裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

24日

土曜日

カマ掘れるユダヤ人

 ユダヤ人やおい……どうもこの数日、日記タイトルが下品。朝の夢がちょっと面白かった。地方の寄席興業に、私は芸人の一座をプロデュースして行っている。で、長期の興業のことで、一座の女芸人とデキており、昼席が終わったあと、夜に地方のボスからキャバレーでお座敷がかかっているそれまでの間、彼女とどこかの連れ込みにでもシケこもうと思っているのだが、老奇術師が私をつかまえて、カラサワさん、今夜持っていくネタについてご相談なんですが……とクドクドと説明しだし、イラだつというもの。短編風俗小説みたいな雰囲気の夢。それにしてもこのごろ日記に夢の記述が多い。“聖人に夢なし”と論語にあるのは“雑なる夢を見ぬと言ふことなり”だ そうだが、雑夢にこそ楽しさはある。

 朝食、レタスと焼きカボチャと枝豆のサラダ、トマト。グレープフルーツ、コマツナの冷ポタ。バス、8時20分のやつ。車中で読もうとコンビニで『週刊文春』を買い、パラパラめくったら私の名前があって驚く。別に驚くことはない、このあいだ書いて送った書評が載っているのだが、シマッタ、ならば買わないでも今号は送ってくるのではないか、ええ、320円ソンした、320円、と、ずっとバスの中で悔やみ続け、非常に精神衛生上よくなかった。ケチな話である。仕事場に着くと、果たして掲載号が文芸春秋社から送られてきており、ああ、週刊朝日にすればよかった! と より一層悔やむ。そんなに悔やまなくてもいい。

 電話、昨日の週刊新潮からの依頼のインタビュー。電話口では向こうも面白がってくれたが、さて、いつものこの類の週刊新潮の特集の切り口から言えば、私のコメン トはどうも向こうの期待する物ではなかったかもしれない、と思う。

 鶴岡から電話、企画のこと、ライブのこと、夢の話などその他諸々。青山ブックセンターの話もまた。知り合いの編集から聞いた話であるが、書店チェーン経営というのは、優良店が10店舗以上ないと採算が合わないという。本というものは利幅の薄い商品であり、たくさん売ることで取次の条件がよくなって、割引率が高くなる。ここで初めて余裕が出てくるのである。文化的良書を選んで置く書店を作りたい、という経営者のその志は大いに認めたいが、しかし、それを成り立たせるためには、良書悪書とりまぜて、とにかく売れる本を置く書店が10店舗、必要なのだ。理想の実現 は11店舗目からにすべきではなかったか?

 それにしても、と思うのは、青山ブックセンター再建のための書名運動をやっている某東大教授の文章のどうしようもなさ。なんとかしなくては、と気があせっている ことは大いにわかるしそこらをさっぴくにしても、
「青山ブックセンターは、われわれの仕事・生活すべてにおいて、絶対に欠かせない存在です。そんな貴重な独立系書店が営業を停止するということは、日本の文化の死を意味します。青山ブックセンターは、われわれのために、日本の文化のために、今後も営業をつづけていただかないと困ります」
 というのを読んで、最初運動にに協力しようとしていた気持が萎えた。“われわれの仕事・生活すべてにおいて、絶対に欠かせない”って、そんな“われわれ”って誰だいったい。六本木・新宿・青山あたりを書店めぐりコースにしていた、ごく一部の文学・アート系を専門領域にしている、東京圏の大学関係者と文化人だけであろう。 そんな、ごく一部の人間のみの至便性が失われただけで
「日本の文化の死を意味する」
 とは、また東京人の何たる思い上がりか。ABCの恩恵を受けられない地域には日本文化はない、とでも言いたいのか。私は青山ブックセンターが好きであったし、あれが無くなることは非常に寂しいが、それは単なる、個人の感傷である。いきつけの気に入っていた喫茶店やラーメン屋が無くなるのと、本質的には等価な悲しさだ。それをいきなり“われわれのために、日本文化のために”と、大上段に振りかぶる、その無神経さがたまらない。大なり小なり東大関係者が持っている、“乃公なくんば日 本国立つ能わず”的な思い上がりの典型みたいに感じる。

 新宿に出て昼食。アカシアで久しぶりにロールキャベツを食う。丸の内線の出入口近辺にサントリー北杜12年の、V6の岡田准一の顔を大きく引き延ばしたポスターがある。うーむ、ここまで引き延ばして皮膚のキメがこんなに綺麗なのかこの男の子は、とちょっとうらやましく思う。紀伊國屋書店で原稿用資料本を数冊。暑さのせいか、倒れ込んでしまって椅子を持ってきてもらい、座っている初老の女性がいた。

 帰宅して原稿書き。やや進む。メール、『GON!』S井さん。ティーチャ佐川さん取材日の件。3時、時間割にて同じミリオンのYさん。『実話ナックルズ』の図版本を渡し、『GON!』の話から、小劇場ばなしなどを少しする。8月は月蝕歌劇団の川上史津子さんも『花歌マジックトラベラー』の舞台に客演するそうだし、夏は小 劇場の時期である。

 仕事、気圧のせいか急に進まなくなり、このあいだ、タントンマッサージで揉まれながら頭にふと浮かんだアイデア(と学会関係の件)の企画書みたいなものをちょこ ちょことメモにまとめる。桐生祐狩さんが今月号のSFマガジンで
「と学会はなまじな劇団じゃ見つからんほどキャラの濃い人が多いから、劇団にならんかなあ」
 と言っていたが、確かにあれは勿体ないよな、と思うんである。

 トイレ読書、実はまだ続けている。現在は石毛直道・編『論集 酒と飲酒の文化』(平凡社)。6500円もする大著である。まだ冒頭の部分だが、吉田集而『口噛み酒の恍惚剤起源説』の中で、穀物を噛んで発酵させる口噛み酒のさまざまな起源説を紹介しているが、そこにあったデータで、生米を噛ませた場合、アミラーゼ活性の度合が男性が噛んだ場合が2.72mg/ml、女性だと3.77と、女性が噛んだ方が活性値が高いというのが興味深かった。酒を噛んで醸すのは処女に限る、というよ う習わしは呪術的な迷信だと思っていたのだが、科学的な根拠があったとは。

 6時20分、再び新宿に出る。小田急改札口でK子、母、開田夫妻、S山さんと待ち合わせ、30分の列車で相模大野へ。『嵐を呼ぶ栄光の焼肉ロード』の監督である水島努さんを囲んでの焼肉会。とはいっても、ひさしぶりの『八起』である。応募したら加藤礼次朗夫人のゴチちゃんとその友人、パイデザ、睦月影郎さん含め、26人もの人数が集まってしまった。店に入ると、すでに快楽亭親子、それから睦月さん、パイデザ夫婦がいて、睦月さんたちはもう焼肉数皿と生大ジョッキ数杯を腹におさめ たところ。みんなが来るのを待てないのかあ、という感じ。

 八起のママといつものように挨拶、私が音頭をとってとりあえず乾杯、水島監督は少し遅れて来られたが、ここのレバ刺しを食べて“私、レバ刺しは苦手だったんですが、ここのは食べられますねえ!”と驚いていた。今日は食べ放題コースなので、肉質はいつもよりやや、落ちるがしかしそれだって並の店とは段が違うし、その分、量が凄い。ステーキ並の分厚さのカルビだのロースだのが、山盛りという感じで出てくる。食うわ食うわ。途中で睦月さんの席に移って、久しぶりにいろいろ雑談する。春咲小紅ちゃんのことを、死んだIさん(睦月さんが恋いこがれていた人)に顔がそっくりなんだよ、と言っていた。とはいえマッド・ブラバスター・リー(りえ坊)のこ とも“可愛いねえ!”と言っていたが。

 水島監督、シンエイ動画を退職されて、現在はフリーだそうである。これには驚いた。あれだけのヒット作を作りながら……という感じだが、今後どういう作品にかかわるのか、その興味もある(聞いたのだがオフレコ)。泡盛の水割りをガブガブ飲むうち、酒と脂に酔ってしまい、何が何だかわからなくなる。やはり体調はかなり落ちているなあ、という感じ。でもまあ、これだけ周囲に人数がいれば、無事家に帰りつけるもの。全身から肉の匂いをぷんぷんさせて寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa