18日
日曜日
デッパのフレディ
シェー、風がミーを吹き飛ばすざんす。朝、ジョン・ヒューストンの映画『白鯨』の夢を見る。が、途中で白鯨のかわりに巨大なウミヘビを仕留め、銛打ちたちがこれを大喜びで抱えて船内を踊り歩くシーンでハッピーエンド。これはこないだアニドウの上映会で見たドンヨ・ドネフのアニメが影響しているのかも知れぬ。
7時起床、入浴、歯磨等済ませて7時半朝食。カボチャ繊切りサラダ、ブロッコリの冷ポタ、夕張メロン。昨日、デザートにこの夕張メロンが出たときにはS井さんはじめみな感動していたが、私に言わせれば夕張メロンというのは“ジューシーなカボチャ”。相変わらず人文系に大偏りした書評の並ぶ読売新聞読書欄を見て、ああ、そうか、ここの欄にずっと感じていた違和感は“新聞版の青山ブックセンター”だったのだな、と気がつく。80年代の人文バブルからまだ足抜け出来ていないのである。
タクシーで渋谷まで。雑用いろいろ。開田さんから電話、湯浅憲明監督が先月、死去されていたらしいという話を聞いて仰天する。監督協会の月報に出ただけで他に何の情報もなく、みなあわてているらしい。私もこの春に一本、葉書のやりとりをしたきりで、それからはご無沙汰であった。すぐ確認をとることを約す。とはいえ、休日 のことであり、出版・映像関係者のほとんどとは連絡がとれない。
雑用も多々、身の上に降りかかってくる。その上、暑い。頭が煮えたようになり、クラクラする。ウェブ現代の原稿を一本書いて講談社とK子にメール。弁当は焼肉と卵焼き。筑摩書房のMくんに、金曜日、立川流同人誌用に快楽亭の高座のテープ起こし原稿を一本、送ってくれるよう頼んでいたのだが、Mくんから“今、送りました”という電話あり、有り難し。ところが、これが通信ミスなのか、なかなか来ない。今日がデッドラインなのでちとあせる。おまけに、日記ソフトがちょっと不具合で、日記のアップもうまくいかなくなっている。メールが届かないのもそのせいか? と気になる。こういう細かいことが積み重なって、イラついて仕事が手につかない。
5時には家を出ないといけないのだが、4時ころやっとメールで原稿届いた(何故か一度、帰ってきてしまったそうである)。ともあれ、ホッと一安心。これを編集の談之助さんと、DTPの安達Oさんに添付して送る。なんやかやで出るのが少し遅れて、5時15分、銀座線で三越前へ。お江戸日本橋亭、トンデモ落語会。椅子席が既に満杯だったので、桟敷の方に座る。安達O・Bさんが来ていたので挨拶し、データが届いたこと確認。立川流に義理を果たせて肩の荷が降りる。改めて思うが、オレはいままでの人生、すべてこういう“すべりこみセーフ”で成功してきた人間だよな、と反省。準備不足、スケジュール立ての甘さ、怠け癖、などで常にピンチに陥り、そのたびに腹を下すほどの煩悶と自己嫌悪と神頼みを繰り返すのだが、何故かいつもギリギリの時点で、あれまとばかりうまくまとまり、最悪の場合でも、こちらに大きな傷はつかぬままになって修まり、で、結果のみを見てみると、人生をまるで順風満帆で送ってきたようなことになってしまっている。振り返って当時の状況を思うと肌に粟を生じはするのだが、じゃア次からはキチンとものごとを準備するかというと、やはり、まあなんとかなるだんべえ的に甘く考えてしまうのである。これは生涯なおら ぬ癖かもしれない。
で、トンデモ落語だが、どうも開演前から楽屋の方の雰囲気が違う。出演予定の笑福亭福笑師匠が、昼席(快楽亭の独演会ゲスト)終わってどこかに飲みに行き、そのままもどらず行方不明らしい。福笑という人は酒癖の悪さでは定評があり、酔って大阪のヤクザとケンカして、相手を失明寸前にさせたという武勇伝の持ち主でもある。そういう人間がやって来ないのだから、何かあったに違いない。楽屋の緊張感が、客席にも伝わってきている。……しかしながら、これが結果的に大変いい効果をもたらしたように思う。開口一番のブラ談次から、談笑、談之助、ブラック、昇輔と、全員の高座がきわめてテンションの高いものになった。まあ、たいていこういう会も回を重ねるにつれ狎れが来てしまい、しかもこのトンデモの会は、いみじくもブラッCが楽屋で言っていたとブラ談次がチクったように、“何言っても受けるので勉強にならない”会なのだ(敢えて反論すると、こういう性質の会というのは、いったん笑いのツボから外れると、逆に何を言っても笑えぬシラケまくった会になる。トンデモの客はそこらへんも心得たスレッからしの客が多いので、わざと率先して笑いのリードを とることで、場のテンションを高めているんである)。
談笑は落語のオチで高座を降りて、客の誰彼をつかまえては“お前はもう死んでいる!”と指さすと、客がバッタリ倒れて死ぬという、歌舞伎のお土砂みたいなネタ。一番最初に目をつけられて(まあ、来るとは思ったが)“おや、こんなところに談笑の真打昇進トライアルのスーパーバイザー・カラサワ先生がいる! ……お前はもう死んでいる!”とやられるので、派手に“あはーん!”と叫んでぶっ倒れてみせる。これでクチが開いて、あとは指さされた人さされた人、みんなバタバタと倒れていって、大変盛り上がった。次の談之助は“朝5時まで同人誌の編集をやっていて寝ていないハイ状態で作ったネタです”と、限りなくヤバい北朝鮮ネタ。これがもう、凄まじい受け方。で、次が本来は福笑さんのはずが、まだ来ない。ブラックが出て穴を埋めるが、これがいつぞや電話でネタを話してくれた、“本格推理版・『短命』”。探偵役のご隠居が片岡千恵蔵というあたりも含めて、快楽亭の本領発揮。
そこで中入りとなるが、ブラックが出てきて、もし来ない場合は代バネでブラッCがトリを相勤めます、と。で、休息時間の最中に、楽屋で必死の捜索が続いている様子がマイクを通じて実況放送される。まず、談笑が“お客様にご質問がございます。福笑師匠の携帯番号をご存じの方、いらっしゃいましたら楽屋の方へ……”と流れ、続いて、携帯で大阪の福笑師匠のお宅にかけて、“あ、東京の立川談笑と申します。お世話になっております。実はちょっと、福笑師匠の携帯の番号を……あ、ハイ、エエ、本日こちらで出演の予定なんですが、ちょっとお出でになっていないので、ハイハイ、ええ、それで……。ハア、ア、申し訳ありません……ハイ、ではこれにかけさせていただきます……”で切れ、やがて“あ、福笑師匠ですか、ヨカッタ……ハイ、談笑でございます、エエ、ハイ、お待ちしているんでございますが……ア、そうですか、ハイ、お待ちします、なるべくお早く……”となる。場内爆笑、拍手。実にスリリングで面白い。これは生の舞台や寄席の裏方を経験した人でないとわからないかも知れないが、私にとっては芸能プロダクション時代、何十、何百編経験したかというアクシデントであり、何度も書いたエピソードだが、初めて横浜そごうでブタカンを 勤めたとき、あまりのアクシデントの多さに驚いていたら、バンマスさんに
「このアクシデントが癖になるんです」
と言われた、アドレナリンあふれまくりの経験である。たぶん、今日の楽屋は全員にとって楽しいものであったろう。談笑の声の嬉しそうだったこと。……と、考えてみて、ア、オレの“なんとかなるだんべい思想”は、ひょっとしてこのアドレナリン 放出を意識下で望むが故のものか、と、ちとオソロシクなった。
とはいえ、連絡はついたが、まだ本当に間に合うかどうかはわからない。昇輔が高座にあがってネタに入るが、ときおり袖にチラチラ目をやっていて、やがて、“ア、入った? ア、よかった! 福笑師匠、お入りになられたそうです!”とやる。いやここまで引っ張るとは思わなかった。会場拍手鳴りやまず。で、昇輔はムチャクチャなオタクネタのマクラから入って、本ネタはやはりジェンキンスさんで。その後、上がった福笑師匠は、別に遅れた言い訳とかをするでなく(本人には、これだけ自分の不在が客と出演者を巻き込んで騒ぎにさせたという自覚がない)、パ・リーグの話題などをフッたあと、『葬儀屋さん』をたっぷり語る。もっとベロベロで上がって、高座で寝てしまうというような、往年の志ん生のような高座になるかと思ったら意外であった。父親が死んで、葬儀を出す三人兄弟の話で、別にどこといってシュールになるわけでなく、ブラックではあっても行き過ぎはせず、地味なストーリィ展開なのだが、それだけに妙なリアル感のある、“ちょっとズレた世界”が眼前に彷彿と浮かび あがってくる、上方落語ならではの味の、好きなネタである。
終わって、知り合いに挨拶。開田さんたちは岡さん連れて、同人誌編集の合間に来ていた。と学会関係ではIPPANさん、S井さん、S山さん、Hさんなど。植木不等式さんそっくりの笑い声が後ろで聞こえていたので、てっきり来ていると思ったのだがおらず。笑い声の方を見たら、巨体のデブのお客が笑っていた。体型が似ると笑い声も相似形になるのだな、と思う。あと、傍見頼道さん、それから井の頭こうすけ さんも彼女連れで来ていらした。快楽亭に挨拶したら、
「テキ(福笑さん)はネ、居酒屋からこの日本橋亭に戻ろうとして、道間違えてわからなくなって、そのまま路上で寝ていたってえン」
と笑っている。この暑い最中によく路上で寝られるものだ。かなり蚊に刺されたそうである。
日曜でいつもの焼肉屋が休みなので、仕方なく天狗へ。店が店で料理など期待しないでいたが、イカがお勧めとかで、イカ刺し、イカの丸煮、イカ天ぷら、イカ握りなどみな旨い。おお、と皆喜んで食う。マグロの握りは大したことなかったから、まさに今日はイカの当たり日だったのだろう。福笑師匠の近くへ移動して、お話を伺う。師匠のネタノートというのを見せてもらったが、これが凄まじく几帳面に、もうお歳からいって老眼だろうに、おそろしく細かい文字で書かれていて仰天する。ネタからも、酒飲んで路上で寝てしまうという性格からも、想像できないネタ帖である。で、師匠、お客のオンナノコ二人連れを“ええから、ここに坐り”と隣に座らせて、
「あ、ええな、柔らかいなー」
と、彼女の胸や背中に顔を押し付けていた。大阪弁のいいところは、それがいやらしく見えないところである。
「わかりますねえ、僕らみたいな歳になると(師匠は55歳、私は46歳)、オンナノコの値打ちは顔とかスタイルとかじゃなくって、まず第一に柔らかさになるんです ねえ」
とそれを見てうなづくと、連れのオンナノコが、
「え、でもカラサワ先生って、そんな歳じゃないでしょう。見た感じも若いじゃないですか」
と言ってくれたので、お小遣いでもあげたい気分になった。と、言うか、最近、少しは若作りを心がけているのである。成果があったか、とウレシくなる。焼酎炭酸割でイカ食って、談笑などとも真打トライアルの後の件でちょっと話し、なかなか楽しく過ごせた一夕であった。神田から中央線でS山さん、ブラッCくんと新宿まで出てそこからタクシーで帰宅、12時。湯浅監督の件はやはり数通だしたメールに未だ応答なし。ハイになっていた気分が少しこれでまたダウンする。