裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

3日

土曜日

モー半分。

 幼い田中れいながにゅーッと手を出して……。ところで半分でも六人もいるのか、モー娘。朝、4時に目が覚める。昨日の日記にも書いたが昨日は午後いっぱいひどい鬱で、寝る際も人生の来し方行く末、いろいろ悩みつつ、煩悶のうちに床についた。で、どんな夢を見るかと思ったら、これが何とウルトラマンの夢であった。ダメだこりゃ、である。なんでこんなときにウルトラマンの夢を見るのだ。自分に鬱とかはやはり似合わないな、と苦笑。もっとも、出てきたのが、貝のような甲羅をかぶった怪獣で、こいつは暴れていて、ウルトラマンが来ると、すぐ貝殻の中に閉じこもって、スペシウム光線も通じないその厚い殻の中で、二年でも三年でもひたすらじーっとしているというヤツで、ウルトラマンもどうしようもなく持て余す、という話だった。ちょっと鬱っぽいかもしれない。

 少しメールなどして、6時ころまたウトウトするが、今度見た夢は、拾ってきた赤ん坊が、夜中に口から血を吹き出して立ち上がり、アーッ、という世にも気味の悪いうめき声をあげるという、いかにも怪奇なものだった。もっとも、このような夢は珍しくない。それより、夢を見ながらも、“お、夢の中に初めていまの自宅マンションが登場したゾ”と、そっちの方に興味がいっていた。何故か、今の自宅マンションの部屋配置の位置などが全部裏返っていたが。7時に入浴。立てかけてあったバスタブの蓋が倒れており、そのときの音がどうも、夢の中の赤子の泣き声になったらしい。

 7時半、朝食。カブとニンジンとインゲンのサラダ、トマトポタ。マーロン・ブランド死去の報あり、80歳。母はどちらかというとケイリー・グラントのような、クラシックな美男が好みであり、ブランドのような肉のついた、ぬめっとした男は気味が悪いと敬遠していたが、『波止場』を観ていっぺんで参ってしまったそうである。演技している俳優の背中からオーラが立ち上っている、という感覚を覚えたのは私もこのブランドが最初である。もっとも、アクターズ・スタジオ出身者の多くがそうであるように、映画全体のイメージをぶちこわすほどのオーバー・アクトに凝る傾向がある(なにしろロバート・デ・ニーロ、クリストファー・ウォーケン、ハーヴェイ・カイテル、デニス・ホッパー、ジョン・マルコビッチ等々を生んだワークショップである)俳優であり、記憶に残るその演技の多くは好演とか熱演でなく、“怪演”だった気がする。代表作『ゴッドファーザー』のドン・コルレオーネ自体、もうぬいぐるみ演技みたいな大怪演だったし、私にとっての代表作『ミズーリ・ブレイク』の“整理屋”クレイトンのキャラクターの異様さは、ブランドでなければ演じられない、アクが強いどころかアクだけで本体がないような役であった。日本にも案外縁がある人で、代表作に『八月十五日の茶屋』『サヨナラ』と、二本も日本を舞台にした作品があるし(前者ではなんと“日本人の”役をやっている)、椿八千代とかいう日本女性 と同棲していた、という話もあるのだが、彼女はどうなったのかな。

 仕事場でメールチェックのみして、11時45分、高田馬場ビッグボックス。ここで鶴岡法斎と、彼女の早稲田での教え子の女性と落ち合い、近くの『ねぎし』でメシを食いながら打ち合わせ。秋にここの東放学園で、文筆業講座の集中講義(これは明大前校舎)とオタクアミーゴス公演(こっちはここ)をやるのだが、その下見を兼ねて、一回講義をやってみてくれませんか、とここのKさんに頼まれた。いいですよ、と気軽に引き受けたものの、気軽すぎて今朝に到るまでナンのレジュメも用意していないので、久しぶりに鶴岡と漫才でもやるか、と思って、連れていったのである。

 そこから三人で、暑い中、道に迷いつつも東放学園高田馬場校舎にたどりつく。教室に、30人くらいの出席率。以前ササキバラゴウさんなどとやったマンガの講義は10人程度の出席だったから、三倍である。マイクを手に、“今日は、秋の集中講義の予告編みたいなもので……”と始める。ライター業というのは、何の資格も免許もいらない、なろうと思えばすぐなれる職業だが、問題はそれで食っていき、家族を養い、かつ、10年、20年とこの業界に残り続けることで、それには絶対に“戦略”というものが必要なのです、ということ。フリー職業に必ずある、20代から30代になるときの壁、30代から40代になる際の壁のことを話し、こういうものがあるということを認識してライターになるのとならないのとでは、その業界で残すことのできる成果が全く違う、という話をする。案外真面目に、うなづきながら、またメモ をとりながら聞いてくれる生徒が多いので驚く。Kさんからは、
「あまり情熱を感じない生徒が多いかもしれない」
 と言われていたのである。具体的なこういう話を、その業界の生臭いニオイと一緒にされたことがなかったためかも知れない。

 これで45分ほど話し、後半は“では、30代になったばかりの、仕事も連載を十本以上持っていて、早稲田や静大で講師も務めるという、名実ともに売れっ子でありながらまだ貧乏という実例をお見せします”と鶴岡を呼んで、彼とのかけあい。さすが、若者への親和力は抜群で、ワッワッとウケをとっている。私のときには、ギャグをかましても“果たして笑っていいんだろうか”と遠慮していたのが、この男には同世代として、一切遠慮をしないらしい。本人も非常に気持ちよくしゃべっていた。あまり役に立つことはしゃべらないが、無駄ばなしダメばなしでは本当に天下一だな、 と思う。

 あっと言うまに90分は過ぎ、授業終了。後でKさんから、
「通常の講義とはあきらかに違う生き生きした反応でした」
 と言われた。学校を出て、早稲田駅前のコージーコーナーで少しまた三人で話す。鶴岡も気持ちよかったらしく、早稲田よりこっちの方がずっといい、と言う。あっちは学内での人間関係に気を使うことの方が講義より疲れるらしい。あとはただ、馬鹿話。なんだろうねと自分で呆れるくらい、馬鹿になって話す。これは一種の幼児プレイというか、最近のストレスへの自分なりの防御本能なのかも知れない。鬱は少なく とも、これでだいぶ散じた。

 二人と別れて仕事場へ戻る。昨日の眠田さんのところへの原稿、も少し一般読者向けに説明を、と言われたので、そこらへんを書き加える。書き加えた部分も含め、逃避原稿であったがなかなか自分で読んで面白い。ストレスが仕事でたまるのに、そういう時期の原稿が普段より面白く書ける、というのは皮肉な話である。

 文化村通りの包装専門店にちょっと立ち寄り、牧沙織、おぐりゆかの誕生日プレゼント用の品(絵本)をラッピングしてもらう。この二人、まるで送ってきた人生も生きてきた世界も性格も違うのに、同年同月同日の生まれなのである。星占いってのは あれ、やっぱりウソだなと可笑しく思う。

 バスに乗ろうとしたがタッチの差で逃す。仕方なくタクシーで帰宅。今日はと学会のS井さんと、K子の日記サイトの常連の破裂の人形さんの二人を招いての食事会。宝塚談義、近鉄買い取り談義などで盛り上がる。破裂さんから、客としての立場からの先日の東京大会への提言も聞く。料理は前菜が味付き枝豆にうなぎパン巻き、ベーコン入り春巻スティック、鳥オーヴン焼きとラタトゥーユ、それにアサリ入り炊き込みご飯。酒は破裂さんの買ってきたワイン赤と白一本づつと、S井さん持参の『越の寒中梅』という、パチみたいな名前の酒。どちらも結構。飲みかつ食いながら話が弾み、非常に盛り上がったが、体調がやはり十全でないのか、かなり最後には酔って、立てないほどになった。K子はワインをがぶがぶやって、かなりのご機嫌。お客二人が帰って、ベッドに入ってからもなんやかやといろいろ話しかけてくる。日頃の、額にスジを立てた怖い顔の彼女しか知らない人なら、別人と思うのではないか。このあいだ、パイデザ夫妻とイタリア料理屋でワインを飲んで帰った晩もこうだった。何かK子に怒られるようなことをしでかした人は、彼女がワインに酔っぱらっているときに会えばいいのかも知れない。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa