25日
木曜日
えい、お黙示録もない
ハルマゲドンだの666だのってヨタばかりでよぉ。朝、7時半起床。4時ころに目が覚めたときは腹もおさまって、やれやれと安心していたのだが、まだ本調子ではないようだ。とにかく背中が板を突っ込んだように固い。朝食はきのうモモさんにいただいた温泉卵一個、それと二十世紀梨のみ。ゆうべは床の中で、このいきなりの痛みの原因をああでないかこうでないかと予想しているうちに、胃癌だとか肝硬変だとかという大層なものにまで想像がふくらみ、重苦しい気分になったが、朝になって冷静に考えてみると、どうも風邪なのではないか、という結論に達した。久しぶりに麻 黄附子細辛湯を三服いっぺんにのむ。
それでなんとか人心地がついてきた。メールチェック。ニフティ裏モノ会議室時代の常連で、現在ローマ在住の山辺きのこさんから日記の感想が届く。千歳でのポーチ紛失未遂事件で“イタリアでなくてよかった!”という感想に笑ったとのことで、まさにあちらでは日本人同士で観光地を歩いていたりすると、花に蝶が舞い寄ってくるように、スリが集まってくるという。すでに山辺さんはスリ見分けのベテランになっ ていて、日本から来た友達に
「ほらほら、あの子、スリだよ。見ててごらん」
と示してみせるのが、ちょっとした楽しみになっているという。私が安達瑶さんや談之助さん夫妻と旅行したときのローマは、スリはいないは置き引きはされないは、汽車は時間通りに来るはで、“イタリアも変わった”と話していたのだが、伝統が復活したようで喜ばしい。実際、最終の帰国日に空港でポータブルカメラを盗まれたときには、“これでイタリアを全て体験した!”という、奇妙な満足感にひたったもの である。その他、ミリオン出版Y氏に企画の補充部分などメール。
あと、K子が仕事場から西原理恵子のメール転送。“ちょっと離婚していたので、お礼が遅れました”に苦笑。大変だなあ、いろいろ。内容はこないだのと学会の件のお礼と、高須院長あれ以来と学会入会目指して大張り切りという件。もはや西原にも止められぬらしい。西原自身も“すごく面白かったので、次回もいっていいでしょう か”とのこと。ああいうノリが好きだとは意外である。
12時、東武ホテルロビーで筑摩書房Mさんと待ち合わせ、そこの喫茶店で、『トンデモ一行知識の逆襲』のゲラを手渡され、『トンデモ落語の世界』の件を話す。どうもトンデモ落語の方は文庫での出版となる模様。格付けとすれば、最初は部数は少なくても単行本、それから文庫落ち、の方がいいのだが、なにしろ古典のいまや牙城的な筑摩でいきなり新作、それもトンデモの本を出すとなれば、風当たりの強くないように、最初は文庫で出して、その評判を見て今度は単行本、という流れでいく方が スムーズかも知れない、とMさん言う。
今日の昼は腹にやさしいようにチャーリーハウスのトンミンにしようかな、と思っていたところ、Mさんから昼メシご一緒に、と誘われたので、喜んでチャーリーへ。具つきのものは重そうだし、かといってただのトンミンでは悲しいので、腐乳付きの“雪菜と筍トンミン”。Mくんはパイコー甘酢あんかけ定食だったが、そっちを見るとどうもうまそうに見えて困るのでなるたけ見ないようにする。腐乳が溶けたスープ が荒れた胃に優しく染み渡る。
Mくんにごちそうさまとお礼。帰宅して、サンマークの一行知識本の元原稿チェックをする。2時、時間割にてサンマーク出版Tさん。原稿を渡し、今後のスケジュール相談、ついでにオトナの事情の話でいくつかお願い。検討してくれるとのこと、ありがたし。あと雑談。オタク第一世代とよく言うが、オタクに限らず、我々の世代というのは、テレビが初めて家に入ったときのこととか、それが初めてカラーになったときのこと、円が自由相場制になったときのこと、マンガが市民権を得た当初のこととか、バラ色の未来像が壊れた瞬間、初めて裏本が出現したときの驚きとか、パソコンもネットや携帯電話や、ヘアヌードが出始めたときのこと、ロリコンの盛衰など、要するに今、常識となっているもののほとんどを、その出始めのときから見て、体験しているんですよね、と話す。“現在”を考えるときに、そもそもここに至った、そのルーツはどうなのか、最初にどうやってそれが出現し定着したのか、その筋道にこだわるタイプが多いのは、そういう体験を経ている故なのではないか。どうも、若い世代のカルチャー論の類を読んでいると、“米は最初から俵の中につまって米倉にあるもの、と信じ込んで書いている本”を読んでいるような感覚に陥ることが多いのである。飢饉になったときに真っ先に困るのはこういう人たちなのだが。
帰宅してかなりへばる。腹部、痛みは去ったが変な膨満感がある。朝、西原のメールに返事を出したら、さらなる返信。K子のもとに出したのは、“青くなっている”アドレスがかみさんのしか私(唐沢)のサイトになかったせいだ、とか。要はカット&ペーストでアドレスをメールのTo.欄に貼ることが出来ないらしい。何をやっとるんだと失笑しかけて、そうか、一人だと訊く相手がいないんだなあ、と気がつき、ちょっとしんみりしてしまった。いろいろと騒がしく、かなりへばっているらしいので、今度メシでもおごるから、と言っておく。
肩の凝り尋常でなくなる。タクシー飛び乗り、新宿のサウナ&マッサージ。途中、夜中の腹痛止めに薬局でブスコパンを買う。体重を測ってみたら、昨日一日で1キロ半も落ちていた。マッサージは新しい先生。かなり強めの指圧をしてくれるが、背中があまりに固いので驚いていた。何度か背筋が攣って、もだえ苦しむが、さすがに、一時間ほど揉んでもらって、かなりシコリがほぐれてくる。休息室で新聞読んでいたら、読売夕刊に大原まり子氏が自分の闘病体験記を書いていた。お大事に、とはこちらも現在病中のこととて同情するが、相変わらず文章は前後のつながりが朦朧としている悪文。僅々2000字程度のエッセイの中で言わんとしていることが三つくらいに分裂し、そのベクトルがてんでんばらばらで、冒頭と結末に論理がつながっていないのである。まあ、こういう文章を書くのは彼女に限ったことではないのだが、SF作家の文章というのは非常に論理性の高いものが多いので(奇想天外な事物をリアリティをもって扱うには、論理をあやつる術が必要不可欠)、それが欠如している人の文章というのはどうしても目立つのだ。病後は意識的に野菜を多く摂るようになり、 また古典小説に親しむようになったという。で、
「どちらも温故知新というのだろうか」
との感想を述べているが、野菜を多く食べることを“温故知新”と言うとは知らなかったですな。古典を読んだからといって、半可通で覚えた言葉をすぐ使おうとはしないことである。
雨、ときおりパラパラ。タクシーで渋谷神山町に行き、『花暦』でK子と夕食。生一杯、日本酒は控えめにして、ウーロン茶の方をがぶがぶ飲む。尾長鯛の刺身に生白魚の掻き揚げ、茄子焼きに土瓶蒸し。土瓶蒸しが濃厚なダシで結構。帰宅して早めに床につくが、夜中にやはり少し痛む。ひょっとして十二指腸潰瘍か。便意はあるのだが、ブスコパンのんでしまったので(かなり強力な止瀉剤)栓をされたような状態で腹がパンパン。