9日
水曜日
ビキニスタイルの和尚さん
珍念や、わしはこれから女性としていきるぞ! 朝、大きな石造りの洋館を舞台にしたミステリっぽい夢。死んだ娘を忘れられず、年頃の女性をさらってきて催眠術にかけ、自分がこの家の娘であると信じこませて、その術が覚めると殺して、また新しい女性をさらってくることを繰り返している富豪のもとに、探偵が潜入。その探偵のキャラが苦労知らずのお坊ちゃんで、なにかというとすぐ“なんでボクがこんなことを”と文句をタレる。最後に容疑者を居間に集める、というときになって、部屋の真ん中に机がないからと、鏡台や花瓶を置く台をくっつけようとして移動させると、その下に脱いだ靴下があるとか、急に所帯じみるのが、所詮貧乏人の見る夢。
7時半起床、朝食はトウモロコシとクレソンの蒸したもの。これをクレイジーソルトだけで食べるから、完全な油抜きである。果物はゴールデンキウイ。産経新聞に、バディ・イブセン(エブセン)死去の報。6日に死亡、95歳。読売にはこの訃報がなく、載せてくれた産経には感謝したいが、しかし代表作を『ビバリー・ヒルビリーズ』と表記していたのは残念。『じゃじゃ馬億万長者』としなくちゃ、わかる人は少ないのではないか。日本だとせいぜいそれくらいの知名度だが、アメリカでは国民的人気者で、ファンサイトでは“アメリカの象徴、伝説の人物”などと称している。前から言っているように、アメリカというのは田舎者で成り立っている国で、彼らが都会者を右往左往させる『じゃじゃ馬億万長者』(このドラマ自体がアメリカのフォークロアをそのままテレビ化したものだ)は国を代表する番組だったのだ。本人は純朴なジェドおじさんとは異なり歌手、ダンサー、ボードビリアン、劇作家、画家などにも才能を発揮する多才な人物だったらしい(『オズの魔法使い』でバート・ラーが演じた泣き虫ライオンは、本当は彼がキャスティングされていたのだが病気で降板したとか)。後年演じた『名探偵バーナビー』では一転、知的な探偵役を演じていた。引退した探偵が、息子を殺されたことで再び復職し、息子の若い未亡人を助手に悪にいどむ、という役柄で、アメリカでは7年も続いた人気番組(コジャックでも5年である)だった。この義理の娘役が『バットマン(ムービー版)』でキャットウーマンを 演じたリー・メリウェザー。凄いコンビだね。
入浴、洗顔、日記つけ等。昨日(8日)は雨で一日、最悪のコンデションだったが案外、いろんな細かい仕事をこなしているんだな、と感心したりする。とはいえ、ビデオの件でメールをくれたもりもとたつやさんを別人と取り違えてしまったり、やはり脳はほとんど動いていない。今日は一日、『本家立川流』の座談会テープ起こし&構成にかかる予定。電話あり、以前部屋の備品交換をお願いしていた件で、やっと今日、取り付けにくるとのこと。1時過ぎに来るというので、12時半に急いで出て、昼飯を食う。交番通りの飲食店ビルの3階にある、『宵宵(よいよい)』という店。やな店名である。夜は地酒居酒屋になるようである。ここで鳥の唐揚げ定食。唐揚げと漬け物、煮物、味噌汁のセットで780円。おかずはいいが、飯が、区役所地下食 堂ほどではないがバリバリ。
1時ジャストに帰ったが、もうサービスセンターの人、来ていた。二人組だったが一人はやせぎすでカン高い声でしゃべる、セッカチ型。もう一人が、どこかヌーボーとした雰囲気で、ちとダアダア的なスローモー型。このコンビが、やることなすことタイミングが食い違い、コメディ番組を見ているようだった。風呂の栓とシャワーのヘッドを交換するのだが、スローモーの方が新しいヘッドを持って風呂場へ入ろうとすると、セッカチが水道管の口径にあわせたアタッチメントを持っていけ、と言う。スローモーの方はホースについている口と水道管の口を見比べて、
「……まー、だいじょうぶだろー?」
と持たずに入り、いろいろと工具を出してひねくり回して、また戻ってきて、エヘヘと笑って、
「……やっぱり合わなかった」
と、改めてアタッチメントを持っていく、という案配。セッカチは新しいインタホンを取り付けているが、上階の配線と下の書庫の配線が違う、と、何度も何度も階段をせわしなく上り下りする。取り付けがなんとか終わると、スローモーに、上に行って試しにインタホン鳴らしてみろ、と命ずるが、相棒がまだのろくさと工具を片付けているのを見ると、じゃあ、オレが上に行くからオマエ下でとれ、と自分でセカセカ上がってチャイムを鳴らす。スローモーは電話口に出て、“あー、モシモシ、亀よ”とか、どうしようもないギャグを言い、“どう、聞こえる? 音質はどう?”と咳き込んで訊いてくるセッカチに、“オマエさあ、どうして電話出ると必ず咳き込むの?喉の病気?”とか訊いている。落語の『長短』、もしくはアヴェリー・アニメの『デ カ吉チビ助』。
彼らは2時に帰る。その後は夕方までずっと座談会原稿。落語家という芸人の世界がゴシップによって成り立っている、ということがよくわかる。“あいつはドジ”、“あいつは変人”、“あいつはキチガイ”というようなキャラクターに、これまた実にピッタリのエピソードが用意され、それをまたふくらまして伝えていくことによって、業界全体の集団性が浮き出てくるという、一種特殊な世界なのだ。私が芸能プロ時代に主につきあっていたのは漫才師・漫談家などの演芸家の世界の方だったが、こちらは落語よりも歴史が新しい分、そういうゴシップの質も量も、また自分がそのゴシップの対象となった際の耐性も、落語家連中とは比べものにならず、それだけに、 いまいち結束に欠けるようなところがあった気がする。
マガジン・ファイブより電話。児島都『怪奇大盛! 肉子ちゃん』の第二段の特典企画への協力依頼。ちょうど児島都ちゃんには別件で電話しようと思っていたところで、ちょうどよかった。原稿、構成に苦心して何度も中断。なんとかかんとか、夜の7時には完成。総枚数、400字詰めにして35枚。本日の仕事分としては25枚といったところ。談之助さんと、DTP担当の安達Oさんにメールして、ふう、と息をつく。と学会誌の原稿は今年は東京大会用に前倒しで書いたし、自分のところ(東文研)用のアメリカ馬鹿マンガ誌、開田さんの『特撮が来た!』原稿、そしてこれと、これで今年の夏コミ用の原稿は全てアップ。どんと来い8月17日、である。
外へ出て東急本店地下紀ノ国屋へ。夕飯の材料買い込み。帰宅してさっそく料理にかかる。鶏ガラスープを徹底して煮詰めて濃厚なダシにした鶏鍋、イカのニンニクバター焼き、ウドのキンピラ。ご飯にふりかけるのに、クレソンとほぐし鮭を炒めたもの。ご飯はアヤメ米で、やはり外食とは一線を画すうまさ。K子が“鍋にクズキリが入ってない!”というので、急いで別に茹でて加える。日テレ『ザ・世界仰天ニュース』でジョンベネ殺人事件を見る。ジョンベネの、アンドロイドのような人工的可愛らしさに比べて、再現ドラマで彼女を演じた女の子の方は、ずっと自然な可愛さで、こっちの方が私は好み、というか、アメリカにもあんな子供はそういないんだろう。
その後、ニュースステーションで長崎の駿くん殺人事件の犯人が12歳だった、という件の報道を見る。12歳で何人もの幼児の服を脱がすなど、性的いたずらをしていたというのは、やはりペドフィリアなのであろうか。自分がまだペドの対象年齢であろうに。……事件の重大性は認識しているつもりであるが、しかしニュースステーションでこれを見る限りにおいては、内容より久米宏の口髭のいやらしさの方に目がいって、事件の社会性などどうでもよくなる。ああいうヒゲを気障とか気取りすぎとかいう印象以外で受け取る視聴者というのが果たしているのか。トニー谷以来だ。
その後、教育テレビで昆虫写真家・海野和男氏の番組を見て、妙に自然科学づいて焼酎の梅干割りを飲みつつ、深海生物だの砂漠の生き物だののビデオを見散らかして1時ころ、就寝。抱き枕抱えて寝る。K子は送られてきた芦辺拓さんの単行本を読ん でいた。