裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

29日

木曜日

モルモット毅郎

 自ら薬害被害の実験台になるとは、ニュースキャスターの鑑! 朝6時半まで夢も見ずに眠る。朝食、コーン・キウリ・キャベツのサラダ、パンプキン冷ポタ、モモ。食べてる最中に強い雨。新聞・テレビで下条正巳死去の報、88歳。どのニュースも『男はつらいよ』のおいちゃん、と紹介しているが、私にとっては日活アクションものの、“いい方の”牧場主とか、親分とか、あるいは医者とかの役(大抵ヒロインの父親)をやっていた人というイメージであった。70年代はじめにテレビ放映されていた岡崎友紀主演の『だから大好き!』というコメディドラマは、アジアの某国のお姫様が、敵国の国王との政略結婚を嫌がって日本に亡命してドタバタを巻き起こすという少女マンガチックな話だったが、彼女の父親の国王がこの下条正巳、彼女に結婚を申し込む相手国の王が金子信雄、日本に逃げた彼女を追う金子の部下の諜報員が深江章喜という配役で、今思うにこれは日活アクションの定番の配役の布陣であった。お遊び好きなキャスティングスタッフがいたのだろう。映画では常識人を演ずることの多かった人だが、本人はやはり役者らしく、変わった人だったのではあるまいか。なにしろ、実の息子に“アトム”と平気で名前をつける(もちろん、手塚治虫があのアトムを創造するより前である)人なのである。

 8時19分のバスで通勤、雨で混む。仕事場着、ワールドフォトプレスから『お怪物図鑑×物々冒険記』(なをきとのモノマガの連載をまとめたもの)の見本刷りが届いていた。早く出来たな、とちょっと驚く。この本に関しては打ち合わせ2回、掲載原稿選定1回、ゲラチェック2回と、5度の手間で全部作業が済んだ(あと、オビ文書きなど雑作業がちょいちょいとあったくらい)。装丁がらみのことをなをきが引き受けてくれたせいもある。一番大変だったのが選定した原稿のデータを膨大な原稿ストックの中から探して編集部に送る作業だったくらいである。やはり連載をまとめる というのは楽だ(当たり前だが)。

 ベギちゃんからメール、陣痛がおさまってしまったので勇躍出陣していった産院からまた帰されたとのこと。シナリオ的には見事な引きである。誰も覚えていないかもしれないが、マンガの『天才バカボン』の連載開始当時の基本ストーリィは、妊娠中のママが、もう少しで赤ちゃん(ハジメちゃん。次男なのになぜハジメなのか。パパは再婚で、バカボンはあのママの子ではないのだという仮説を唱えたことがある)が生まれる、というところでバカボンとパパの喜びのあまりの大騒ぎで引っ込んでしまう、という繰り返しだった。“あと数回、こういうことがあると天才が生まれるかも しれないね”と返信しておく。

 メール連絡などしているうち、窓外は電線みたいな太さの雨がゾーッという勢いで降ってくる。もう、身体がコンクリートの中に埋められたみたいに動かなくなる。今日はこりゃダメだ、ともうここで諦める。12時、弁当使う。お菜はシャケと茄子でうまいが、食欲もあまりない。1時、どどいつ文庫伊藤氏来。ちんちん先生K氏も遅れて来る。伊藤氏に“だいぶお疲れですね”と言われる。気圧にアテられたのが顔に も出たか。

 朝方、昨日の『ナイトスクープ』から今日、2時半か3時に電話ありますのでよろしくと電話があった。その前にまた一回、ディレクターからダンドリを説明してくれる電話があると思ったら、いきなり“カラサワ先生ですか? 桂小枝といいますが”とかかってきて、ちょっとあせる。どこで母につなぐか、よくわからないまま答えていたら、“あ、これではっきりしました、ありがとうございます”と切られてしまった。後でスタッフから電話、“流れがよくてまとまっていたのであのまま放送することにします、お母さんには待機してもらっていてすいません”の一言で済まされる。 どうも納得いかない。テレビのやり方にはいまだ馴れない。

 4時、FRIDAYに四コマネタのみ書いて送り、OKがすぐ出たのでK子に転送する。今日の仕事はそれだけ。ベッドにごろりと横になり、講談本など読み囓るうちに寝るんだか意識がなくなるんだか。6時ころ目が覚めたら、妙に胃がシクシクしだしていた。時候あたりか、仕事すすまぬストレスか。とにかく、最近にない体調のひ どさ。

 7時30分、渋谷の公園通りクラシックスに出かけ、“東京中低域”コンサート。世界文化社Dさんのお誘い。お誘いを受けたときに、『IN THE MASS』のCDをちょうど買って聞いていたところだったという西手新九郎があった。公園通りクラシックスはかつてのジァンジァンの、楽屋入り口のさらに奥にある。50席ほど の空間。客層は圧倒的に若い男女が多い。浴衣姿の子も目立った。

 なにしろメンバー全員がバリトン・サックス担当という一種奇想天外なバンドである。どうやったって音域が同じなのだが、そこを超絶な吹奏技法でバリエーションを持たせて聞かせてしまう。そのバリエーションを体現していると思える、てんでんばらばらで一見まったく統一感のない、それぞれの演奏者のキャラクターが面白い。今日のステージ衣装は全員赤と黒の組み合わせで、という指示があったらしいが、赤のTシャツに黒のズボンという者あり、黒のシャツの上に赤いジャケットという者もあり、小田島亨は黒のシャツの上に赤いエプロン姿、田中邦和は全部黒で、サックス・ ストラップのみが赤、というセンス。これが一番カッコよかった。あと、メンバー最年少の鈴木広志がSFマガジンのS編集長にそっくり。

 リーダー・水谷紹の脱力系のトークも変テコなものだが、しかし演奏はさすがであり、CDとは全く趣を異にする。全身にジーンと振動が伝わってくる。この振動が脳内に快楽物質を分泌させる。戦場にいると恐怖感が無くなる、というのは爆発による振動がやはり快楽物質を分泌させるから、という説を読んだことがあって、長野の花火大会での興奮に“なるほど、そうかもしれない”という感想を持ったが、今日の演奏の、8本の(欠場のメンバーが何人かいて、8人での演奏だった)バリトン・サックスの揃い踏みの振動は、同じくらいの迫力がある。ただ、脳にはこの振動は快楽だが、シクシクしていた胃にはちょっと刺激が強すぎて、かなり苦しくなった。

 途中で吉田隆一のアイデアによる、客席からサックス経験のある者を無理矢理あげて『威風堂々』の主旋律を吹かせてしまう、というコーナーがあったが、さすが東京中低域のコンサートの客で、かなりの人数の参加があり、最終的に四人が揃って吹くことになった(一人は誰もいなかったときのシコミっぽかったが)。女の子一人、若い男の人一人、それと昔サックスやっていた風のネクタイ姿のサラリーマン。『威風堂々』は最近、と学会東京大会のテーマ曲になってしまった感があるので、この演奏 は非常に興味深く聞いた。

 9時45分、演奏終わり、出てタクシーで下北沢。車中、Dさんと“ミュージシャンとか俳優って、「仕事している最中」をファンに見せられる商売だからうらやましい”と話す。文字商売なんてのは仕事中は地味きわまりなく、それが発表されるときはもう、自分は何の関係もない。だからわれわれはとにかく、いま、客の目の前で仕事をしているという燃焼感に飢えるのである。と学会が大会でみんな張り切るのも、私が何かというとトークライブをしたがるのも、その飢渇感が原因であろう。

 下北、和の○寅、ひさしぶり。既にK子、来ている。長野から野菜が着到したとかで、オクラ、トマト、新じゃがなどをあっさりと煮て味付けしたサラダから始まり、カツオと鳥貝のお造り、ズッキーニのフライ、焼き枝豆など結構。腹のシクシクはだいぶおさまっていたが、とにかく全身から体力が抜けてしまった感じ。このあいだは麻生富士子という焼酎を飲んだが、今日は“寿福絹子”というやつをいただく。こういう名前は要するに杜氏の名前なのだそうだが、女性らしい細やかさと焼酎ならではの荒々しさが同居している感じ。焼き物は鰯を頼んだが、脂が腹にこたえそうな気がして、残してK子とDさんに進呈。最後は昆布だしの聞いた冷や麦風ソウメンで〆。 体調悪いときに来てしまうと料理屋さんにも気の毒。

 タクシーで帰宅、またまた腹がシクりだし(食べている最中におさまっているとは現金な腹である)、ユチーフを通常の倍量のんで、ベッドに横たわるという感じで寝る。体力気力最低限度まで落ち、『みんなのうた』の『虫歯の子供の誕生日』のラストの部分“♪ぼくはー、もうだめだー”を口ずさみながら気絶的に就寝。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa