裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

29日

火曜日

エスキモーの組織網

 少数民族連絡会議。朝、7時45分起床。空はどんより、やがて雨が降ってきた。どうもカラッとした夏空にならない。朝食はピーナッツ・スプラウトと枝豆、それにスイカ。湿気で湿気でさすがに仕事場にエアコンをかける。新聞にボブ・ホープ死去の報、100歳。最後に姿を見たのは『スパイ・ライク・アス』のカメオか。ところで、ボブ・ホープの作品はわれわれテレビ世代には柳沢真一の吹き替えでお馴染みなのだが、柳沢氏はまだご健在なのか。『スパイ・ライク・アス』のときは一言、セリフがあった筈だが、テレビではあれは誰が吹き代えたのだろう。……ちなみに、わが家にはボブ・ホープのフィギュアがある。『GIジョー』の第二次大戦シリーズの一 環で、前線慰問に回っていた時のものである。

 ボブ・ホープと言えば戦後のポピュラーヒット第一号の“バッテンボー”で有名だが、“buttons and bows”をバッテンボーとは、よく当時の日本人も耳に取ったりな、という気がする。時代ならではで、戦後のヒアリング授業に慣れたこちらの耳には、ホープの歌もダイナ・ショアの歌もどちらを聴いても、せいぜいが“バッゥアンボウズ”としか聞こえず、しかしバッテンボーという、目にも耳にもユーモラスな語でなければ、あそこまで当時の日本で人口に膾炙したかどうかは疑わしい。“♪にぎやかなバッテンボー、指輪に飾りにバッテンボー”という、語呂だけで意味不明な歌詞の日本語版を歌ったのは池真理子だが、昭和40年代、懐かしのメロディというような番組で、この池真理子がこの歌を歌っているのを見た母親が
「あら懐かしい! ベッテエ・ブープ!」
 と大声を上げた。丸顔で短髪で、大きな耳飾りをつけている彼女のことを、母方の祖父がベッテエ・ブープとあだ名していたのだそうで、ベティさんでもベティ・ブープでもない、さらに一時代前のベッテエという呼称が、いかにも彼女の容姿にピッタリしていた……と、思い出はどんどんボブ・ホープを離れていってしまう。

 午前中、ササキバラゴウ氏から電話、こまごまとゲラのチェックについてつけ合わせ。いろいろと他にもやらねばならぬ作業山積なのだが、天候のせいでテンションあがらず。困ったもの。K子に同人誌の赤入れのことでメール。クォーク不調で、あまり直しを入れて欲しくないらしい。最小限にとどめる。2時頃、雨もあがったので外出、チャーリーハウスで定食。中華風肉豆腐。食べて外へ出たら汗、汗。

 トリビアの泉のK氏に電話。連絡不行き届きの件、K氏レベルでは知らなかったようである。まったく、テレビの仕事はストレスがたまる。本来、高視聴率でこっちは喜んでいなくてはならないのだが。原稿書き出すがすぐ停頓。ネットと書庫で資料探し。まあ、ある程度まとまったものに出来るだけの資料は揃えられたから、ヨシとしよう。と学会MLではすでにコミケの日の委託関連で会員同士の連絡、密。あと、河 出S氏と打ち上げの件で連絡。

 長野『しなの路』から恒例でお中元、桃が一箱届く。こちらは暑中見舞いのハガキ一枚出したきり。まことに申し訳ない。10月にまた花火見物に行くときに、何か持参しようと思うが、東京みやげというのはロクなものがない。桃は明日、虎の子で皆 におすそわけするか。

 8時半、出て、『華暦』でK子と夕食。入った途端に冷房のあまりの効き様にビックリする。ここは主なお客がNHKのおじさん連で、卓上の醤油に普通のと並んで減塩のものも置いてある、熟年向けの店なのだが、おじさん族というのはとにかく暑がりで、冷房をギンギンに効かせてもらいたがるのだろう。私もその一人ではあるのだが、それにしても効き過ぎ。刺身はイトヨリとマグロ、それに冷や奴、おでんなど。ここ、夏場はおでんは休んでいた筈だが、今年は冷夏だからまだおでんは人気なので あろう。

 10時過ぎ、帰宅、留守電にフジテレビMディレクターからのもの一本。K氏からは連絡行った模様。寝っころがって資料本読む。妄想系のものなので読むのに努力が必要。舌の付け根の右側が痛むので、消炎剤を一服。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa