんと落ち合い(いかにもそれっぽいグループがやはり待ち合わせしていて、越えかけたら彼らもカン違いして、ついていくところだったとか)大木屋へ。ほどなく座長と奈緒美さんも来て、大将に後はおまかせの裏メニュー。今日はレバのピリ辛炒めからはじまってカツオたたき、例の肉、牡蠣のバタ炒め、そしてもんじゃ。おぐりと宮垣、今日はかなり収録に神経をとがらせていたであろう二人が、それから解放されて、本当にリラックスした表情で、うれしそうに食べていたのが印象的。座長は土田さんから宮垣テレビデビューの報告受けて、“そんなにうまく行ったらつまらない、なんかネタでも失敗しとけばよかったのに”とニヤニヤしながらツツいていたが。そんなこといわれてあせりまくりながらも、肉のときの宮垣の頬のゆるみ方を見ていると、アア連れてきてやってよかった、と思う。これはオバサン的感覚か。奈緒美さんは手慣れた感じでコテを使い、ニンニクを炒める。牡蠣のバタ焼きの風味もう、最高。

 関口さんは、いま、浪曲に興味を持って、自己流でやっているとのこと。聞いて私と島さん、びっくり。昨日、女浪曲をやってみようと読み合わせたばかりである。うわ、これは何かの引き合わせなのか、と思った。座長とも音楽のことで盛り上がり、ひょっとするとこれから関口&うわの空で、なにかまたコラボが実現するかも知れない。肉ともんじゃでごきげんの座長、“カラサワさんも芝居に出ませんか”と。語り 手役くらいならやぶさかではないが、そりゃ。

 うわの空のみんなは基本的にそんなに飲まない。島さんも食べること専科の人である。唯一、おぐりだけが飲んべえなので、日本酒をとって、“二人で酔っぱらいの国へ行きましょう”みたいなことを言ってかなり飲む。そこを出て、みんなはそれぞれ解散したが、何か飲み方が中途半端だったので、土田、宮垣、おぐりのメンツでまた酔の助。そこでまたおぐりと水割りガブガブ。何話したのかも、もう覚えていないくらいにベロベロとなって、土田さんがかなり心配そうだった。山手線に乗って秋葉原で二人と別れたとたん、そのままグーと寝る。ところが大したもので、ハッと目が覚めたらそこが新宿。降りて丸の内線に乗り換え、またグーと寝入って、フと目を覚ますと、そこが新中野。守護天使が起こしてくれたか(もっと大きなところで守護して ほしいものだが)という感じ。

 帰宅したらやや、酔いも覚め、テレビのニュースを確認。アメリカ大統領選、ブッシュ勝利確定の報。大接戦ではあったが、ケリーがはやばやと敗戦の弁を述べたことで収拾がついたらしい。そして、大統領選としては大接戦だったが、同時に行われた上下両院の選挙では共和党が圧勝。ある意味、日本にとっては(アメリカ自身にとっては、とかイラクにとっては、というのでなく)最善とも言える結果だったのじゃないか。長期に見ればわからぬ、と言われればそれはわからないが、国際政治における 状況の変化を、長期に見て良いか悪いかなんて神様にだってわからない。

 とにかく経験値から言えば、これまでの日米間の歴史を見るに、日本に不利益な決定をアメリカが下すのは多く民主党政権時である。ケリーという人物は公然と日本嫌いを口にし、スーパー301条を復活させようとしている男だった。こういう人物が大統領になって、そのゴマをすらねばならないとなれば(自国への食糧やエネルギー資源輸入のライフラインを自国で守れない以上、アメリカにゴマをする以外に日本の生きる道はない)、日本のとれる方法はただひとつ。つまり、アメリカ軍の負担と損害を軽くするため、今以上にイラクへ人と金をつぎ込まなければならないのである。ブッシュ嫌いという理由だけでこういう男に肩入れしようとしていた人間というのを私はバカとしか思えないのだが、まあ、これも人間というもののアイデンティティの 不思議さなのだろう。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa