2日
金曜日
水墨と深海の怪物
ほほう、水墨画で蛸の図とは珍しい。朝3時半ころ目が覚める。葉巻を吸いながら街を歩いて、その煙で口の中がニコチン臭くなる夢。いがらっぽい感覚は目が覚めてもそのまま残っていた。こちらのパソコンを使ってゆまにの解説原稿、400字詰め10枚強、仕上げる。構成に関してはまず、自信作と言っていい出来になった。少し文字数はオーバー気味なのだが、これはひとまずそのままで編集Tくんに読んでもらおうと、そのままでメールする。そこで5時。再びベッドに入って、また少し寝る。7時に再度起床、入浴、35分に朝食。ソラマメ、カブ、キウリ、トマトのサラダ。トマトポタに安物の小さいメロン。安物とはいえメロンはメロンで甘し。
8時25分バス、遅れて35分。その後も交通混雑はなはだしく、渋谷到着が9時半近くなる。金曜日は仕方なし。車中安藤千絵『何度だって闘える』(名古屋流行発信)を読む。2002年に亡くなったプロレスラー、サンダー杉山の評伝である。
「引退後も実業界で成功した、ただ一人のレスラー」(藤波辰爾)
の評伝だけに、人生の教科書として読んで、実にタメになる。……もっとも、タメになる分、あれだけのタレント性を持った人物の評伝としてはいまいち面白くない。これは著者の罪ではなく、“成功者の伝記は面白くない”という原則が適用されたた めである。なにしろ、通読しての感想は、サンダー杉山自身の言葉
「逆境がいかに多いかが、その人の魅力になる」
を裏切って、東京オリンピックレスリングの日本代表、プロレスでは元IWA世界ヘビー級チャンピオン、タレントとしては『お早う! こどもショー』『11PM』から『秀吉』まで、数々のレギュラーを持つ人気者、実業家としては18もの会社を経営して、全てを成功させた実力者の、順風満帆の人生記録と言って過言でない。逆境と言えば妾腹の子であったということ、二十歳で父の経営した会社の倒産の後始末に奔走したことと、晩年に糖尿病の悪化で四肢のうち三肢までを切断しなくてはならなかったということ、くらいだろう。ここらへんは杉山自身、その性格からあまりくわしくは語らなかったのかも知れないが、一見派手で陽気な人格の裏に刻まれた心の傷を、“それ故に成功できた”という立身談に安直に結びつけず、もう少し深く掘り 下げれば本に奥行きが出たのではないか、という望蜀の嘆がある。
「自分に苦労させることに喜びを感じて、初めて上昇志向が生まれるんだよね」
と、寝食を忘れ頑張って成功した結果が
「(糖尿病は)やはり働き過ぎ、疲労、ストレス、睡眠不足が要因であった」
である。ここらを杉山自身はどう思っていたのだろうか。“それでも充実した人生を送れたのだから悔いなし”だったのか、“こういう結果になったことには悔いが残るが自分の生き方はあれしかなかった”だったのか。著者は前者の見方一辺倒で書いているが、後者の要素もかなり大きかったのではないか。そして、それが(逆説的に見れば)サンダー杉山に限らず、人間というものの魅力の原点なのではないか。その一点の苦味を加えて欲しかったという思いはある。とはいえ、それらの不満は抜きにして、この本は、“こういう男がいた”という記録として貴重であり、よくぞ本にし て残してくれた、という思いが一杯だ。
仕事場到着、メールチェック。文春から書評依頼のメールが来ていて、あれ、昨日の応諾メールが届かなかったので再送したのか、と思い開いて読んでちょっと混乱。良く見たら昨日のは月刊『文藝春秋』、今朝のは『週刊文春』からであった。同じ社の別々の雑誌から連続で仕事をもらうというのは、有り難いがいささかややこしい。弁当は昨日の蛸の桜飯とシャケ。桜飯は水分を吸って、昨日食べたのより美味しい。
原稿書き、書き下ろしを先にと気はあせれども〆切の厳然とある連載の方がどうしても先になる。しかし、気圧とそれらのストレスでどうしても筆が進まない。眠田直さんに依頼されていたアヴェリー論原稿を、先に片づける。以前書いたものの流用でいい、と眠田さんからは言われていたが、その元原がどうしても見つからず、メモを元に新しく書く。あと、大阪旅行中の留守録に十回以上、かかっては切れている電話があったので、誰かと思っていたのだが、講談社『週刊現代』の三上氏からであったらしい。コメント原稿依頼であった模様。悪いことをした。ここにも台風の被害者が 一人。
夕方になってやっと馬力かかる。4時、時間割にて『FRIDAY』担当Tくんと打ち合わせ、“資料代、も少し遠慮せず請求してかまいませんよ”と、有り難いお言葉をいただく。今後のネタ選定少し。それと、スカイバナナ同席での打ち合わせをそ ろそろまた、という件。仕事場に戻った後、猛烈な鬱。
8時19分、バスで帰宅。9時、自宅メシ。鬱症ひどく、何を食べて何を飲んだかも思い出せない。一応、DVDで『アタックNO.1』を見たのは恒例。鮎原最大のライバル、ソ連のシェレーニナが登場。以前、福岡中学の垣之内良子が出てきたときには、いささか怪しげな博多弁を駆使していたが、今回の彼女たちはどうかと思ったら、“オー、ニェット!”などとやはり怪しげなロシア語を用いる。その他のストー リィは記憶なし。