裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

19日

金曜日

わが谷はミドリ・サツキ

 かまきり夫人が多くてなあ。朝、雨の音で眼が覚める。さすがに昨日の飲み過ぎで胃がもたれている感じ。それでも朝食はデザートの二十世紀までしっかり食べる。札幌三越の500円の。シャリシャリしていてうまい。もっとも、丸ごとを切ってすぐ食べるのでなく、サク切りにしてから冷蔵庫でさらに冷やすせいかもしれない。食後『こころ』を見ていたら(わざとくさい脚本だなあ、しかし)、いきなりテレビ画面の映りが悪くなる。何もさわっていないので、雨か風のせいで屋上のアンテナが故障したんだろうということに。本当に、徐々に家がその機能を止めていく。

 メール、パスワードを平塚くんから送ってもらい、なんとか読めるようになる。整理魔のK子は家中の箪笥や机の引き出しの中身をあけて、いるもの、いらないもののより分けをはじめた。もっとも、ほとんどいらないものばかりである。死んだ親父というのが取っておき魔で、しかも戦中派のクセで、旅行のたびにホテルの備品のボールペンとか靴磨きセットだとかを後生大事に持って帰ってきては小動物のように、引 きだしの中にそれらを貯め込んでいた。これらを大量処分する。

 それらに混じって、小学生のときの私の通信簿などが出てきた。見ると、小学校の卒業時の成績は、国語・算数・理科・社会の主要四教科が全て5(もちろん、5段階でである)であった。担任コメントも“大変な才能を持っていると信じています”とベタ褒めである。はあ、自分はこんな優等生だったか? といぶかるばかり。まあ、卒業時ということで下駄を大幅に履かせてくれたんだろうが。ただし、細目評価で、理科の“科学的な知識・理解”が三段階(よい・ふつう・おとる)で三年の間ずっと “おとる”になっているのが不思議だが、これは今に変わらず昔から、
「必要でないことは何でも知っているが、必要なことは覚えようとしない」
 というひねくれた指向を持っていたせいであろう。これが高じて、この時の成績をピークに、中学、高校と、私は成績のいい教科と悪い教科の差がはなはだしい、中学 の担任に言わせると“摩訶不思議な”生徒になっていくのである。

 母は集まりがあって出かける。昼はゆうべの残りご飯に、塩っ辛い塩ジャケの焼いたの、キンピラゴボウ、卵焼き、大根の味噌汁。甘い卵焼きが懐かしい。まず、東京での暮らしでは絶対に口にしないオカズである。明日のための荷造りをはじめる。やはり、いろいろ荷物は増える。1時、じゃんくまうすさんが迎えに来てくれて、引っ越したお店を訊ねる。二軒連なった貸店舗の一軒ぶんを借りている、ように見えて、実は中でつながっており、シャッターの降りている隣の部分も、倉庫として使っているのである。裏側にも荷物倉庫のスペースがあり、自分の店に付属して、こんなゆったりとした収納スペースを持てるというのは、東京などでは考えられないゼイタクであろう。倉庫見せてもらい、古い雑誌や付録類など何冊かいただく。K子は奥さんにデジカメで撮影したうちの家具を見せている。二階廊下の棚やスチール本棚は、じゃんくさんがゆうべ、“欲しい”と言ったので差し上げることにしたが、さらに親父の書斎のソファや机なども、奥さんに持っていってもらうということになる。業者に金 払って引き取ってもらうよりよほどいい。

 今日は2時から(これが今回の帰京の最大目的)クルー編集部と打ち合わせなのだが、こことの打ち合わせ場所を書いたメモを東京に忘れてきて、札幌ですぐに電話して確認してメモをとったのだが、そのメモを家に忘れて出てきたという二重マヌケなありさま。じゃんくさんのパソコンで検索してもらって電話番号を調べ、電話して住 所を確認。タクシーで札幌東急ハンズ裏の編集部へ。

 編集部で連載担当の編集者Mさん、それから単行本関連で北海道アルバイト情報社のTさんと。連載が好評な件と、早めに単行本をまとめたいという件の話。まだここは単行本出版未経験なので、いろいろとこんなパターン、あんなパターンと教示するという展開になる。印税の件、部数の件、取次の件なども。何かMさんは生徒のように熱心にメモなどをとっていた。どういう結果が出るかはわからないが、大変に楽しい打ち合わせであった。

 3時半に終わり、雨の中を出る。さっきからやたら喉が乾くのは、編集部で長講したことと、昼に食べた塩ジャケのせいであろう。雨の降る中を天然水飲みながら、地下鉄大通駅まで。そこから南平岸へ行く。母と待ち合わせて、父の墓参りである。南平岸駅ホームでしばらく待つ。ここ、以前は“霊園前”駅であった。駅名をマンション業者が嫌って市に陳情したとかなんとかで、変わってしまった。変えるなら変える で、もう少し個性のある名にすればいいものを。

 母と、駅前のスーパーで仏花と夕飯の材料を買い、雨が激しくなってきたので、タクシーを拾い、霊園で墓参りする間待っていてもらい、北32条まで送ってもらうことにする。運転手さん、“いやあ、長距離乗ってもらってラッキーだ”と喜ぶこと。ここの霊園での唐沢家の墓は5期の1という場所なのだが、もう40年以上通っていてまだ覚えない。あっちだこっちだと車を誘導して、やっとたどりつく。雨の中なので、花を供えて拝むだけで、掃除もせず、水も手向けず、線香もロウソクもなしという簡便な墓参りになり、さっさとタクシーに戻る。“いや、早い早い”とつぶやくと運転手さん、笑っていた。帰り道はラーメン談義になり、実家の近く(北栄中の近所 らしい)に、うまい旭川ラーメンの店がある、と教わる。

 夕飯、6時半から。今日は母がニューヨークで作って好評だったという(元・ナンビョーサイトのにょろにょろさんが例の停電騒ぎで食べ損ねた)アサリと水菜・レタスの鍋(まず、絶品)。それにウナギとカボチャ・シイタケの煮物、ミニステーキの余ったの、あと唐沢家風イクラ飯(飯を酢飯にするだけだが)。食べつつ、この家のこと、東京での暮らしのこと、家具などの整理のこと、あのことこのことと話がはずみ、酒もまたワインにビール、焼酎と進み、だんだんノッてきて、“歌うたいに行こう!”となり(なにしろ食べはじめたのが早かったので、この時点でまだ8時半)、身支度を整えてタクシーですすきのまで。母の同級生がやっている、スナック『花びん』。

 懐メロ大会となり、K子が大ノリで『東京の屋根の下』『銀座カンカン娘』『おんなの朝』などをフリ付きで歌い、母もまたフリ付きで『テネシー・ワルツ』などを熱唱。異様な雰囲気となる。私は『うちの女房にゃヒゲがある』『三味線ブギ』など。あと、母のリクエストで定番の『いとしのエリー』。ウルフルズの『借金大王』を試しに歌ってみたら、やはり母に大ウケ。12時まで雑談と歌で。この店もやはり不景気とママの年齢(70歳)で、今年いっぱいで閉店。K子がそれを知らずに“またお正月に来まーす”と言ったら、大変寂しそうな顔をしていたのがちょっと哀れ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa