30日
火曜日
煮はまもう秋、だれもいない海
寿司ネタシリーズ掉尾(ってほどのシャレじゃないか)。朝7時半起床。夢の中で香港映画に出演。高層ビル街でのアクション・シーンで、日本から招かれて中野貴雄が演出しており、私もその関連で出ているらしいのだが、何千人ものエキストラが、主人公の撃つ銃一発で全員死ぬ。“少しオーバーじゃないの?”と訊いたら中野監督が“まあ、香港ですから”と。あと、死んだ婆さんとの暖かい家族愛の夢。私の夢の中で梅子婆さんは常に悪役、というか困った役で出続けていた。それが善人で出てきたというのは、時が全て許したということか。朝食、発芽玄米粥に梅干、梨。もう何 日続けて二十世紀を食い続けているのか。ギネスに申請出来ないか。
先日の帰省から日記が一日遅れている。この日記をつけているのは1日の朝だ。記憶というのはアヤフヤなもので、どうもよろしくない。一昨日、談之助さんとのライブ中に、お客さんから夢路いとし死去の報を伝えられたのだった。昨日の朝は新聞でその記事を読んでいた。あの二人のキャッチフレーズの“生まれたときから兄弟で、それからずっと兄弟で、今でもなぜか兄弟で……”という文句を、小学生のとき、われわれ兄弟も真似して兄弟揃っての自己紹介のときに使っていたものだ。ダイマル・ラケットの漫才におけるボケとツッコミの対立が、時に凄みまで感じさせるものだったのに対し、いとこいの漫才はその対立にどこかにほんわかとしたところがあって、これは兄弟ならではの味だったのだろうか。無理な比較とはわかっているが、あえて 言えばダイラケは談志、いとこいは志ん朝という芸風であった。
その記事に比べれば小さく、同じ日にドナルド・オコナーの訃報もあった。私は、『雨に唄えば』はジーン・ケリーよりも絶対オコナーの方が贔屓なのである。アメリカでは彼の出世作はしゃべるラバ(ロバとなっている資料もあるがラバが正しい)、フランシスとコンビ(?)を組んだシリーズで、1949年から6本(7本という資料もあるが最後の一本はオコナーでなくミッキー・ルーニー主演)作られ、『雨に唄えば』を中にはさんで6年続いたこのシリーズは、アメリカ人にとってはそれこそ、大阪人にとっての吉本新喜劇みたいな位置づけにあるシリーズらしい(無名時代のクリント・イーストウッドもこのシリーズの中の一本に出演している)。B級映画マニアのジョン・ウォーターズが『クラックポット』(徳間書店)の中で、このシリーズの関係者を追いかけるというインタビュー記事を書いており、オコナーのところにも行っている。オコナーはフランシスを懐かしがって、
「見つけたら連絡をくれと言っておいてくれ。また一緒にやりたいから」
とジョークを言っていた。
朝、メールで太田出版から、来年度のトンデモ本(本家“世界”本)の企画についての長文のおしらせ。ずいぶん大胆な(これまでこのシリーズになかった)提案があり、ちょっと驚く。まあ、こちらにとっては悪い話ではないので、大賛成ではあるけ れど、ちと仕事量が増えることではあるか?
1時、どどいつ文庫伊藤氏来。例によってトンデモ洋書いろいろ。なんと、近々東京に出てくるかも知れないとのこと。しかも新婚で、ということになるか? という話。おめでたいことはおめでたい話なのだが、イメージから言って、失礼ながら意外と言えば非常に意外な話であり、驚いてしまった。ちょっと企画のことで相談などもする。お祝い代わりになればいいが。
昼の時間に外れてしまったので、モスバーガーでテリヤキバーガー買ってきて、仕事しながら食べる。春風亭昇輔さんに特撮ファンクラブGの20周年記念飲み会参加のお誘い。彼は重度の平山亨フリークなのである。あと、フジテレビKさんとメール やりとり。打ち合わせについて。
4時、曙橋井上デザイン。原稿書いているうちに時間が切迫してしまったので、あわててタクシーに飛び乗る。空は秋晴れで陽光がまぶしく、タクシーの空車表示が逆光でよく見えない。目の上に手をかざしていたのだが、乗ったタクシーの70代らしいアゴヒゲの運転手さん、“最近の東京はまぶしくてよく灯りが見えないでしょ? アスファルトの粉塵に日光が乱反射するんですよ”と教えてくれる。話好きらしく、地震予知の話で少し知っていること話すと、もうしゃべるわしゃべるわ、災害マニアなのか、その知識がすさまじい。都の地震対策シミュレーションはなっていない、地震の起きる時間の想定をしていないから、朝起きたものか夜中に起きたものかで全然被害度も違うのに、そこをこのあいだ都の発表会で私が質問したら、職員がだれも答えられなかった、とウレシソウに言う。個人タクシーで悠々自適の生活らしいが、ど うも地震対策が趣味であるらしい。
地震対策費に自分たちは年間120万円使っている、とのことで、自分なりの工夫もいろいろしていると話してくれた。例えば、地震が一旦起こったら携帯などはもう不通になって連絡の用をなさない、私ら夫婦はどこへ出るときもお互いロウセキをポケットに入れて出る、という。家が壊れたとき、どこの避難所に行くかなど、地面やそこらの壁にメッセージを書き付けるのには、ロウセキが一番役に立つのだそうな。
「東京のビルは、1976年以降のものならある程度の耐震設計になっているから、大丈夫です。60年代以前のものはダメですな。問題は71年から75年までに建設されたビルで、これをどう評価するか……」
と耐震評論家のようなことを言う。道路交通法では災害時にはトラック、タクシー等は被害者救助などの目的で通行禁止区域にも入っていける、とうれしそうに語るのだが、それを期待してタクシーやっているんじゃないかとさえ思える。高速道路上で立ち往生した場合、防音用のガード板のボルトを外してつなぎ直し、梯子代わりにして地上に降りるんだそうだが、“若い人では基礎体力がないから無理”で、“まあ、地震が来て一番生き残れるのは50代より上の世代でしょうね”なのだそうな。緊急食料問題や、災害時の暴徒問題まで語って、
「私ら、戦争のときにさんざお国のためにつくしてきて、それで今度は地震災害のときにまでまたつくせというのは、もういいかげんにしてくれって言いたくなるんですがねえ」
と、だれも頼んでいないんじゃないか、ということを得々と言うあたり、知識人によくある、世界が自分の中で完結しているタイプであると思える。そういう人間が知識や経験を人より積んでいるという自覚がある場合、必然的に自分が一般大衆のリーダーたるべきという態度をとるので、どうしても周囲の反発を受けやすい。案外、災害があった場合、自分の言うことを聞かない者を怒鳴りつけたりして、真っ先に殴り殺されるか、孤立してしまうのがこういうタイプなのではないかと思うのであるが。実際、このあいだはNHKの女性職員が、走行中はやめろというのに携帯電話をかけるので、途中で降ろしてしまったそうだ。
「私ら運転手は、ただ運転しているんじゃない、全身の感覚を研ぎ澄まして、周囲の物音とか、光とかに注意を払いながらお客さんの命を預かっているんですよ。携帯などで話されると、その注意が散漫になる。自分の命を危険にさらして平気でいる神経があたしゃ、わからない」
ということだったが、ならこう後部座席の客相手におしゃべりするのもよくないんじゃないか? おまけに、どうも遠回りなルートを通ったようで、運賃がいつも曙橋 まで行ったときの1.5割増しだった。
井上デザイン、15分遅れだったが井上くんも別な用事で遅れたのでちょうどいいタイミングの到着だった。サンマークTさんと、コンビニ置きの一行知識本打ち合わせ。装丁、内容ともに、読みやすさ(ある程度のウスさ)を目的とした本造りを目指しているものであるのだが、井上くんが、古い顔合わせゲームで、なかなかいい図柄のものを見つけてくれて、イラストを新規に依頼しなくても大丈夫という感じになった。字数を早めに出してくれるようお願いする。私の仕事はそれから。打ち合わせ中に、講談社Yくんから、私の本についての電話が井上くんにあり。本当にここは東文 研出張事務所の感がある。
Tさんとライター論など語りながら新宿まで都営線で。いったん仕事場に帰り、いろいろメール連絡等。そのあと、とって返して新宿へ。歌舞伎町『樽一』にて、ひさびさにチョウザメを食う会。メンバーはわれわれに植木不等式氏、平塚くん夫妻、角川書店S川氏。店の店長が林家木久蔵に似ている、なんて話から二丁目ばなしに移ったり。ビールついでもらうとき、なんでおじさん族は“いややややや”などと意味不明な語を発するのか、とか。アニメ『風のフジ丸』の番組の最後でやっていた“忍術千一夜”(『スター千一夜』のパロディ。司会は自分も後に『大忍術映画・ワタリ』でくの一を演じた本間千代子)の先生、戸隠流忍術34代目宗家初見良明氏のことを フッたら、さすが武術マニアのS山さん、詳しいこと詳しいこと。
このチョウザメは『樽一』の名物で、養殖チョウザメを一尾まるごと味わえるというもの。コースは当然、まずキャビアから始まるが、これだけはロシア産のものなのだそうだ。その後、お造りが出て(昆布じめのものが絶品)、酢の物、焼き物、茶碗蒸し、寿司、照り焼きといったフルコースが出る。前に来たときよりもチョウザメを和食にする技術はあがっているように思った。ただし、茶碗蒸しに出汁が入ってない というアクシデントあり、作り直してもらう。
なんと言ってもこのコース、クライマックスは鍋と雑炊である。以前のときはマンガ家の児島都さんがいたが、あまりにわれわれの会話の量がすさまじく、聞いていて頭がクラクラしてしまい、雑炊を食べ損なっていた。軟骨から出るコラーゲンの旨味が絶品で、コラーゲンをとると体にいいというのは根拠のないデマだと、こないだ読んだ『暮らしの手帳』に書いてあったが、この、摂取時に体の底から感じる充実感を思うと、やはりある程度は体にいいんではあるまいか。植木さん、S山さんと、酒をガブガブ飲む。最初サービスで出た浦霞が甘い、と、香炉、開運など、さらに植木さんが“「海綿」という酒があります”と叫んだ“梅錦”など。鯨類関係では専門の植木さんの話もたっぷり聞いたが、もう最後には何が何だかわからなくなってしまう。お値段もそれなりによかったが、三分の一は、この三人で飲みまくった酒の値段だったような気が。