裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

31日

火曜日

ゆく使徒くる使徒

 まあ、新作の噂もあるし今年はエヴァネタで締めるか。朝8時起床。朝食はもうパンを切らしていたのでパスタで。薄緑色の、バジルとニンニク入りのパスタ(お中元でもらったもの)を茹でて、バタと粉チーズだけで食べる。伊丹十三風ですな。果物はオレンジ。新聞、こないだから読売のみ。産経は年末は休みか?
 日記を書こうとパソコン前に座ったが、急に鬱の発作。十分ほどピクリとも動けなくなり、じっとしている。別に大したことではなく、昨日が朝から深夜までテンション上がりっぱなしの一日であった反動であることはわかっているので、さほど不安も感じず。これで脳がはしゃぎすぎのアドレナリン過分泌状態とバランスをとっているのであろう。

 回復して、まずはと日記つけ。コミケ関係は書いても書いても書ききれない。例のアグネスホテルのディープファンの子がホントウにカレシを連れてきてくれたこととかを書きもらした。あと、志らくの弟子たちが談之助さんに会いに来た。新刊を持ってきてサインを頼んで来る人が二十人くらいいたが、それで持ってきたのが全員『カルト王』だった。やはりコミケ人種にはこっちが受けるか。まだまだ書き漏らしたこともあると思う。

 昨日はあまり長くなるので夜のことはカットしたが、コミケから帰宅、委託分の清算などして、5時45分にK子と再び家を出て下北沢。会場の下北沢リバティの場所を探して駅前をうろうろしていたら、ナンビョーさんのところの鈴木くん、えふてぃーえるさん、と学会のIくんなどに出会う。実にわかりにくいというか、家電の安売り店の4階にあるシアターで、なかの芸能小劇場のウツギさんが受付をしていたが、あそこの十分の一くらいの広さの場所に倍の200人を入れるのだから凄まじいことになりそうである。終演が9時になるので、腹が空くだろうと思い、近くにメシを食いに出る。下北沢っぽいイタメシ屋に5人で入る。私とK子はエビと青紫蘇のパスタをを頼んだが、Iくんはチーズピッツァにハチミツをかけるという気持ちの悪いものを食っていた。

 7時に開幕、もはやギュウ詰め。その上にどんどん入ってくる。睦月さんが近くの席に入っていたが、平塚くん夫妻、ひえださん、など、席をなかなか探せない状況。FKJくんなどはかなり遅れて入ってきて、立ち見していた。後で聞いたら、ここの場所がわからずに1時間近くもうろついていたのだとか。

 落語の方は開口一番がブラ談次、快楽亭一門の裏ばなし。続いて談之助、談志ばなし長講一席。毒のカタマリみたいな代物。他の演者がやってもシャレになるまい。もともと口をついて出る言全てが毒、みたいな談之助だからこそ聞いていて笑えるものになっている、フグの卵巣の粕漬けみたいな一席である。快楽亭はなんと開田夫妻を主人公にした『乳房榎』。以前、チャイナハウスの天井に開田さんが絵を描くと言う話が出たとき、“乳房榎だね”という話をしたことがあったが、まさか本当に高座にかけるヒトがいたとは。もちろん開田裕治が菱川重信、おきせがあやさん、他のキャスティングがまた傑作であるが、外聞をはばかるものもあるので省略。ヒントは磯貝浪江が“昔兄弟子に女を寝取られてそれがトラウマになり、師匠の女を奪うことに情熱を燃やしている男、それに開田殺しを手伝わされる下男の正介に、同じ読みの小さいヒト。開田さん夫妻はもちろんのこと、岡くんが自分の師匠ネタで大喜び大笑いしていた。

 後半が談生、快楽亭のネタを受けて“まあ、人間性とかいろいろ言われておりますが”と開き直った前フリネタで王監督の墓が荒らされて奥さんの骨が盗まれたという話をして、“荒らされますよね、なにしろ『王家の墓』ですから”というネタは村崎さんとの対談本で使おうと思っていたものなので“やられた!”という感じ。ネタは貧乏神だが例によりヤバいヤバい。以前はトンがるばかりの不安定さがそれなりの魅力だったが、最近は落語の軽みとでも言うようなものが備わってきた。談之助のように知性が鋭すぎて過激一途に走るタイプもいいが、談生はそこらへんでいささか甘さがある分、落語の型にぴたりとはまる。人間性がどうあろうと、結局落語というものの未来形は談生というファクターを無視しては語れまい。才能が違う。気にくわない者はいるだろうけれど。トリは白鳥。この人のマイペースぶり、どこにいても異物以外の何物でもない存在感もすごい。最近、人に“物語”を語るときに、この人の口調が移ってしまって困る。エヴァンゲリオンのナレーションとかをやらせたらどうか。
 終わったあと、すぐ近くの焼肉『サカイ』で打ち上げ、20人くらいの予定が40人来てしまい、えらい詰め込み様となるが、談之助が差配して、どうにかそれだけの人数を入れ込みにする。出演者である談之助、談生が前座と一緒に皿を配ったりなんだり。JCMのM田くん、M川くんなどと紙芝居本の話少し。平塚くん夫妻といろいろ話。奥さんの友人という人形作りの女性というのが、何か妖怪ぽい感じのキャラクターでオモシロい。NHKのYくん、新潟放送局から駆けつけてトンデモ落語会へ来たという剛の者。新潟だけに拉致ばなしの濃いのを談生さんなどまじえていろいろ。12時くらいまでなんだかんだでワイワイやってお開き。今年もホントウに楽しくいろいろアブナいネタを聞けた。虎の子のあたりまでK子と歩いて、タクシーで帰る。
 日記書き上げ、留守電吹き込み、リビングのビデオ回りを少し片付け。冷蔵庫の中の腐りやすいものなども片付け、二回ばかりゴミ出しに地下へ。荷物かついで、K子とタクシーで羽田へ。乗ってからズボンを見たら、両のすそに猫の毛がびっしりと付着している。コタツの中が猫の寝所になっており、抜け毛が体積していたらしい。正月明けにはまずあそこに掃除機をかけねば。

 中華レストランで焼きそばで昼食。そこらじゅうに子供連れがあふれている。親父たちがもう、私から見るとガキにしか見えないが、自分の子が口の回りをケチャップで赤くしているのを見てニコニコしている。私があれくらいの年齢には、こういう一般的幸福を忌み嫌っていたなあ。まあ今も忌み嫌ってよかったとは思っているが。フライト中に席でグーと短時間だが眠ってしまった。やはりかなり年末の疲れがたまっているかな、という感じ。

 千歳空港着、4時半であるがすでに窓外が真っ暗。雪こそ降っていないが寒気は凜冽、K子はもう寒がっている。札幌行きのスカイライナー、超満員、一列車遅らす、以前は31日の帰省列車などはガラガラだったのだが。もっとも、飛行機も列車も、24日あたりを過ぎるとガタリと減った。ギリギリまでスケジュールが組めるようになった分、利用者もギリギリで移動するようになったのだろう。便利と言えば便利、せわしないと言えばせわしない。列車の中はまたガキの泣き声、それと携帯の電子音の渦。

 6時に自宅着。なをきは今年は帰省しないので母と三人のみの年である。部屋の中は暖かいが、廊下の寒さはひとしお。鴨の肉の煮付けと自家製キンピラなどで酒を飲み、フレッシュ・フォアグラのせのステーキというごちそうで年越し。しかし、酒がもう回って回って、最後はもうウトウトしながら食っていた。耐え切れなくなって居間のソファで寝転がって、それでも12時ちょっと前には目を覚まして、Yくんが制作した佐渡島の寺での『ゆく年くる年』見る。

 2003年への抱負と言ってもこの年齢になると何もなし。十五年以上この業界に残っていることで自分の能力には自信も持っているし、限界も知っている。期するところはあるが、無理はしない。人生の最盛期はできるだけ後半に持っていきたい、というのが私の若いころからの目標である。徳川夢声の最盛期は50代半ばを過ぎてからであった。それまでは勉強。勉強の時間が長いことはゾクゾクするほどの楽しみである。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa