24日
水曜日
メドゥーサの上野毛
東急大井町線に乗るものはみな石と化すという。朝7時45分起床。シタシタと雨降りそぼっている。体調不良、というか、下腹のあたりに非常な不快感。二日酔いとか食べ過ぎとはちと異なる。胃潰瘍の痛みかな、というような感じ。さしてこの数日無茶のみ無茶食いはしていないはずだが。朝食、トウモロコシと枝豆の蒸したの。食 欲はあり。
産経新聞には毎日、2面に『from』という、女性執筆者によるエッセイが掲載されている。ジェンダーフリーの行きすぎに警鐘を鳴らすなど、男尊女卑的な思想傾向にあると思われがちな産経が、そうではないということをアピールするために設けている欄だと思われるが、大抵は愚にもつかない意見か、読む気も起きないつまらぬ雑文で、女性の言なんてこんなもの、とアピールする裏戦略があるのではないか、と逆にとられかねない欄である。女性文化人にはもっと面白い文章を書ける人がいくらもいるはずなのに、人選でミスをしているのである。……とはいえ、今朝の欄の、冷泉貴実子氏による『分かりにくい「JR用語」』という意見はひさびさにソウダソウダと膝をうつものだった。海外では列車の表記は一等車、二等車などと一目瞭然の分かりやすいものが多いのに、日本ではこれを“グリーン車”などという、外国人には意味不明の用語で呼ぶ。オレンジカード、ブルートレインなど、辞書にも出ていない自分たちだけで通じる愛称を並べるのか。しかも自動改札機に使うカードは東京ではイオカード、関西はJスルー、九州ではワイワイカードとバラバラで、共通名称がない、“自動改札券関西”とかで充分ではないか……要するに、いくら民営化したとはいえ、鉄道のような公共事業における名称は、旅行者のわかりやすさを第一義にするべきではないか、という論説で、私もまったく同意見である。日本人はおろか欧米人にも意味の通らぬジャパニーズイングリッシュの多用か、さもなくば80年代ごろのコピーライターブームの尻尾をまだ引きずっている“〜っ子”“〜くん”式の軽薄短小名称があふれている状況は、文化の成熟とは彼岸にあるものではないか。愛称というのは使用する側が親しみを込めてつけるもので、押しつけられるものではない。
もしブラックゴーストのような死の商人が、こういった“〜くん”的なネーミングセンスを持っていたら……と考えたらどうなるか。世界を壊滅させる最終殺人兵器に“もうどくくん”とか“溶けチャイます”とか“さばきちゃん”“滅ぼしダン”などという親しみやすいネーミングがしてあるってのはイヤであろう。中野貴雄テイストだ。冗談でなく、過度の親しみやすさの押しつけというのは、これと同じ滑稽さを程 度の差こそあれ持っているのである。
午前中に〆切を過ぎていたコアマガジン社の芸能人雑学本のコラム原稿を書き上げる。芸能人雑学ネタそのものは私の本領のところではないので、金成由美さんを紹介し、芸能ネタトリビアについてのコラムを、本のまとめ的な意味合いを込めて書いてほしいという注文の方に応じる。こういうものは何も考えずに筆を下ろしてもサッサと書き上げられる。天性の雑文書きなんだなあ、と自分で自分の小器用さに呆れるほど。12時前に編集部にメール。
腹の具合、朝食後多少回復したと思ったが、またそのうち悪くなる。昼はご飯を炊いて錬りウニで食べたが、食べたあと、ちょっと痛みと膨満感が激しくなる。しかし便通はない。これは本格的に胃潰瘍かな、と思う。1時、時間割で二見書房Yさんと打ち合わせ。打ち合わせというより、トリビア騒ぎで二見の書き下ろし本が遅れに遅れていることのお詫び。Yさん、知人の某文化人の例を挙げて、その人も長年サブカル的な知る人ぞ知る文化人だったのが、テレビ関係で名を売ったとたんに、メインカルチャーとして扱われるようになった、本人の資質や言っている内容は変わらないのに、扱いがそうなったとたんに、世間がそう発言を受け取るようになったわけで、大衆的知名度が薄さにつながるわけではないから、カラサワさんも安心して、今まで通 りにものを書いていればいい、と励ましてくれる。
雨、次第に繁し。3時半からお茶の水のアテネ・フランセで試写会なので傘をさして出かける。腹具合、ひどいというほどではないが不快。アテネ・フランセの最寄り駅は水道橋なので、中央線で一駅越したお茶の水まで行って、総武線に乗り換えてもどろうとしたのだが、車中、体調不良と、少し考え事をしていたせいか、お茶の水を乗り越し、神田まで行ってしまう。おやおやと思い、お茶の水まで戻る。そして総武線に乗り換えたのだが、反対方向に乗ってしまい、今度は秋葉原に持っていかれる。あわててまた乗り換えてやっと水道橋に着いたが、その時点ですでに3時半を過ぎてしまっていて、わざわざ出かけたのがパーとなる。気圧の乱れで、頭がさっぱり働いていないと見える。せっかく、試写の後のことを考えて、この後の講談社との打ち合わせをお茶の水駅前のルノアールに指定したのに、かえってそのおかげで、予定がなくなったのにお茶の水近辺に2時間半も縛りつけられることになってしまった。
せめても、と古書街をブラつき、ブックブラザー源喜堂で、戦前のドイツの性風俗本を数冊、買い込む。ドイツ語の本なんか読めはしないが、図版がどれも面白い。図版キャプションくらいなら、何とか薬学校時代のドイツ語でも歯が立つ。そこからお茶の水まで歩く。ルノアールは、出がけにインターネットで調べて来たのだが、お茶の水にはお茶の水店とお茶の水駅前店との二店舗がある。時間がまだだいぶあるのでもう十年も前に、草創期と学会の例会に使っていたお茶の水店に立ち寄ってみるが、すっかり様変わりしていて、内部も狭くなり、昔われわれが使っていた、多人数打ち合わせ用のテーブルなどもなくなっていた。あの頃は長時間、声の大きい連中ばかりがコーヒー一杯でねばり、しかも大声で笑ったりしていて、迷惑をかけたもの。
やがて時間が来たので、さらに本降りとなった雨の中、お茶の水駅前店の方へ。雨でクツは靴下まで濡れ、胃の調子は思わしくなく、手にした本はずっしり重くて袋の持ち手が指に食い込む。浜田病院の方まで行くが、ルノアールの看板を探していくうちに、つい浜田病院を通り越してガン検診センターの方まで行ってしまう。アレ? と気がついてもう一回戻ってよくよく確かめてみると何と! ルノアールのあった場所にはコンビニ(新鮮組)が入っているではないか。駅前店はツブレたか移転したのか。うーむ、ネットの情報を信頼しすぎてしまった。
雨はさらに降り続く。この中を立ちつくしたまま編集のYくんを待つのか、と思うと、胃がさらにキリキリと痛みだしてくる。呆然として歩き出したら、そこにYくんも、同じく呆然とした顔で立っていた。やはり、つぶれていることを知って、さてどうしたものか、と考えていたそうだ。やれ、何はともあれ雨の中で行き違うという、最悪の事態のみはまぬがれた。近くのスターバックスコーヒーで打ち合わせ。ウェブ現代連載中の『近くへ行きたい』を、単行本にまとめる話。年内に出したいというのは、やはり同社の『トリビアの泉』本と並べて営業できるから、であろう。なんにせよ原稿はもうあるものなので、あとはどう本の体裁を整えるか、になる。いろいろと内情ばなしを聞くが、ヒット本を出すというのもなかなか、苦労が耐えないことなのだなあ、と思うような話。あと、これはちょっと外では書けないような笑える話(ト リビアとは無関係だが)も聞く。
そこを出て、中央線で新宿まで。タクシーで渋谷のマンションに一旦帰り、本などを置き、濡れたズボンや靴下を一回全部取り替えて、それからまた出て、渋谷駅でK子と待ち合わせ、東横線で武蔵小杉まで行く。以前、行ってギンポの天ぷらを食べた元住吉の居酒屋・おれんち。今日は武蔵小杉から歩こう、という予定で、案内者のみなみさんとそこの改札で落ち合う。みなみさんは以前の職場をやめたあと、ずっと再就職活動をしてきたが、このたび名古屋の某有名企業に人事部員として就職が決定したとのこと。ちなみに入社時の面接試験は、外人と一緒にフルコースのディナーを、 もちろん英語で会話をしながら食べることだったとか。
最初に行ったときはずいぶんと遠いように感じたが、時間を計ってみると15分ほど。例によってベルギービール、それから私がこないだ飲んだのにつきあって飲んだら大変おいしかった、とみなみさんが言って、イギリスのスタウトを注文。サミュエルスミスのものと、ヤングのものとの二本を並べて持ってきてくれた。どちらもオートミールスタウトで、大変にコクがあって美味。ただし、胃の調子、気圧と、歩き疲れと、寒くて冷えたのとで最悪。鶏刺し、白レバ刺し、白子揚げ、鮎塩焼きなどのメ ニューも、ちょっと口をつけたくらいで止めておかねばならなかった。
遅れて、モモさんも来る。ここらでアルコールが回ってきたせいか、胃の具合も多少よくなる。抑え気味だった口も回り出す。今日のメインはクエ鍋である。水槽に泳いでいるクエを、大暴れするやつを押さえつけて薄切りにし、しゃぶしゃぶ風にして食べる。身は淡泊な甘味、皮はモチモチとした食感で、これは絶品。胃の具合が悪いのも忘れて、最後の雑炊まで食った。ここの店は寿司もやっているので、クエ握りも作ってもらう。四切れだけ残っていた切り身を握ってもらい、一人一個づつ。これがまた、大変に上品で結構。いい気分で外へ出る。駅までダベりながらさっきの道を逆に歩くが、酒が入っているというのは不思議なもので、あっと言う間についてしまうような気がする。運良く快速の最終が残っていたので、それに乗り込むことが出来、 帰り道はやけにスムーズ。中目黒で降りてタクシー。
メール等チェックして12時半、床につくが、深夜に、また胃の痛みが再発。しかも、どういうわけか、腕や足が頻繁に攣(つ)る。胃の痛みを抑えるために、体じゅうの筋肉が緊張しているせいかもしれない。ウトウトしかけていたら、奇妙な夢を見た。手足のやたら長い人体像があり、これが私で、私は自分の体を外側から客観的に眺めながら、痛みのモトとなる毒素を一箇所にまとめて、少しづつ、口の端の方からペッ、ペッと吐き出している。そんな夢を見て、ふと3時過ぎに目を覚ましたら、胃はともかく、足の攣りだけはすっかり治っていた。