裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

28日

月曜日

ウェンディーヌの差

 ことわざの一。使用例:「いくらハリケンジャーで山本梓が人気だと言ったって、福澄美緒に比べたらお色気はウェンディーヌの差だよ」。朝、7時半起床。蒸し暑いが陽射しはそれほどでもない。とはいえまあ、夏のうちの気候。朝食、発芽玄米粥のアヲハタじゃないバージョン。こっちはまずい。と、いうか、そろそろ飽きてきた。

 午前中はアスペクトの赤入れ。飽きるとレグルス文庫『随筆三国志』(花田清輝)をボツボツと拾い読み。再読、たぶん三読くらいだが相当に面白い。三国・六朝の知識人たちの空論談義が“清談”と呼ばれたのは、彼らが五石散(仙人になる薬と言われた鉱物系の劇薬)を服用していて肌があれ、皮膚がすりむけやすくなっていたので着物も新しいものではなく、古い、洗濯をしないものの方が着心地がよく、シラミも多くわいたために、“虱をひねって当世の務を談ず”という句が談論の表現として定着したほどで、そういう不潔な連中の談論だから、逆説的にそう名づけられたのでは ないか、というひねくれた見方がいかにも花田清輝である。

 その中に、『史記』における人の褒め方、ということについて書かれている一文があった。“司馬遷がその中で人の栄達、光栄を描くのは、そののちに来る不幸や没落を描くための前段階なのであって、そこを見のがしては史記の文学性はわからない。史記はサディズムの文学であり、司馬遷の目はサディストのそれである”という奥野信太郎の説をひいて、花田は司馬遷の底意地の悪さを徹底して分析する。そして、ここが花田流ではないかと思うところなのだが、表面きっては言わずに、そのサディズムの依って来る原因として、宮刑になった者特有の精神の歪み、ということがあるのではないか、とサラリと匂わす。いや、さらにもう一歩深読みすれば、花田は、記録者などというものの底にはみな、こういう奇形的な精神の歪みがあるのさ、と言っているかのようである。このあいだ、村木藤志郎さんに“しかし唐沢さんの日記は、よく人を褒めますねえ”と言われたが、それは私が放っておくとどんどん人の悪口ばかりを書き連ねるようなサディスト的精神を持っているからであり、そのバランスをとるために褒め言葉も多く書き付けるのであるが、しかしまた、人を多く褒める者というのは、その裏に人を貶す意識が実は強く働いているからなのではないか、とカンぐることも可能で、……と考えがどうどうめぐりになる。花田清輝の書く物というのは本当に始末が悪く、それ故に麻薬的魅力がある。宮刑で思い出したが、こないだの村崎さんとの対談でも言ったことだが、三国志愛読者であったというあの長崎の12歳の少年は、三国志にゾロゾロと出てくる、あの宦官という連中のことに興味を抱き、 被害者の性器を傷つけようとしたのではなかろうか?

 昼は『兆楽』でマーボチャーハン。辛いのと熱いので水をがぶがぶ飲んだら、食べ終わって外へ出た途端に汗、淋漓。東急本店地下の紀ノ国屋で夕食の材料を買い物。帰宅し、手紙類に目を通す。3時、時間割にてササキバラ・ゴウさんに会い、チェック原稿の付け合わせ。どこまでを説明し、どこまでをスルーするかの問題。作業が終わった後、少し雑談。海外の文学研究家とかが、よく本のあとがきで、3年とか5年とかの間図書館に通い詰めてこの本を書いた、とか言っているが、その間の生活費は いったいどうなっているのか、というようなこと。

 後半のゲラを受け取って帰宅、チェック少し。体がややだるい。留守録のあった西原理恵子に電話。某人物の件について、またいろいろ質問受けたり答えたり。山本会長の“バードウォッチングの会に鳥が入会するようなもの”という名セリフを教えてやったら、しばらく電話口の向こうで、四方にその笑い声が反響しているのがわかるくらい笑っていた。彼女、こないだの私のこの日記も読んだそうで、“若い頃の酒の上とは言え、ずいぶんと失礼なことを……”“いやいや、こちらもだいぶ傍若無人なことを言ったりもしまして……お互い若かったしねえ”“ホントにお互い年をとりました……とは言っても、また酒が入ったら同じだったりして”“うーん、だったら楽 しいねえ”とか。

 8時、夕食の準備。レンティル豆と塩豚の煮物、海鮮サラダ、セロリとじゃこおかかのわっぱ飯。塩豚は豚を塩湯で茹でて冷ました即製のもの。タマネギとニンジンとトマトを細かく切って塩胡椒で炒めた上に、水とワインをさして、そこに水にひたしておいたレンティル豆を加え、豚肉、ソーセージと一緒に煮る。つぶしたニンニク、月桂樹の葉などももちろん投入、味が薄ければインスタントのスープの素もちょいと 加える。水がなくなったあたりで出来上がり。

 ビデオで『笛吹童子第二部』と『オクトパス・イン・NY』。笛吹童子は今さら解説には及ぶまいが、『オクトパス・イン・NY』は笑った。巨大生物パニックもの専門の“ヌー・イメージ社”の製作で、ニューヨーク港に住み着いた巨大タコと港湾警察との戦いを描いたもの。タコをよく知らないアメリカ人が作ったものだからか、必ずタコの足が、吸盤をこっちに向けて出てくる。つまり、獲物に、吸盤のない方を向けて巻き付けるわけで、吸盤の意味がないではないか、と呆れる。刺身居酒屋なんかで、活き作りのタコの足がからみつき、吸盤がなかなかはがれない、という経験が向こうの人間にはないのだから仕方ない。しかし、パッケージは日本人が作ったのであろうが、ソッチでも吸盤が逆向きになっているし、惹句には“一吹き10000ガロンの蛸墨(スパート・インク)”なんて書いてあるが、劇中で一回もスミなんか吹かないのだ(そもそも、アメリカ人には蛸がスミを吹く、というイメージがないようである)。

 こういうミスとかチャチさとかは、この手の映画の傷にはならない。いや、この手の映画はそういう風に気軽に突っ込みを入れながら観るのが楽しいので、そういう部分が多い作品の方が優れた作品、と言えなくもないのだ。……とはいえ、全編を通しての最大のクライマックスがタコ退治ではない! というのにはやや、アゼンとしてしまった。タコを爆弾でやっつけたときの衝撃で壊れた海底トンネル内の人の救出劇がクライマックスなのである。脚本の段階で、こらどうにかせんと、と思わなかったのだろうか。で、必ずこういうとき一番脱出に手こずってこちらをハラハラさせる弱者役の定番、“老人”、“動物”、“子供”というのを三つ揃えていて、しかもご丁寧に子供のうちの一人は身障者。こんなところばかり丁寧である。この女の子の顔がまた快楽亭ブラッCそっくりだし。ヒロインもお約束通りその子供たちを乗せたバスの引率者で、“さあ、歌を歌いましょう!”と言って歌いだすのが“♪こげこげこげよ、ボートこげよ……”で、『ダーティハリー』のサソリかお前は、と観ながら思ってしまった。何かね、アメリカのガキというのははバスに乗ると必ずあの歌を歌うことになっているのかね。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa