23日
火曜日
ルフトハンザぁ、粋だね兄ちゃん。
どうでぇこの機体なんざぁオツじゃねえか。朝4時目が覚めて、しばらくネット。ミクシィで、本日夜の快楽亭壮行会の参加者を急遽募る。朝食、出勤。北海道新聞書評原稿を書く。編集のKさんからは昨日、編集からというより知人から、みたいな催促メールが来ていた。たまたまこの書評用に読んでいた本のことが昨日の村崎さんとの対談にも出てきて、盛り上がったのはよかった。
9時脱稿してメール。体調悪し。されど仕事は休まれず。昼はシャケのオニギリ、黒豆納豆。あづま食品なるところの製品だが、最近はこれにハマって、昼はオニギリとこれを食べるのが楽しみ。普通の納豆に比べると糸はあまり引かないが、上品な風味で、臭みがなく、ほのかな甘みがある。食後、DVDでやなせたかし原作・演出の アニメ『やさしいライオン』を見る。
私にとってはトラウマの一作。小学生のとき、体育館で上映されたの見て大泣きし て、それから大学生のとき、高田馬場のACTミニシアターで
「小学生のとき、こんなもの見て泣いちゃってさあ」
と笑いながら見て、まったく同じに泣いてしまい、それ以来、見るたびに涙腺を刺激されて大泣きしてしまう作品なのだ。
今回も、たぶん泣くだろうなと思いながら購入、観賞。おそるおそる、という感じだったが、やはり1970年の作だからな、今改めて見ると古いねえ、などと批評家の目が働く自分を発見。おや、こりゃ大丈夫かな? と思っていたが、母犬(犬に育てられたライオンの話なのだ)との再会のところ。
「撃ってはいけないのに! ブルブルは優しいライオンです! 撃たないで!」
の、かないみかのセリフ、そしてラストの、
「走れ、ブルブルー!」
の叫び。 もう、ダメ。
涙を流すどころじゃない、オンオンと46男がテレビの前で号泣してしまう。どこ かにもう、“これ見たら泣く”回線が出来てしまっているのである。 手塚治虫の道楽的アニメ製作方式はアニメ界に大きな負の遺産を残した、という宮崎駿の意見に基本的に賛成なのだが、しかし、この一本を残したという一事で(手塚 治虫・制作)私は、手塚がアニメに関与したことを善しとしたくさえある。
朗読ライブの感想がまだぽつぽつと来て、手応えを感じる。今日の壮行会、当日募集でどうかなと思ったら、QPハニーさん、気楽院さん、開田あやさんなどから参加依頼あり、場所などをメールで知らせる。冬コミ同人誌もそろそろ手をつけないと危なくなってきた。ツチダマさんに『ゴミビア』イラストの件でメール。
6時過ぎ、銀座線で田原町まで。そこから吉原までタクシー、壮行会場のちゃんこ場『三七三』。すでに快楽亭関係の人が十人ほど。遅ればせながら発起人として乾杯の音頭をとる。快楽亭の今回の壮行会、文化庁肝いりというので最初はえらく豪華でうまみのある話だったのがどんどんショボくなっていき、ついにギャラのほぼ半分を通訳に自腹で支払わなくてはならないまでに落ちたとか。それを嬉しそうに話すのが いかにも落語家である。
気楽院さんとコミケばなし、BSの日本映画チャンネルの方と赤影ばなし。坂口祐三郎の話でちょっと盛り上がったが、またこの人が坂口祐三郎そっくりなのだ。もっとも赤影時代でなく、東スポで玉門占いとかやっていた頃の坂口祐三郎だが。やがてあやさん来。少し遅れてQPさん来。QPさんはなんと今朝まで沖縄で、ミクシィは携帯から見て参加表明してきた由。もっとも遅れたのは単に道に迷ったせいだとか。実際、この三七三はわかりにくい場所にあるのが難点だ。白山雅一先生も顔を出し、私の前にどっかりと座って、いろいろとお話くださる。韓国への壮行会というので、そっち系の物まねもいくつか。六代目圓生の真似をリクエスト。私もちょっとやったら、ウマイと言ってくれて、いろいろ細かく発声やしゃべり方のコツなど指導してくれる。これで次回から私の圓生は白山先生オシコミのものである。心して聞け。他に島田正吾、灰田勝彦などを次々披露。昭和天皇は……やったかな。紀宮さま婚約で、 快楽亭は『名字なき子』がカケられなくなった、と嘆いている。
快楽亭が向こうで北に拉致されたらどうするという話。しかし、あっちには将軍様が集めたいい映画がたくさんあるのではないか、という声が出る。満映時代の李香蘭のブルーフィルムとかがあるなら、私も拉致されても観てみたい。ちゃんこ屋出て、快楽亭と白山先生をお見送り。なんかまだ食べたりないので(だんだん植木不等式氏化してきた)、あやさん、QPさん、日本映画チャンネルさんと安楽亭で焼き肉。東宝と提携しているらしく、ファイナルゴジラにちなんだフェスタをやっている。“モスラ盛りポークプレート”なるものを頼む。要するに豚肉、葱、ソーセージなどを蛾 の形に盛りつけたもの。中華料理の前菜みたいだ。
ここで真露をがぶがぶ飲み、やたら話す。酔ってアタマが働かなくなり石原豪人の話からQPさんと“少年マガジンの、ほら、装丁やってた、アレ、デザイナーでイラストレーターの……”と言い合うが、出てこない。あやさんが携帯で開田さん(〆切仕事で今日は来られなかった)に電話するので、出て、聞く。ここらへん実はあまり 記憶にない。開田さんのミク日記から勝手に抜粋。
唐「ホラ、少年マガジンの表紙とか描いてたあの70年代の、」
開「それって横尾忠則じゃないんですか」
唐「柴田錬三郎のうろつき夜太とかも描いてた人でさ、ちょっと少年マガジン/装幀でググッて見てよ」
開「だから横尾忠則でしょうが!」
唐「70年代の……」
開「よ〜こ〜お〜た〜だ〜の〜り〜だ〜〜!」
唐「そうだ、横尾忠則だ!」(背後で大騒ぎの歓声)
開「……」
御迷惑をおかけしました、あははは。12時はるかに回って、タクシー乗り合いで一人づつ落としながら帰宅。最後に青梅街道をあやさんと酔っぱらい話まだ延々。うわの空の女優陣についての話題で、私が絶賛すると、あやさん“褒めすぎ”と言う。「カラサワさんは色ボケしているからそう見えるんだよ」
「せめて“惚れた欲目”くらい言えないか、この女は」
しゃべり疲れのみ疲れ食い疲れで、もう何がなんだかわからなくなってベッドにもぐりこむ。