裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

23日

水曜日

日生のおばちゃん偽善者で笑顔を運ぶふるさとよ

 生命保険の勧誘なんかにノスタルジー感じちゃいけません。ちなみに、近ごろあのCMが流れないのは、“おばちゃん”が女性差別用語だとクレームがついたからなんだそうである。トホホ。ジェンダーフリーとかに目くじらたてたくないけれど、ああいう運動って、いつでも一番どうでもいいところから手をつけますわな。それで、実際にその運動が軌道にのる前に、悪いイメージばかりがこっちに浸透してしまうんで あります。

 7時15分起床、朝食は貝柱入り粥とスグキ。果物は桃。服薬如例。但し救心が切れたので麻黄附子細辛湯。もう7月も末の方だというのにさっぱり暑くならない。それどころか、今朝など肌寒い。窓の外の光景もほとほと寒々しい。ただし、おかげで ダルくも眠くもならないのは有り難い。

 雑用にて午前中過ぐ。のざわよしのり氏から電話、安藤礼二氏からメール。その他イベントのお誘いなどいろいろ。予定表が埋まっていくのは充実感もあり、もっと時間をゆったりと過ごしたいという思いもあり。昼は兆楽(こないだ細雪で飲んだ帰りに見たら、あの通りに別店舗があるのであった。のぞいて見たが、店員や調理師がこの渋谷交番前店よりはアカぬけていた。まったくこっちの方は入る人入る人、こぞってうらぶれた初老親父か、やさぐれ兄ちゃんなのは、そういうのを選っているのか) でミソラーメン。

 六本木に出て、雑用一ツ。行き帰りタクシーを使ったが、運転手さんがどちらもかなりの年配で、しかも両方ともおしゃべり。行きの人は藤井貢みたいな顔をした(と言ってもわからないか)爺さんで、長崎の幼児殺害の話をして、12歳だからと言って犯人の名前とかが出ないのはいかがなものか、と言い、
「そういう風に名前とか顔とかをさらすとその子の将来がとか言いますがネ、人をああ簡単に殺すような性格の人間の将来ってのは、はっきり言ってまた人殺しですわ。アタシの子供のころの友達でタッちゃんてのがいたんだけどね、これが18のときに強盗をやりましてね(あんまりあっさり言うので一瞬、ゴウトウって何だったかと考えてしまった)。仲間と二人で靴屋に押し込んだんだけど、そこの主人に見つかっちまってね、こりゃいけない、ってんで、ネクタイで両方から首ひっぱって絞めて、殺しちまったんですヨ。……つかまったのが18歳の誕生日の十日くらい前でネ。まだ未成年だってんで、たった8年で出てきてねえ。まあ、出てきてからもつきあって遊んだりしてたんだけど、5年くらいして、やっぱりまた同じように人、殺しちゃいましたなあ。ああいうことってのはネ、いったんやっちまうと、また同じことやるのに抵抗がなくなるんです。まあ、それでそいつ雲隠れして、警察も捜していたけど、それっきりで。どうしてンのかねエ。……まあ、よっぽどの事故とかでない、自分で殺そうとして人殺しをしたヤツはね、どう矯正したって、また殺しますわ。アハハ」

 帰りの運転手さんは小柄な丸顔の人で、雨がよく降る、というような話から、フィリピンの雨というのは雨雲がハッキリ見えて、その下にザーザー雨が降っている、というのもちゃんと見える、というような話をする。その他、かの地についてやたら詳しいんで、フィリピンにはよく行かれるんですか、と訊いたら、
「3年前に帰るまでは36年間、向こうに住んでいたんです」
 と言うので驚く。貿易だか製造だか聞き漏らしたが、日本とフィリピンの合資会社に勤めて年に数回、こちらに立ち寄る以外はずっとあちら暮らし。ところが60の坂を越えてから、その会社が倒産してしまい、よんどころなく日本に帰ってきたたという。ハローワークなどで再就職先を探すと、やはり経験を生かしてフィリピンに行ってくれ、あるいは中国語も堪能なので、大連に行ってくれなどという仕事先があるのだが、どれも一年とかの短期仕事ばかりで、それを終えて帰ってきてから先の保証がない。
「逆に5年いてくれというのならこれは喜んでいくんです。それくらいダメですかと聞きますとね、どこも、いや、実は向こうの支社とか工場を閉じるんで、その後始末をしに行ってほしいんだと言うんですよ。そういう、まるで展望も希望も持てない仕事をやりましてもねえ」
 それよりはこの仕事でなんとか定年まで事故なしで勤めると、特別に73まで働かせてもらえるのだとかで、地道に行こうと決めたのだそうだ。
「3年間この仕事やらせていただいてますが、お客様同士の会話というのが、まあ盗み聞きするつもりはなくても耳に入ってきます。……この3年、景気のいい話という のはただの一回も、ええ、聞いたことがありませんですねえ」

 現代日本の張三李四像というのをどこに定めるかというと、私はタクシーの運転手なんじゃないかと思っている。しかも彼らは知識も情報も人生経験も凄まじく豊富に持っている。いわゆる文化人と呼ばれる人種がテレビや雑誌でえらそうにコメントをたれているが(私などもその一人だが)、あんな地に足のついてない連中より、こういう人たちの意見を聞いた方がよっぽど面白かったり、信用できる気がする。毎日、一万円くらいづつ使ってタクシーに乗って、その運転手さんといろいろ雑談し(無口なヤツだったらワンメーターで降りる)、その話を集めた雑誌を創刊したらどうだろ うかと思えてきた。

 昨日、横網通りを横綱通りと誤記した、という話を書いたが、その後でふと、“横綱通り”“横網通り”でグーグルの検索をかけてみた。横綱通りが37件、横網通りではたった2件のヒットしかない。くだんの“富そば”でも検索をかけてみたが、やはり“横綱通り最初の十字路角”とか書いてあった。ササキバラゴウさんからメールがあり、“どうも調べてみると、町名は「よこあみ」だが、通りの名は「よこづな」なのではないか”とのこと。とはいえ、両国生まれ両国育ちのとみさわさんが間違えるとも思えず、これはひょっとすると、もともとはヨコアミ通りだったものを、みんなが間違えるんで、それならいっそのこと、とヨコヅナ通りに改名した、とかいうことなのだろうか。ササキバラさん曰く“二重トラップみたいですね”。これ、トリビ アの泉のネタとして出してみるか?

 家で原稿書きカシカシと。暑くはないが麻黄附子細辛湯のせいで喉が乾く。4時、時間割にて二見書房Fくんと打ち合わせ。原稿見本と、河出の怪獣本(どうも、日記に書くときに『なぜわれわれは怪獣に官能を感じるのか』という書名は長くてめんどくさい。“なぜ怪”とでも略すか)を進呈。例によっていろいろと雑談。映画ばなしなど。能や歌舞伎の伝統から来た、日本の映画独自の様式性がそろそろ若い映画人により崩されはじめてきているので、いまのうちにその観点から語った映画論を残しておかないと、後世の評論家が昭和の映画についてトンチンカンなことを言い出しかねない、と話す。

 帰宅、さらに仕事、と書きたいがテンションがくっと下がり、読書しばし。ネットで本を何冊か注文。8時半、K子とタクシーで参宮橋。北澤倶楽部という回転寿司のチェーンの、ここは回転寿司でない店。明るく綺麗な店内に、ちょっと老けた感じの店員さん、職人さん。ネタが豊富で、白身、甘エビ、コハダなどをつまんでみる。抜群とはいかないが、まず食える。店長がやたら調子よく話しかけてくる人で、包丁の腕よりこっちの技術で店長の座を獲得したのではないかと思うくらい。ついつい、勧められるままに活きウニ、ボタン海老などを食べさせられてしまい、かなりお値段も高くついた。途中で、中山エミリ一行三人が入ってきて、奥の席についた。向こうはこっちに気がつかないようだったが、お久しぶり、と挨拶しようかな、と思い、いや向こうはこっちの顔など覚えてはいまい、と思い直し(言えば思い出すだろうが)、やめておく。自分が人の顔を記憶することに全く自信のない人間なので、人もこっちの顔など覚えてはいるまい、というのが基本認識なのである。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa