23日
火曜日
タフガイあって一利なし
回数こなすだけでしつっこいしさあ、乱暴だしさあ、テクないしさあ。朝、7時半起床。雲が濃く、どんよりとした朝。なにか、台風と一緒に残暑が去り、秋を飛び越して初冬になってしまった感じ。朝食、ミニアスパラガスとハツカダイコン。日記のアップがなかなか進まない。書くことが毎日こんなにあるものかね、普通。
本日、神田陽司の真打昇進披露パーティ。陽司さんからはスピーチも頼まれて快諾しているのだが、てっきり夕方の4時くらいからの開催だと思い、昼飯でも食いに出ようかと思って、招待状をもう一度よく見たら2時から、と書いてあった。危ないところだった。しかし、ならばベギラマ(夜に用があるということでパスだった)をエ スコートできたんだが。
風呂入り、雑用すませて時間を見ると、もう1時過ぎ。あわてて服を着替え、タクシー飛ばして大手町パレスホテル。ご祝儀の袋も買ってないので、地下の売店で購入する。このホテル、適度に古い作りが昭和を感じさせて結構。2階ホールで受付をする。席にピーター・クックみたいな顔をして、朝日新聞社のF氏が座っていた。相変わらず不景気な顔である。名刺を貰ったら週刊朝日にいま、いるということ。朝日に営業に行こうかと思っていたがちと、考え直す。他の同席者は水民玉蘭さん、それと傑作『粗忽拳銃』の竹内真さんという顔ぶれ。他の席を見渡すとこのあいだ『花は志ん朝』を送ってくださった大友浩さん(後から挨拶に来てくれた)、スポニチの花井伸夫氏、それからちょっと遅れて、例によって派手な色の服を来た談之助さんなど。
なんと真打二人(陽司、陽之助改メ鯉風)は師匠二人(紅、松鯉)と共に“威風堂々”にあわせて入場。芸人のパーティも変わったな、という感じ。松鯉(この人は何をしゃべっても見事に講釈口調)が、“手前(松鯉の一人称)の真打披露パーティは福富太郎さんが師匠の山陽(二代目)と懇意だったので、福富さんの経営するキャバレー『ハリウッド』でやった。客は喜んだが、合間にストリップが入ったのには親が泣いたものだ……”という話に笑う。……しかし、真打披露だからお目出度い話ばかりで行くかと思ったら、ノッケから弟子の鯉風に対する苦言。次の紅も陽司への苦言を述べる。講釈の世界ってこんなにシビアなのか。続いての祝辞の筆頭である本牧亭の女将の挨拶は、“席亭を代表しまして……席亭と申しましてもうち一軒でございますが”という、内田春菊の結婚式の新郎の父親の挨拶みたいに始まり、“2時からのパーティということで、お腹が空いていらっしゃる方も大勢いらっしゃると思いますので、お祝いの言葉も簡単にさせていただきます……鯉風さん、陽司さん、本日はおめでとうございます”……で、本当に簡単に終わった。これには意表をつかれた。
その後、鏡開きや相撲甚句といういかにも芸人のパーティらしいものもあり、かつお祝いスピーチの面子が、鯉風はともかく陽司のは全員作家という芸人らしからぬ面もあり、豪華だかなんだかよくわからないが、ともあれバラエティに富んだ、いい感じのパーティだったのではないか、と思う。最初はちょっと緊張して行ったのだが、席の両サイドの水民さん、竹内さんとも話がはずんで、大変リラックスできた。竹内さんはトンデモ本ファンでもあるらしく、“著者の意識していないトンデモと、意識したトンデモの違いはどういうところにあるか”などとマニアックなことを訊いてきて、少し定義みたいなものを(彼は志加吾の友人でトンデモ落語の会も常連、陽司と私の二人会にも来てくれていたそうである)。
陽司サイドのスピーチの“作家”メンバーは、『ドラゴンボールZ』の脚本家・小山高生氏を筆頭に、なんと山田太一氏、私、劇作家の横内謙介氏という顔ぶれ。見る人が見れば豪華なんだろうが、芸人のパーティでこの顔ぶれというのはユニーク。横内氏の顔を見るのは初めて(小谷野敦の本でお名前を知った、などというと気を悪くされるだろうが)。顔も体型も蓮池薫さんに似ているなと思った、というとまた気を悪くされるか? しかし、さすがにみなさん、話術が達者。モノカキの域を脱しているのは、声優、俳優、舞台役者などとのつきあいがある職種だからだろう。きちんと会場の笑いをとっているのは見事。そして、全員が陽司さんへの“注文”を述べる。才能があることは万人が認めるが、それだけに、それを表現する“芸”の域をもっと高めて欲しい、という欲求が出るのだろう。私の用意したスピーチもソレ系であったので、こりゃ逆に大リスペクトの方がよかったナ、と思ったが用意してきたネタは仕方ない。それで通す。思いつきで、師匠の紅さんとの初出会い(小野栄一とのショー の共演)のこともちょっと話した。
私のスピーチの概要(紅の件は略す)。
「陽司さんとの出会いは忘れもしない1999年、新宿ロフトプラスワンにおいて行われた、と学会による『ノストラダムス論争最終決着!』というイベントでありました。このイベントは酔っぱらった占い師のジィーニアス沢木などがなぐりこんできてわけのわからん展開になってましたが、それに加えて、山本弘がしゃべっている最中に、客席からすっくと立ち上がった人がおりまして、彼が非常によく通る声で、“山本さんに申し上げたい! 山本さんはこの本(洋泉社『トンデモノストラダムス本の世界』)の中で、五島勉氏の文章を“まさしく「講釈師、見てきたような嘘を言い」と言うやつだ」と書かれている。《私は講釈師ですが》、あなたは、日本の伝統芸である講釈を、トンデモ本の著者と一緒くたにしておられる!”と指をつきつけて言い放ったんですね。私はそのとき楽屋にいたんですが、客席も楽屋も、こりゃ、またトンデモな奴が飛び出してきたな、と騒然の状態でありました。これが、神田陽司さんだったんです。彼は、鋭く指を山本会長につきつけて、“トンデモ本と、講釈を一緒にするとは……どうも、ありがとうございます! 講釈のいい宣伝になりました!”とやらかした。緊張させるだけさせといて、見事なオチの付け方で、……壇上の会長たちも、楽屋も、客席も、もう大爆笑、大拍手でしたね。で、この一件以来、神田陽司の名はと学会じゅうに広まった……というわけにはまいりませんで、何故かというと、陽司さんはそのあまりの受け方にアガってしまわれまして、自分の名前を名乗らずに帰ってしまったんです。……このあたりに、神田陽司という人の人柄というか、芸風の特質が非常によく現れておりますね。発想としてのアイデアがまず、いい。舞台度胸もある。人も惹きつけられる。しかし、“ツメが甘い!”と。このツメの部分まできちんとフォローできるようになれば、神田陽司という人は、必ずや講談界の明日を背負って立つ人材になれると信じております。一層のご精進を、とファンとして注文をつけさせていただいて、お祝いの言葉に代えたいと思います。おめでとうござ いました」
会場にいた読者から、サインと写真撮影を何度も求められる。竹内さんから“凄まじく写真慣れしていますねえ”と感心された。まあ、色モノという自覚があるから。談之助さんは落語家たちの席だったが、しょっちゅうこちらに来て話す。同席の人で彼を知らない人が、露骨にその話の内容や服装に興味津々、というあたりが面白い。
「講談の方はちゃんと“このままじゃ講談がなくなる”という危機感持ってますからね。落語よりひょっとして長持ちするかもしれない」
というような話。“今日はこれからカミさんの両親との食事会なんで”と途中で退席したが、“オイ、その服でいくのか”と訊きたくなった。
4時半、お開き。花井さんが“小野さん、また鬱なんだって?”と話しかけてきたので、“まあ、少し鬱の方がこっちは安心しますが”と言うと、大笑して“ま、そらそうだ”と。肌寒い空模様の中、引き出物を持って帰宅。少し横になって休む。9時に下北沢『虎の子』。会場で貰った花をキミさんに。K子、萩原さんと雑談しつつ酒を飲む。萩原さん、北海道からのオミヤゲのホルモンを“大変な状況下で買ってきてくださいマシテ”と言う。ポーチの一件である。K子、“絶対に金を抜き取られていたはず”と言うので、ちゃんと揃っていることを確認したから、と言うと、“なんで拾ったものを素直に届けるの? 信じられない!”と、世の中の人間がみなスリのようなことを言う。人の月旦いろいろで12時過ぎまで。