裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

3日

水曜日

法華経なんかはしなくても、あなたは私にもう夢中

 真宗の念仏唱えたら、門徒の子なんてイチコロよ♪ 朝、7時半起床、朝食は貝柱粥のパック、1000円の梨。かなりの腹下し。昨日はビール、日本酒、焼酎から、ブランデー梅酒まで飲んだから、そのせいだろう。止瀉剤のんでおく。久々に暑い。 残暑らしい残暑だが、気圧はやっぱり不安定。汗ばかり。

 今日こそは、と予定をしっかりと立てる。メールやりとりいくつか。立川流同人誌打ち上げの件、光文社文庫打ち合わせの件。アスペクトへの請求書の送付日を確認したら〆切が過ぎていた。あわててメールして、今週末まで延ばしてもらう。講談社原稿再々書き出し。こないだの中野でのアマゾン無宿鑑賞会、ネタにするつもりでデジカメを持っていき、集合場所などはしっかり写真に収めたものの、映画の凄まじさとその後の馬鹿話の楽しさで、すっかり頭からそのことが消え去って、後一枚も撮らずじまいになってしまっていたのが今思っても口惜しい。

 昼は参宮橋でノリラーメン。コンビニでいろいろ買い物して帰る。花菜であるが、途上で見たら工事が入っていて、店の内装を完全に撤去していた。改装か、あるいは別の店が入るのか? 帰宅してWeb現代書き継ぎ。2時半になんとか書き上げて、 編集Yくんにメール。やれやれである。

 3時、東武ホテルロビーにて待ち合わせ、ミリオン出版Hさん、書籍Yさん。少し前に中野のトラジで会ったときに“今度お願いしますよ”と頼んでおいた企画の打ち合わせ。出版についてはまず問題なく、話が進む。Yさんに、日記で『殺人現場を歩く』『東京路地裏〈懐〉食紀行』を取り上げたことの礼を述べられる。この日記にそれだけの宣伝効果を認めてくれているのは何か光栄な気分である。Hさんとは、共通の知人の話。最近、仕事があまりうまく回っていないようで、ときどきミリオンにも 顔を出すが、表情が次第にキツくなっていっているらしい。

 その知人というのは、ギャンブルとかの世界に生きている人である。こういう人の思考のパターンとして、自分に“ツキが回ってきた”という考えにとらわれやすい。何かいい目が見えると、これで自分の運勢は逆転し、全てがいい方へと向かい出す、今はただ、運が自分の方に回ってきていないんだ、という考え方である。同じような思考パターンの奴を何人か知っていて、一人は私の伯父だが、大事なビジネスの前に馬券を買っていたりした。それで自分のツキを試すのだそうである。確かに人生というものには、有卦に入る一時期がある。それは認める。しかし、そういう思考法の人というのは、往々にして、それが回ってくることを期待するあまり、日々の努力や情報収集をほとんどしなくなってしまう。ただツキを待つだけになるのだ。自分がツイてるというのは後からふりかえって、ああ、あの時はと思うものであって、まだ来ていないツキを期待するようになると、人間はどんどんダメな方へと転げ落ちていく。 彼(Hさんと共通の知人)にはそうはなってほしくないのだが。

 スケジュール確認して別れ、その足で青山まで行って買い物。帰宅して、二、三の連絡をすませ、昨日キャンセルしたマッサージに行く。サウナに入って、しばらく休息室で窓の外の光景を見ていたら、凄まじい稲妻の落ちるのを見る。後で新聞を見た ら、国会議事堂に落ちて、外壁のタイルが剥離したりしたらしい。

 CNNをいつものように見る。イラクの中南部にポーランド軍が入り、アメリカ軍に協力して治安維持と復興の活動に入るらしい。多国籍治安軍の指揮をとるポーランド軍将軍の、東欧訛りいっぱいの英語での演説を聞く。ポーランドにそんな海外に軍を派遣するだけでなく、指揮するだけの力があるとは正直思っていなかった。来年のEU加盟を前に、石油利権収得や景気回復などを、他のヨーロッパ諸国へ先駆けてこの軍事派遣で先取権を確保しよう、というハラであるらしい。したたかな“国際貢献戦略”であるかな、と感嘆。もともと、同じヨーロッパの同朋であるドイツやロシアに蹂躙されてきた歴史的記憶を持つポーランドにとり、アメリカ寄り政策こそが最も信頼できる道、なのだろう。国際貢献というのは、自国の兵を他国に先駆けて危険な地域に行かせることである。軍事を司るということは、自国の存亡を賭けて、若者に死地へおもむく命令を下す責務を肩に負う、ということだ。一国の首長になる者は、その決断が出来る者でなくてはいけない。そして、改めて言うまでもないが、出兵も国際協力も全てが、これ外交戦略のうちなのである。親米とはアメリカ人を好きになることではない、アメリカと戦略的にくっついて自国の発展をはかることである。逆に言えばアメリカを利用することである。それをやれ魂を売り渡すだの何だのと短絡視して、感情的な反米嫌米をブチ上げることで一時の爽快をむさぼる奴らが、結果的に国をあやまるのである。なんであってもとにかく戦争はイヤだ、戦争反対とか言って騒いでいる奴らは論外。

 マッサージ、今日は童顔の、いや実際若いお兄さんの先生。揉んでもらっている間も雷頻々。先生、“ボク、雷が鳴って雨が降り出すまでの、この時間が好きなんですよ”と言う。“空気中のイオンバランスが一気に変わって、バリバリと周囲が帯電している緊張感があって、何かこう体が活性化するんです”と。“花火とか太鼓とかも好きじゃない?”と訊くと、大好きだと答える。皮膚感覚が鋭くて、皮膚の感じ取る情報(気圧、振動、帯電など)ですぐアドレナリンが放出されるのだろう。アフリカ旅行をして、原住民の祭で打ちならされる太鼓の音を聴いているうちに忘我の状態に なり、“気がついたら原住民に混じって踊ってました”とのこと。

 雨も凄まじかったらしいが、マッサージ終えて外に出るときにはすでにすっかり止んでおり、一切濡れたりしなかった。新宿西口に出ると、その雷雨で電車が止まるという騒ぎ。小田急地下で買い物し、タクシーで帰宅する。夕食の準備。里芋と蓮の煮物、粟麩のチンジャオ風炒め、スズキの冷やし鉢。サミュエルスミスのオートミールスタウトを買ってきて(こないだ元住吉で飲んだスタウトがおいしかったので)試み てみる。なかなか。

 食べながら『トリビアの泉』。裏情報によればフジテレビでは“あの番組はオレが通した”“あの番組の元企画を出したのはオレ”という人物が続出しているそうである。呵々。見終わったとたん、電話が鳴る。『創』のS編集長から。“あの番組、カラサワさん関わっているの?”と。家でテレビ見ていて、テロップ見て驚いて電話してきたのであろう。対談企画をやろうと思っていたので是非、とのこと。文藝春秋と あわせ、これがらみでの露出が今後多くなりそう。

 そのあとビデオで『死体を売る男』。原題は『ザ・ボディ・スナッチャー』。あの名作SF映画と混同するようなタイトルである(あっちの方は『インべーション・オブ・ザ・ボディ・スナッチャーズ』)が、こちらの方は死体(ボディ)を本当に墓場から強奪(スナッチ)してくるんだから、こっちの方が本義である。ボリス・カーロフ主演で、共演がドラキュラのベラ・ルゴシとなっているが、ルゴシは顔見せ程度にちょいと出てくるだけで、本当の主役はヘンリー・ダニエル(『チャップリンの独裁者』のガービッジ)。19世紀、医学者が墓場からの盗掘屋に研究用の死体を調達させていたという話では、世界殺人史に名を残すバークとヘアのコンビが有名で、彼らから死体を買っていたノックス医師をピーター・カッシングが演じた『死体解剖記』という映画もあったが、この映画のヘンリー・ダニエル演じる医師は、ノックスの弟子だったという設定で、昔は自分も師匠のために死体盗掘をやっており、それがバレそうになったとき、身代わりに罪をかぶってもらったカーロフに、医師として名声を博した今もなおつきまとわれ、金をせびられている。カーロフが、粘着気質のストーカーで、成功者となった医師の運命を自分が握っているという快感だけで、みじめな人生に生き甲斐を抱いている(だから、医師から一生田舎で楽に暮らせるだけの金をやるから自分から離れてくれと頼まれても応じない)という、屈折したキャラクターを演じて見事であった。ラストもいかにも19世紀怪談という感じで好み。監督はなんとロバート・ワイズであった。本当に何でも撮る人だね。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa