裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

9日

金曜日

プッチーニ二言はない

『蝶々夫人』、書くと言ったら書きます! 朝4時目が覚める。少しネット。5時にまた寝て6時45分再度起床、入浴。7時25分朝食、ジャガイモ繊切りサラダ。テレビでリーグ再編成問題、ナベツネ節炸裂を聞く。拍手したいくらいの悪役ぶり。人間というのは妙なもので、“こいつならこういうことをやるだろう”というキャラクターの印象にぴったりなことを人がやると、本来なら憤慨すべきことであっても、何か納得して、満足してしまうのである。ここでナベツネ氏が何か物わかりのいいことを言ったりしたら、かえって“なんか、らしくない”と拍子抜けしてしまうのではあるまいか。こういうパブリック・エネミー的な人物は、実は大衆の精神的健康のため には必要なのではないか、とさえ思える。

 朝から暑く、家を出るときにもうウンザリした気分になるが、マンションの前にたたみ店があり、そこの前を通るとき、青いイグサのいい香りが漂ってきて、少し涼しい気分になる。昔住んでいた北四条の家はそう言えばよく畳替えをした。青畳の、イグサの青臭い香りが大好きで、子供ながら興奮して横たわり、鼻をつけてその香りを 吸い込んでいたものだ。あの気分を味あわなくなって久しい。

 8時25分、バスに乗る。たぶん19分のが遅れてきたのだろう。金曜日はいつも混む。午前中はずっと一行知識トリビア本の原稿書き。メモや資料本の中から抜き書きする作業とはいえ、本のコンセプトにあったものをいちいち選定して、一行知識の形に仕立て直しながらやるのはかなりの作業である。がりがりとやって机の周囲がそ ういう資料でいっぱいになる。

 とにかく暑い。少しでも涼しい気分にひたろうと、BGMにこのあいだみなみさんからいただいた、フィンランドのCDを聞く。オズモ・ヴァンスカ指揮でクリスマス曲を集めた『Joulun Ihmemaa(クリスマス・ワンダーランド)』。シベリウスはフィンランドのCDとしてもちろんディフォルトで入っているが、その他ルロイ・アンダーソンの『そり遊び』やフェリックス・バーナードの『ワンダー・クリスマス』なども入っている、クリスマス曲アラカルトといった趣。少年合唱団の清 らかな歌声を聞いているうちに、やや涼しくなってきた。

 弁当を途中で食べる。昨日のタコめしに焼き鳥、蛤煮の串、卵焼き、キンピラなどが添えられている。食べながらも資料を読む。2時半ころ、原稿用紙400字詰めにして20枚強、なんとか完成。メールする。ふう。世界文化社Dさんから、『東京中低域』ライブのチケットがあるんですけど、とお誘い。このあいだCD買ったばかり だったので、西手新九郎に驚く。

 某外資系ヘルスケア製品メーカーの社内報用のコラム原稿依頼、久しぶり(一年ぶりくらいか?)に来る。ここは枚数一枚あたりの計算で言えば、原稿料が普通の出版社のほぼ3倍(安いところと比べると5倍)の高値であり、もっと頻繁に来てくれればありがたいのであるが。とはいえ、なくならずにきちんと出続け、出るたびに依頼がくるのは有り難し。“前回と同じテーマで”との由だが、前回が何だったか、もう 忘れてしまった。

 2時、家を出て東武ホテル。日経エンタテインメントインタビュー。時間割に場を移して、井上くんの奥さん相手に“作家のストレス”というお題にて話す。作家の、というより“四〇代作家のストレス”。詳しくは特集記事を読んでもらいたいが、周囲を見るにフリー職業の四〇代を襲うのは、“オレも四〇代になれば社会的責任というものが生じるから”という、自分で自分を縛りつける責任感覚によるストレスではないか。会社の中にあれば、部長職であれ専務職であれ、それは組織から“押し付けられた”責任であり、いざとなれば“わしゃ知らんもんね”とケツをまくることが出来るが、自分で自分に託した責任感からは、逃げることが出来ないのだ。真面目人間ほど、この自縄自縛感で身動きがとれなくなり、最後には破裂する。オタク雑誌ではないので言わなかったが、私は四〇代の生き方のモデルとすべきは『ガッチャマン』のベルク・カッツェだと思っている。まあ、あれは組織の人間ではあるが、やってることは限りなく個人的趣味の世界に近く、そして彼の基本方針は“常に自分が一番目立ち”、かつ、“危なくなったら自分だけ逃げる”、である。どんな最強メカにも必ず、自分専用の避難システムを備えつけているのだ。一回、ドクター・フィンガーというライバルがカッツェの地位を奪ったことがあったが、彼は責任感と自負の強い性格であったらしく、“わしはカッツェのように逃げたりはせぬ”と腰を落ち着けた結果、火山の爆発で木っ端微塵になってしまった。これではダメなのである。

 いくらフリーであっても、四〇代になればどうしたって世間のしがらみの中で、責任を背負わされる。それは致し方ない。しかし、一方で、創作という仕事に携わる人間は誰しも必ず、どこかで社会の規を超えた異常性の部分を内部に秘めていなければやっていけないものだ。普通に考えると、このバランスをとるためには、異常性のスタンピートを抑える意味で、責任の方に力を入れなくては、と思うところだが、実は自己を破滅させるタイプの人間は、大抵、その責任感の方によって押しつぶされる。己れの内部の異常性、非常識性を大事にしていくタイプの方が、“しょうのない奴っちゃ”と困られながらも、マイペースで人生を最後までエンジョイしていけることが多いのだ。“異常な方が正常でいられる”、というのは大いなる人生の矛盾ではあるが、そこらへんを納得出来ないタイプというのが、かなりアブナい気がしている。

 インタビュー終えて帰宅、原稿書き、『トンデモ本男の世界』担当分。400字詰め6〜7枚でまとめようと思っていたら、案外筆が進んで、最終的にはかなり削ってなお11枚になった。メール。本日、原稿合計で2本30枚以上書き、インタビューをこなした。一日の仕事量としてはなかなかのものと思うが、たまった膨大な未着手仕事に比較してみれば実に微々たるものなのが情けない。

 8時帰宅、今日はあのつくんのいつものご厚意による仙台野菜の会。第一次のお客は藤井ひまわり氏と破裂の人形氏、あとS山さんの筈が、連絡ミスっぽくて来ない。K子に確認の携帯を入れさせたら、やっぱり今日は招かれていないものと思っていたらしい。それでも繰り合わせてやってくる。とうもろこしとハムの掻き揚げ、ナスの挽肉挟み揚げ、ラタトゥーユにポテトサラダ。夏らしいメニュー。しかし最高はただ切っただけの青トマトの刺身。ワサビ醤油で口に運ぶと、そのほのかな青臭さと酸味が、体と心をリフレッシュしてくれる。藤井くんがビールを持参してくれたが、ビールは目隠しテストをしたら絶対銘柄がわからないという話が出る。藤井くんはドライとラガーはわかるでしょう、と言うが、破裂さんが実際、昔ビール飲みを集めて実験してみて、誰ひとりわからなかった、と。北大路魯山人もいたずらでこれをやられてわからなかったそうだから、まず誰にも不可能ではないか、と私も言う。

 あと、紀伊國屋公演とこのあいだの銀小のライブに足を運んだ破裂さんの、うわの空藤志郎一座論を聞く。とにかく女優陣の充実があそこの強みと力説していた。安定感のあるまとめ役(高橋奈緒美)がいて、芸達者な看板女優(島優子)がいて、いじわる役も出来る美人(牧沙織)がいて、トリックスター(小栗由加)がいて、子役アイドル(尾針恵)がいて、と、死角がない。確かに小劇団でこれだけ揃っているところもそうないかも知れぬ。みずしな孝之さんの『うわの空注意報』も、ほとんどエピソードが女優さんばかりで持ちきられている感じだし、などといい気分で語りつつ飲んで食って、12時近くまで。最後はとろろ蕎麦で〆。そう言えば藤井くんは蕎麦で酒を飲むのが好きだった。喜んだのではないかと思う。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa