裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

日曜日

二人の恋はキモかった

 神様だけがご存じよ……って、モトネタなどもう誰も知らんて。朝、7時45分起床。また東京での日常が始まる。と、言っても日曜日だからそれほどアタフタはしないですむ。朝食、貝柱入りお粥、日本橋三越の二十世紀。すでにどこの二十世紀梨も熟れて甘く、一般に言えばいまが旬なんだろうが、K子は“甘すぎる、味が落ちた” と不満の様子。

 河原崎長一郎氏死去の報が新聞に。64歳。脳梗塞で倒れたと聞いたのはもう何年前であったか、まだそのときは50代であったはず。その後も糖尿病の合併症などで半身不随の状態だったらしい。惜しい、とはまさにこのような人に言える言葉だ。倒れる寸前はまさに日本で一番存在感のある性格俳優の一人だった。大ファン、と言っていい人だったと思う。多少回りくどい言い方だが、何故かというと、とにかくこの人、サスペンスものなどで情けない被害者の役をやらせるともう抜群で、いわゆる普通の“カッコいいからファンになる”という心理とはまったく違っていたから、である。タイトルも何も忘れてしまったが、その類の一本で、事業に失敗し、自分が死んでその保険金を家族のために残そうとする中小企業の社長の役を演じていた。自殺では保険金が下りないので、自分が被害者になる偽装殺人の準備を思い詰めた表情で、しかし淡々と進め、アリバイ作りもきちんと済ませた後、妻にロープを渡し、これで自分の首を絞めろと命ずる。妻が、“いやっ……できない……”と拒否すると、“馬鹿ッ。これまでのことを思い出せッ。……オレのために、お前たちがどんなに悲惨な目にあってきたかを……”と怒鳴る。涙にくれながら妻は夫の首にロープを回し、必死の思いで絞めるが、絞めているうち本当に、うらみの表情がその目に浮かび、その手に力がこもり、夫のぐうーっという断末魔の声が……という、こんな役を演じて、それが魅力的だったんだから、不思議な人気俳優だった。こういうマゾヒスティックな役が好きなのかしらん、と思ったものだ。

 知的な風貌で、その気になれば知性派悪役も充分に務まる人であり、その代表作がNHKで放映された柴俊夫主演の『新・坊ちゃん』における赤シャツだったろう。自分の出世のために、軍需産業に関係する地元の有力者(伊藤雄之助)に接近、その娘であるマドンナ(結城しのぶ)を婚約者うらなりから横取りし、校長のたぬき(三國一朗)も追い落として、卒業式で教え子を戦場に送り出す演説を堂々と行う、という冷酷な権力崇拝者の教頭を見事に演じていた。似たようなタイプの俳優に米倉斉加年がいる(彼も当然、赤シャツを演じたことがある)が、米倉がまず、弱者の役は演じないのに対し、河原崎長一郎はその両極端を演じることの出来る分、幅の広い役者であった。こういう情けない役が定着したのはニュー東映の最高傑作、いや、人によっては日本時代劇の最高傑作に挙げる一本である倉田“赤影”準二監督の『十兵衛暗殺剣』における、柳生の一門・城所早苗役からだったかも知れない。役名からして早苗などと女々しいが、将軍家指南役の座を奪おうと柳生但馬守の道場を近江柳生の一党幕屋大休(大友柳太朗)の一団が襲ったとき、一人だけ逃げて助かり、そのために一門から臆病者よばわりされて大いに傷つき、汚名返上のために、大友柳太朗を追う十兵衛(近衛十四郎)の一行に加わろうと後から追いかけ、そこで出会った大友柳太朗に必死に戦いをいどむが、子供扱いされて、ほとんどなぶり殺しに殺されてしまう。凄く強い奴がさらに強い奴に次々殺されていく、というこの映画の中で、唯一“徹底して(腕も心も)弱い”役柄であり、それだけに見ていたこっちに極めて強烈な印象を与えた。この映画が1963年公開であり、河原崎長一郎23歳。その後の役柄を決めたかも知れない。翌年公開の『幕末残酷物語』では沖田総司役という、“強い”役もやっているのに、そっちでは全然印象が薄かったのである。

 岡田さんとの16日の対談原稿がテープ起こしで上がってきているのでそれに手を入れる。昼はサムラートで海老とイカのカレー。ここでの魔味はチキンバターカレーなのだが、昨日、塩バターラーメンで腹具合をおかしくしているので、バターは控える。カウンターで隣りに座った若い三人組、先輩が“ここのチキンバターカレーはうまいから”と他の二人を連れてきたらしく、後輩たち、“これ、クセになるッス”と 感動していた。

 3時半過ぎにやっと原稿チェック入れてメール。植木不等式から、Web現代のネタになる場所を推薦してくれるメールいただく。いや、有り難い。それで思い出したが講談社との単行本打ち合わせの日時が他のものとバッティング。さらに二見書房との打ち合わせがアスペクトの村崎さんとの対談にバッティング。打ち合わせがいかにこのごろ多くなっているかということである。それぞれにメールして調整してもらう ことをお願い。

 雨、一日中繁し。秋祭りで、この最中をピーヒャラドンドンと笛太鼓の音が響くもあわれ。ただし、ここらは町中のこととて御輿を人がかつぐでなく、トラックの荷台に乗せて通るだけなのであまり風情がない。とにかく肌寒い。長袖はまだ着ないが、部屋着の短パンを長いものに変える。一気に秋から冬になりそうな具合。

 8時、タクシーで下北沢。こないだ行ってK子に好評だったすし好にまた行く。キミさんの話だと、ここ、これだけ広い店内が満席になることもあるそうだが、今日もこないだと同じく、客は私たちの他一組だけで、やがてその一組が出て、私たちだけになる。ただし、ちょっと待っていると次から次へと入ってくるのがすがわらと違うところ。白身(カレイとソイ)、コハダ、甘エビ、煮はまなど。イワシの叩きが甘くてうまい。“虎の子のキミ子さんがここじゃ顔なんだって?”と訊くと、職人さんたち笑って、“ああ、いつもメニューにないもの頼まれるんですよ”とのこと。その隠しメニューであるねぎま焼きを頼んでみた。なるほどなかなか。

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