裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

20日

土曜日

そのときタクシーが動いた

 松平アナに蹴りを入れられたときか? ちなみに、昔はタクシー(TAXI)のことをタキシーとよんだ。これだとなおシャレっぽくなる。朝、7時半起床。さすがに昨日は飲み過ぎて、胃が重い。腹も少々しぶり気味である。窓外は昨日の雨がウソのようなさわやかな秋晴れ。この空の明るさは北海道ならではのものだろう。子供の頃は毎朝がこんな感じだった。東京に移り住み、空と共に心も汚れた。まあ、モノカキなんかは汚れた心でいないと食べていけない商売であるが。

 テレビ、相変わらず映りが悪い。ニュースで目黒のさんま祭の模様が報じられたがその前フリに一瞬、“さんまは目黒に限る”という落語のオチ部分が流れる。それがなんと快楽亭ブラ房だった。この一言のために絵を撮りに行ったのか。朝食はスクランブルド・エッグにベーコン、胚芽パン。東京に送る宅急便、結局今回も段ボール四箱という大荷物になる。この滞在中、始末する本を選り分けて二階の廊下に並べていたが結局、小段ボール一箱分を東京に運び、あとは全部古書店さんに捨てるなり売るなりまかすことにした。東京に持っていくのは、長谷川卓也氏の教えにならって、駄本ばかり。駄本ほど、あとから手に入れようと思っても入れられないのである。

 11時に家を出て、タクシーで札幌駅。快速電車で千歳まで。透明な空気の中、地平線がどこまでも広がる、北海道の雄大な眺望を楽しむが、こういうだだっぴろいところに文化とかいうものは根付かないだろうな、とも思う。文化というのは入り組んだ、見通しのきかない、せせこましい地域に大勢の人が寄り集まってきて興るもので ある。地勢ばかりに言えることじゃあない。

 千歳空港で、青龍のラーメン。これは恒例みたいなもの。食べたあと、K子は喫茶店でモバイルをするといい、私はオミヤゲ品などを買いに売店コーナーへ。物色しているうちに、さっきのラーメンのバタが弱った腹にこたえたか、またぞろ下腹が苦しくなりだしたので、急いでトイレに入る。用をすませて、ふう、と時計を見ると、案外物色に時間がかかり、K子との待ち合わせ時間も迫っている。外へ出て、急いで土産物屋の海産物コーナーへ。イクラの瓶詰めを買っているうちに、ふっと気がついて 蒼白になる。トイレの中に、ウエストポーチを忘れてきた。

 便器に腰掛けるときに、邪魔だからと外して、脇のでっぱりのところにひっかけておいたのだが、時間に気を取られて、すっかり意識の中から外れたまま外へ飛び出していたのだった。チケットは入れていないが、携帯、マンション等のキー、それに十万ほどの現金を納めた札入れが入っている。大急ぎでとって返して、まだそこにあるかどうかを確かめたかったが、ちょうど代金を支払って、領収書を書いている最中。店員が宛名の字にとまどい、なかなか捗らない。研究所の研の字くらい書けんのか、それでも日本人かッ、と怒鳴りつけたくなるのを抑え、ギュッ、と胃の腑が縮まる思いで、やっと“これでよかったですかあ?”とノンキに示してきた領収書をひったくるように受け取り、トイレにとって返すが、また意地悪なことに使用中。しかもこの人がいつまで経っても出てこない。隣のトイレはもう二人も入れ替わっているというのに。ええい、このフンづまりがッ、といらつき(ご本人は知らぬことであったろうが内心でこのように理不尽なののしり方をし、まことに相済まぬことであった)、ドアをノックし、ポーチの有無を確認したが、無情にも“ないですねえ”という返事。

 急いで問い合わせようと思って案内係をさがすが、そういうときにはなかなか見つからないものである。警備員がいたので案内コーナーの場所を訊くが、教えてくれた方へいくら歩いてもそれがない。あせっていたので聞き違えたのかもしれないが、そういうときには世間中が悪意を持って、自分にウソを教えた、というような気になるものである。まあ、考えてみればそれほど致命的なもの(カードとか証明書などのたぐい)は入ってないのだが、ここでポーチをなくした、などとK子になんと伝えたらいいのだ、嗚呼、と、人別帖を甲賀弾正にスリ取られた伊賀の夜叉丸のような心持に なったことであった(ここでも『バジリスク』が出るか)。

 だがしかし、天我を見捨てたまわず、案内コーナーをもう一度訊ねたANAの地上勤務のお姉ちゃんが、“では係に問い合わせてみましょう”と、ANAの受付へと案内してくれた。で、問い合わせてみると、該当のものらしきポーチが届いているという。形状や中のもののチェックで、まず間違いないと思われますので、いま届けに参ります、という返事。やれ、助かった! と天井を仰いだことであった。やがて届けられたポーチはまさしく私のもの、嗚呼、ここがイタリアでなくてよかった、日本人の公衆道徳いまだ地に落ちず、と安堵のため息をもらして、ANAのお姉ちゃんと、遺失物係のお姉ちゃんの二人の美人に(もう、大美人に見えたことであった)お礼を言って、K子の待つ喫茶店に戻り、なにくわぬ顔で搭乗手続きをした。無事、機内の 人になってホウッ、と大きなため息ひとつ。

 飛行機、離陸が遅れる。なんでも、東京にかなり大きめの地震があったらしい。ちと驚く。と学会MLでも話題になっていたが、八ヶ岳南麓天文台(地震前兆電離層観測研究センター)長の串田嘉男氏が、東京に近く大地震が来る、と予知情報を発表していたからである。つくづく、神様は意地悪だなあ、と思う。こういう予言のときの地震というのは、その近辺の日時に来ることは来ても、決して“予言通りの日時にはこない”というジンクスがある。今回の地震予言も、
「今月16〜17日を中心とした前後2日の間に、南関東圏でM7・2前後の地震が起きる可能性がある」
 というのがキモだったが、実際に来たのは17日の“3日後”の20日。あと1日早ければ、と串田氏とその信奉者たちは地団駄を踏んだろう(後でデータを見ると、震源は“北”関東で、マグニチュードは5・5と、こちらの方でも外れだった)。ただし、それにしても微妙な差、ではある。この誤差があるから“予言は外れた”という信じない派と、誤差はあっても地震が起きたことは起きたのだから“当たった”と いう、信じる派の争いは、かくて永遠に続く。

 結局、45分ほどの遅れで羽田着。モノレールで浜松町まで。途中で乗ってきて、隣の席に座った中年の女性が、無表情のまま、座ったとたんに猛烈なイキオイで顔面マッサージをはじめ、ナニゴトカとこちらの肝を抜く。マッサージが終わると、パズル雑誌を取り出して、今度は一心不乱に(外れたページが落ちたのも気づかずに)ク ロスワードをはじめた。

 K子は、今日まで日本橋の三越で鳥取物産フェアがあり、二十世紀を売っているから、と(そこまでこだわるか)、浜松町から山手線新橋乗り換えで銀座線日本橋、というルートをとる。こちらは仕事関係もあり、タクシーで真っ直ぐに渋谷へ。車中、初老の運転手さんが何の前フリもなく“やはり朝青龍の優勝ですかねえ”と声をかけてきた。この世代までだろうな、相撲の話題が国民全ての共通項になると思っているのは。まあ、ソツなくしばらく相撲談義。札幌で数日、相撲中継を見ていたので話に穴はあけずに済んだが、本当に最近、相撲は見なくなった。札幌で、朝青龍と同郷な のか、朝赤龍という力士がいることを初めて知って仰天したくらいである。

 帰宅、手紙類、荷物類チェック。さしたる重大事はなし。漏水もまだ続いていたがポタポタの状態のまま。溜まっていた日記、とりあえず帰省の前日の分を書き上げてアップする。電話連絡数件。神田陽司の真打披露の会、K子は用事があるというのでベギラマを誘ったのだが、これはフラれる。昼のポーチ紛失騒動で軽い胃潰瘍でも出 来たものか、ずっと胃がシクシクしていたが、この時点ですっかり回復。

 8時、下北沢『虎の子』。その騒動のさなかに買った塩ホルモンと味噌ホルモンをオミヤゲにする。秋鮭のホイル焼き、牛スジの土手焼き、蛸と枝豆の梅肉和えなどでお酒。キミさんと地震の話(さすがにかなり長く揺れが続き、怖かったそうである)などをしている最中に、萩原さんからキミさんの携帯にメール。何かと思えば、さっき私がアップした17日の日記の、すし好に行ったくだりを送ってきたのであった。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa