6日
日曜日
ご家族揃って“実にいい”アニメ
日本のアニメと違ってエロもないし、作画は丁寧だし、ジツニイイアニメだねえ。朝、7時45分起床。朝食、発芽玄米粥に梅干。ゴールデンキウイ一個。日本テレビ『ザ・サンデー』で徳光和夫が“今日は○○の事件を振り返ってみましょう。ついでに、振り返っても見たくない昨日の巨人・中日戦も振り返ってみます”と言っているのに大ウケした。別に阪神ファンなわけではなく、巨人ファンが地団駄を踏むと思うとうれしいという、メインストリーム嫌いのひねくれに過ぎないのだが。
読売では昨日の夕刊、夕刊のない産経では今朝の新聞に、ブッシュマン・ニカウさん死去との報。映画もテレビもなんかあざとくて嫌な気がして、一回も観ていない。ただ、推定年齢が58、9歳で、日本人から言えば短命ではあるが、老衰もせず、病気もせず、薪拾いに高原に出かけて、そこでの自然死というのは、うらやましいくらいの大往生ではないかと思える。80いくつの老人が嫁や孫に殺される事件の報道が相次ぐ中、長生きだけが価値のように言う日本は間違っておるよ。B級映画ファンとしてはこの人が香港で出た『ブッシュマン対キョンシー』とかは是非、観てみたいのだが。
先週の日曜、この日記で荻野アンナの読売新聞書評がラブレー研究と高木ブーの本を二冊、並列して取り上げた話をした。そのかなり前だが、佐倉統氏がトッド・ファインバーグの『自我が揺らぐとき』の書評の中に、全くジャンルの違う腹話術の歴史の本『唇が動くのがわかるよ』を取り上げたことを指摘し、いずれの場合も、視点を立体化させる試みとして評価した。そういう“意味”がなければ、長文書評(読売新聞日曜版の書評欄には400字弱の短文評と、800字弱の長文評の二つがある)をせっかく受け持ちながらそこで二冊を紹介するのでは、短文書評と変わりなくなってしまう。長文書評欄担当者には、より深く紹介本の価値を突っ込んで語ることが求められているはずだからだ。ところが今回、大原まり子氏はそういうような二冊同時書評に、なんの視点の工夫もないまま、単に本を並列に並べるだけ、という能のないことを敢えてしている。この二冊(三島浩司『ルナ』と井上剛『死なないで』)が、日本SF新人賞の、今年の受賞作と、去年の受賞者の第二作だという理由である。それであるならば、日本SF新人賞というマイナーな賞がいったいいかなる賞であり、現在の日本の出版界においてどのような役割を担っており、かつ、実績を示しているのか、ということを読者(この書評の)に説明しなければ、その責は果たせまい。自分が選考委員を勤める賞であるからという理由(この評の中では明記されていない)だけでその関係者の書籍を二冊並べたというのであれば、それは公私混同というもので ある。
そして、その紹介の文章というのが、例によって文意曖昧内容模糊というありさまで、読んでいてホトホト情けなくなった。氏は『死なないで』の粗筋をこう書く。
「指を指して強く念じれば、その対象を殺すことができる力を持つ女子大生、江藤路子。両親を憎みながら生きてきた彼女は、脳卒中で倒れた母を絶対に生かしてほしいと懇願する。母の命は自らの指によって断つのだ」
誰に懇願するのか。医師にか、神にか。自分の能力にか。自分が殺すべき者が別の理由で死んでほしくない、というルパン三世の五右衛門みたいな主人公の心理は面白いが、なら何故、主人公はこれまで母を生かし続けてきたのか。書いていて大原氏は自分で自分の文章の中の情報というものに疑問を抱かないか。そしてさらにその後、氏はこう書くのだ。
「指の力などなくても、人は言葉だけで人を殺すことができる」
言葉だけで確かに人は人を殺せる。しかし、それはもはや、SFがSFとして描く必要のない範疇に属してしまうだろう。指の力で人を殺す能力を描くことで、この作品は純文学でなく、ミステリでもなく、SFの分類に入り、それ故にこの作品はSF新人賞受賞作家第二作といううたい文句で出版され、氏も書評している。その大枠を否定してどうする。……徳間書店でも早川書房でもいい、書評を担当するというのなら、それらSF関連の文庫目録をじっくり読んで、編集者たちが頭を絞って書いているそこの書籍紹介のテクニックを学んでみたらどうだろう。私らの世代がSFに惹かれたのは、およそ当時の日本の小説の中で、SFというジャンルが、最も論理的で明解な言葉で読者に語りかけてくれていたからである。それがいまや、変に文学じみたおぼめかしの言葉で語るものの天下になってしまったのだとしたら、昨今私がSFに抱いている失望感も故のないものではないと思える。この評の末尾近くの一文。
「人と人の間には精妙な水でも流れているのか」
……“精妙な水”とは何か、一体。
書庫にもぐる。実は今朝、夢とも妄想ともつかない、あるイメージが頭にひらめいて目が覚めた。このあいだから探しているゆまに書房の復刻用の少女小説の原本なのだが、これが何故か書棚に見つからず、片瀬くんたちに整理してもらった後も出てこなかった。どこかに紛失したか、誰かに貸しなくしてしまったか、と、悩んでいたのだが、今朝、それが絶対にある場所がわかった! という明確なイメージがわき、意気揚々として目が覚めたのである。その意味するトコロは果たして何か、とフトンの中で考えるうちに、そうだ、掃除のときも手をつけていなかった箱が棚の上にあったはずだ、と思いつき、無意識がまさに自分に夢の形をとって教えてくれたのだろう、と急いで書庫を確認した。……確かに箱はあったが、しかし、その中身は少女小説ではなく、結果は上にたまっていたホコリでいたずらに顔や腕を汚しただけだった。やはり妄想は妄想に過ぎないか、と思ってあきらめかけたとき、ふと、別の種類の本の山がその隣りにあるのに気がついて、ひょっとして、と探してみたら、その山の中に少女小説が何冊か混じっており、その探していたものも、まさにその中にあったのである。イメージしていたところとはまったく違ったが、しかし、あの朝の夢がなければ、そもそもこの箱を調べようとは思わず、そう思わなければその箱の側の山を調べようとも思わず、結局この本は見つからないままに終わったことだろう。西手新九郎的不思議の上に、識意気下の玄妙な働きのミステリーが加わったような体験だった。
昼は外出し、兆楽でまたルースーチャーハン。昨日店に忘れた蛍光灯を受け取る。そのあと渋谷をぶらぶらし、某書店に入ったら、画集の棚に河出書房新社の、沢渡朔『少女アリス』を見つけて驚く。デッドストックか、と思い奥付を確認したら、ちゃんと2003年6月30日付けの第2版(新版の初版は1991年2月だから、12年ぶりの重刷である)。よくこそこのご時世に……と、ちと感嘆。気になるので内容をさっそく確かめたが、修正も入っておらず、そのまんま。しかし、改めて見てみるとこの写真集、アリスのヌードばかりでなく、大男や双子の男と無邪気にたわむれる姿や、スコットランドの美しい、しかし荒涼たる高原や、廃城をバックに、キャロルの原作のイメージを、見事に映像化している優れた写真集なのであった。私は当然、1973年の初版を札幌4丁目プラザの維新堂という書店で買っているのだが、当時はもう、ヌードしか見ていなかったのだなあ、と苦笑。これと71年の『エウロペ・12歳の神話』(三星社)の二冊を所持していたことで、わが家には当時の北栄中学三年三組のクラスの男子生徒の8割が訪ねてくるという盛況をしめした。とはいえ、その当時は少女ヌードなどというものは単にオトナのヌードの代用品、としか考えられていなかったのであって(そもそも少女ヌードというのが、毛を見せてはいかん、という当時の官憲に対し、“なら、毛がなけりゃいいんだろ”という反抗心から出したものだった。それが、今では毛なんぞはいくらでも見られるのに、毛のない裸はまかりならん、とお上は青筋を立てているのである)、今でも覚えているのはクラスでトンキョと呼ばれていた外山聡という男が、『少女アリス』の中で数シーン、一緒に脱いでいるお姉さん役(こちらはもう、肉体も立派に成熟)の女性を見て、“こっちの女の人の方の写真集が出ないのかなあ”とつぶやいたことである。同級生たち、み なノーマルであったことよ。
帰宅して原稿少し、『少女アリス』をネットで調べたら、“復刊ドットコム”の投票であれは復刻されたものだったのであった。ふと気がついたら時間がかなりたっていて、大慌てで外出。本日は3時から、早稲田にて次回と学会例会会場の下見を植木さん、皆神さんたちとすることになっているのだった。JRで高田馬場まで行き、そこからタクシーで早稲田グランド坂まで。皆神さんがちょっと遅れるということで、植木さん、I矢さんの二人が来ていた。植木さんにフライシャーのスーパーマンのビデオを差し上げる。雑談しているうちに、すぐIPPANさんも到着、ロビーで皆神さんを待つ。千石で行っていた例会会場が手狭になったことと、発表件数が増えて、閉館時刻の早い千石ではちとあふれる状況になったことに鑑み、新会場を探していたのである。皆神さんが客員講師を勤める早稲田のK助教授が、それを聞いて、早大の会議室を提供してくれるということを申し出てくれた。まことに有り難い話であり、ともかくも下見をさせていただこう、と衆議一決、ここに集まったわけである。ほどなく皆神さんも来て、K先生の案内で会議室を見せてもらう。
普段は国際会議の開催されている場所で、今日も終日使用されている、という話であったが、まだ時間が早かったため、会場内は無人。ちょっと受付の人に断って、中に入り、設備その他を確認させてもらう。第一から第三まであるうちの第二会議室。部屋の形が変わっていて、ソロバン玉の形というか、ちょうど空飛ぶ円盤みたいな形状。と学会が借りるにはふさわしいかもしれない。機材などをチェック。それから、係の人とロビーで借り出し条件などについていろいろ交渉。こちらにとっては意外な返答もあって、なかなか面白い。書画カメラを見せてもらう。このあいだの東京大会のものほどではないが、なかなか使い勝手はよさそうなもので、まあ大丈夫か。とりあえず、私やIさんたちには異存なし、ということで、K先生と皆神さんに後の手続 き関連はおまかせ。
そのあと、近くのK先生の研究室のある建物に行き、部屋の中で会場について打ちあわせ。問題は早稲田という場所の足の便(これが案外悪い)だが、会場としてはまず、申し分なしということで、じゃあことのついでに12月の例会もとってしまうかと話がまとまり、すぐ皆神さんが電話をかける。12月はさすがにもう満杯だったので、ちと日を繰り上げて仮押さえしておく。さすが、現場に慣れている人の判断ですなあ、と植木さんとその応対を聞いて感心。しばし雑談。早稲田に奉職している鶴岡法斎の話など。K先生、事務局に提出するのに、と学会例会の式次第などを教えてくださいという。いや、式次第も何もなく、時間になったら会長以下ネタの発表をはじめて、半ばまできたら休息とって、その後また発表して……という感じなんです、と説明。何人くらい発表されるんですか、というから大体40人から50人、と言ったらちょっと呆れていた。こちらも、K先生のお若いのにはちょっと驚いた。後で皆神さんに聞いたら、K先生を助教授にするために、早稲田の方で規則を変えたほどの人だとか。ぜひ、学生も連れてきてくださいと誘うが、“最近の大学生ってのは本当に ウスくて、果たしてと学会の話題についていけるか……”とのことであった。
そこで先生とは別れ、われわれは二次会場の下見に。空気が湿気をおびて、まるで水の中を歩いているようである。駅前のビルにある居酒屋『土風炉』。エスカレーターは狭くてセコいが、店の内部はやたら広くて農家の倉を模した装飾。ここで二次会のコースの打ち合わせをしながら、味もひとつ……と飲み会に入る。K子に電話、やがてグッズ担当のSさん、それから開田夫妻、K子も加わる。焼き物、揚げ物、刺身盛り合わせと、おつまみをいろいろ。一時間に一回だけ出来るという手作り豆腐がなかなか美味で、いる間に二回、頼んだ。東京大会の話からニカウさんまで、例により雑談いろいろ、ダジャレいろいろ。京風おでんだかなんだかのメニューを見て、植木さんが“京風世界”とやらかした。“SFファンでなきゃわからない”“いや、SFファンでも最近はバラードなんか読むかねえ”とか。9時まで飲んでしゃべって、おひらき。山手線で、新宿、そこからタクシー。マンションの駐車場で、いきなり鼻血 が出た。ちょっと今日ははしゃぎすぎたか?